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私は武蔵野市吉祥寺生まれですが、当時は周りにも今のようにビルや住宅が多くなく、林や畑がたくさん残っていました。ですから当時は東京のどこからでも富 士山を見ることができました。私は若い頃山によく登りましたけれども、山は「登る」よりも「見る」ことの方が大好きだったのですね。その中でも「富士山」 は類にまれなき美しさを感じていました。雄大だけれども荒々しくなく穏やかでやさしいのですね。
武蔵野をはじめ、東京は関東平野の中にあります。 その関東平野には富士山や関東一円の山々の雪解け水がたまります。私の家の付近には「井の頭公園」がありますが、井の頭公園はその雪解け水の地下水で大変 有名な場所でもあります。特に江戸時代にはお茶を立てて将軍に献上する場所でもありました。ですから、幼い頃から私は富士とゆかりのある場所で育ったとい えます。
幼いときは戦時中で、小学生1年のときに2.26事件があり、日中戦争は小学生3年のとき、太平洋戦争は中学1年生のときに始まりまし た。そのような中ですから、当時の軍国主義的な歌をいまでもよく覚えています。その中で「揺るがぬ富士に墓場をゆだね 永遠のほまれに命を代えよ」という 一節が出てきます。これは「安んじて死ね」という意味でしょうね。このように富士山という山は昔から神聖な山であるという観念が強いんですね。私にとって は、富士山とは雄大な自然としての富士であると共に、単なる軍国主義的な考えとは全く別に、日本の霊山であり、精神的支柱であり、日本人の心の故郷である 山なのです。
私が初めて富士山に登ったのは1975年でした。私にとって富士山は見る山で、前述のように山に登るという観念がありませんでした が、ドイツ人の友人に是非登りたいという強い要望を受け、登ることを決めました。当時一緒に登ってくれたのが成文堂の編集部長の本郷三好さんです。彼はエ ベレストの登山隊長も経験し8000m級の山を4つも制覇した男です。そんな彼が案内してくれたのですが、登ったときは一面のゴミの山で非常に嘆き悲しみ 憤りを覚えました。現在、有志によって美化・清掃運動が積極的に行われだいぶきれいになったと聞きます。大変素晴らしい取り組みだとは思いますが、やはり 大切なのは「ゴミを拾うのではなく、捨てない」ということだと思います。それは日本人が昔から持っている美意識の表れであるべきなのですね。
日本 の戦後教育の中で「美しさ」という言葉が欠けていたと思います。それは、女性の見た目の美しさのように、外見によるものではなく、内面の「美しさ」である と思います。その昔、ラフカディオ・ハーンが日本でみた世界とは、一方では、貧しくとも慎ましく道徳的に生きる日本人です。そこには「立ち居振舞いの美し さ」という所作がありました。戦後の日本社会では表面的な美しさばかりを追求して、欲望を自制するところからほとばしり出る内面的な美しさが見失われたよ うに感じます。
「富士山」を日本人の美しさの一つの象徴として再認識するという意味がこめられるならば、この富士山を世界遺産にする国民会議の意義はすばらしいと思います。