市川團十郎さん

歌舞伎役者/十二代目 市川團十郎
第12代目。歌舞伎役者。昭和21年8月、9代目市川海老蔵(11代目市川團十郎)の長男として生まれる。昭和28年10月、歌舞伎座「大徳寺」の三法師公で市川夏雄と名乗り初舞台。昭和33年5月、歌舞伎座にて「風薫鞍馬彩」の牛若丸を勤め、市川新之助を襲名。昭和44年11月歌舞伎座にて「助六由縁江戸桜」の助六、「勧進帳」の富樫を勤め、10代目市川海老蔵を襲名。昭和60年4月から6月、歌舞伎座の3ヶ月に亘る襲名披露公演にて、12代目市川團十郎を襲名。61年第七回松尾芸能大賞。63年度日本芸術院賞。平成7年と12年に眞山青果賞大賞。10年芸術祭賞演劇部門優秀賞。平成19年3月24日パリ・オペラ座にて公演。フランス政府よりフランス芸術文化勲章コマンドゥール。同年紫綬褒章。
アメリカ公演、オーストラリア公演、ヨーロッパ公演なども果たし、国際的にも活躍。
私たち市川家と富士山は、切ってもきれない縁があります。市川家は甲州出身で、武田軍団の一員だったと言われています。甲州から千葉に下り、そして江戸に寄って役者になったと言われています。
ま た、歌舞伎の中にも富士山はたくさん出てきます。富士山は、江戸の市民の誇りを表す文句であったのでしょう。歌舞伎によく演じられる「曽我兄弟の仇討ち」 にも、必ず富士は登場します。「仮名手本忠臣蔵」の女衒の源六は「富士のお山に腰をかけ」と言い「俺はすごいのだ」という気持ちを誇示しています。また、 成田屋十八番「助六」も「富士と筑波をかざし草」という文句があります。それは、西に富士があり、東には筑波がある、そしてその間に私はいるのだという誇 りをもったものです。
さらに万葉集の中の「田子の浦ゆ」という歌では、田子の浦を通ると雪の降った富士山が見えた、素晴らしいと、その雄大さに感嘆しているものもあります。
こ のように富士山は、その時代の人々の誇りや感動など、日本人の心を表すものとして昔から使われてきています。そういう意味で、富士山は非常に文化的価値が 高いのではないかと思います。そのような富士山が世界遺産に登録されたのなら、日本人としても、歌舞伎役者としても、非常に喜ばしいことだと思います。