岡田武史さん

元サッカー日本代表監督
1956年(昭和31年)8月25日生。大阪府出身。
大阪府立天王寺高等学校時代にはユース日本代表に選ばれ、その後、早稲田大学政治経済学部に入学しサッカー部に所属。大学卒業と同時に古河電気工業サッカー部に入り、頭脳派のディフェンダーとして活躍日本代表としても国際Aマッチ21試合に出場した。1997年にサッカー日本代表のコーチを勤めていたが、フランスW杯予選で成績不振だった加茂周監督の更迭を受け、監督代理として任命された。その後、代表チームを率いて、残りの予選を戦い、土壇場から日本にとって初めてとなるW杯本選出場を実現させた。1999年には、J2落ちしたコンサドーレ札幌の監督に就任し、2年目にはチームをJ1復帰に導く。2001年、コンサドーレ札幌の監督を辞め、解説者になる。2003年には、横浜F・マリノスの監督に就任し、1年目の1stステージから優勝。以後、3ステージ連続優勝、2年連続年間優勝のタイトルを獲得した。
私は約15年、神奈川県の逗子で日々の生活を送っています。人も少なく静かで、自然が多く残る大変過ごしやすい場所です。何といっても私の家は、天気が良いとリビングから江ノ島の後ろ側に富士山がはっきりと見える絶好のロケーションです。
  富士山は日によって驚くほどその表情を変えます。空の色との対比や、雲のかかり具合。そこには、毎日見ても飽きが来ない魅力があります。特に私のお気に入 りは朝と夕方。その姿を目にすると私は、自然と手を合わせてしまいます。近所を散歩していると、同じように富士山に手を合わせている人を見かけることがあ ります。富士山には人々の心に訴えかけるような不思議な力があるのでしょう。つまりただの自然ではないのだと思います。それだけに、富士山が文化遺産登録 を目指していると聞いたとき、まさにぴったりだなと感じました。
 私にとって富士山はいつもドンと安定した格好で、包み込むように見守っていてくれる「お母さん」のような存在です。
私の愛する富士山を守り、そのすばらしさを世界中の人に知ってもらう活動に参加するということは、私にとって親孝行のようなものです。これからも私に出来ることがあれば何でもするつもりです。富士山会議の皆さん、是非、頑張ってください。