北原照久さん

横浜ブリキのおもちゃ博物館館長
株式会社トーイズ代表取締役、横浜ブリキのおもちゃ博物館館長1948年東京生まれ。
ブリキのおもちゃコレクターの第一人者として世界的に知られている。
大学時代にスキー留学したヨーロッパで、ものを大切にする人たちの文化に触れ、古い時計や生活骨董、ポスター等の収集を始める。その後、知り合いのデザイナーの家で、インテリアとして飾られていたブリキのおもちゃに出会い、興味を持ち収集を始める。地方の玩具店などに眠っていたブリキのおもちゃを精力的に収集し、マスコミにも知られるようになる。そして、イベントがきっかけで、「多くの人にコレクションを見て楽しんでもらいたい」という思いで、1986年 4月、横浜山手に「ブリキのおもちゃ博物館」を開館。現在、全国6ケ所の博物館館長。また、平成15年11月より5年間、フロリダディズニーワールドにて「Tin Toy Stories Made in Japan」のイベントを開催中。現在、テレビ東京「開運!なんでも鑑定団」に鑑定士として出演中。また、CM、各地での講演会、トークショー等でも活躍中。
子供の頃、よく父が山に連れてってくれました。今は海のそばに住んでいますが、昔は山のほうが圧倒的に訪れる機会が多かったです。実家がスキーを扱ってい る店だったというのもあると思いますが、富士山の麓、河口湖には子供のころキャンプによく行きました。そのキャンプがとっても楽しくて、馬に乗ったり、河 口湖から見た富士山の大きさにびっくりしたのを覚えています。その雄大さにも驚かされましたが、子供ながら「こんなに大きいんだー」って、とても興奮しま した。子供のころの良い思い出です。
私は東京の八重洲にある小学校に通っていたのですが、天気がいい日は富士山がよく学校から見えました。今は東 京の都心からはあまり眺めることが出来ないというのは残念です。私は山が大好きですが、海も大好きで高校時代は海に時間さえあれば行きました。湘南の海岸 からは富士山を見ることが出来ますが、葉山の御用邸の付近からはとても綺麗に見ることができます。「海はいいし、こんなに富士山が見えていいな、こんなと ころに住みたいな」ってずっと思っていました。そして私は将来ここにかならず住むんだという夢を打ち立てました。
そんな「夢」をずっと追い求め続 けました。ときには、他人から「そんなの無理だよ」っとも言われました。しかし、言い続けているうちに、ついにはその家を手に入れるという夢を叶えること が出来ました。私は夢をずっと言葉に出し続け、いつか必ずその夢を叶えるという気持ちで毎日を取り組んでいます。
今の家からは素晴らしい富士山の 風景を眺めることが出来ます。私は富士山が綺麗に見えるとなんか得した気になります。思わず手を合わせてしまう、富士山にはそんな気持ちにさせるような不 思議な何かがあります。今はそんな富士山の近くに住んで、幸せをかみ締めて、富士山の気をいただいて暮らしています。友達が来たらみんなで歓声上げて「ど うだー!すごいだろー!」って、まるで自分のもののように自慢しています。
富士山を世界遺産意するために必要なことは「有言実行」であると思いま す。自分の夢を熱く、情熱的に、楽しそうに語らなきゃダメです。夢は口に出さないとダメ。「叶う」という字は口に十と書くでしょ。十回どころか一万回でも 言い続けないといけない。そうしたら、富士山は必ず世界遺産にすることをできます。私も、富士山を世界遺産にするために応援をしています。