−スノーボーダーの写真を撮っていた植田さんが、富士山頂で写真を撮ろうと思ったきっかけは何だったんですか。
スノーボードのオフシーズンには国内のリゾートホテルで仕事をしていたんですが、7、8年前に働いていた浜名湖のホテルに、休みのたびに富士山に登る同僚がいたんです。「富士山からの景色は本当にすばらしいよ」と言われて、富士山に興味が湧きました。静岡県民だから一度は登りたい、登るなら写真を撮りたい、せっかくなら山頂に長期滞在して写真が撮れたらいいだろうな、と。それで山頂の山小屋のアルバイトに応募しました。初めて応募した年はすでに応募が締め切られていて、翌年、再挑戦しました。
−楽しみにしていた山頂からの景色。どうでしたか。
頂上生活初日は嵐で、山頂に着いたら風雨が強くて一面真っ白。何も見えませんでした。スタッフの中には高山病になる人もいて、自分はここで本当に働き続けられるのかな、暮らして行けるのかな、とすごく不安でした。でも翌朝は天気が回復。初めて山頂からご来光を見た時には、美しさに感動しました。
−それで不安も吹き飛んで、頑張る気になれたんですね。
はい。あと2年目に、スノーボードの神さまと呼ばれているテリエ・ハーコンセンというプロのスノーボーダーに、山頂で初めて会えたのも大きかったですね。彼が「素晴らしい!」と感動している富士山に自分は住まわせていただいているんだ、と思ったらすごく嬉しくなって、さらにやる気が出ました(笑)。
−忙しい仕事の合間を縫っての撮影。どんなものを撮っていたんですか。
5年間で1万枚以上の写真を撮りましたけど、自然や風景がほとんどです。山の天候は変わりやすくて、景色の見え方がどんどん変わるんですよ。ちょっと目をそらした瞬間に、雲がまったく別の形になっていたり。もう目が離せないくらい美しいんです。あとは山小屋のスタッフやご来光を見ている登山者の方を撮っていました。みんなが東を向いてご来光の瞬間を待っている間は、たくさんの人がいるとは思えないような静けさなんですよ。そして太陽が姿を見せると手を合わせたり、涙を流したり、万歳をしたり。気分が悪くて座り込んでいた人も、体力の限界だ、と泣いていた人も、目を輝かせている。その様子に、毎回感動していました。山小屋の仕事は決して楽ではないんですけど、撮りたい場面に出会うたびに、山頂にいられること、山小屋で働けていることに感謝してましたね。
−富士山頂で働いたことで変わったことはありますか。
山登りを始めました。山小屋のスタッフは専用の車両で頂上まで行くので、自力では登らないんです。だから働いていると登山道のことに詳しくはなるんですけど、どれも他の人から得た情報でしかない。その情報をお客さんに提供するのは、接客をする人間としてすごく失礼だと思ったし、お客さんの大変さや喜びも、ちゃんとシェアしたい、とも思ったし。富士吉田口でガイドをしているスノーボード仲間の女の子が主催する登頂ツアーのサポートで登ったのが最初でしたね。富士吉田口をお昼に出発して、夕方には8合目の山小屋に着いて、午前1時に再び出発してご来光を目指して登頂しました。登山道から見る景色も新鮮で楽しかったです。それから10回以上、富士山には登頂していますね。あと、富士山の写真も撮るようになりました。見る方向、天気や季節で異なる素晴らしさがある、と気づいて、1年中富士山にハマってしまったんです(笑)。今も寝起きに富士山のライブカメラをチェックしています。富士山頂にいた時も、下からはこんなふうに見えているのかって。榛原郡の自宅にいる時も、すごくきれいに稜線が出ている場所があるとわかると、パジャマのまま車に飛び乗って撮影に行ったりしています(笑)。
−考え方や感じ方も、変化していそうですね。
何があっても冷静に考えられるようになりましたね。自然相手に自分たちができることには限りがあると痛感したので、自然の流れに身を任せるようになったというか。例えば台風の時には風で石が飛んできたりするので、戸を木材で塞いで、スタッフみんなで身を寄せ合って暖をとりながら台風が過ぎ去るのを待つしかないし、具合が悪くなった人がいても、お医者さんがいるわけじゃないから、対応できることには限りがある。スノーボードをしている時も、山に入ったら自分の身は自分で守るしかないと思っていましたけど、よりそういう意識が強くなった気がします。情報や状況をもとにこの先に起こるかもしれないことを予測し、最善の対処法を考える癖がつきました。これは無理だ、と判断したら、潔く諦める力もついたと思います。
−今年の夏は富士山頂の山小屋には行かれないそうですね。
景色の美しさ以外に、富士山頂でもうひとつ痛感したことがあるんですよ。それは安全な富士登山に必要な情報が十分に提供されてないんじゃないか、ということ。例えば、山の天気はとても変わりやすいとか、高山病や落石や雷がどれだけ危険かとか、みなさんに浸透してない気がしたんです。頂上にいたからこそ、そこでたくさんのお客さんを見てきたからこそ感じたことをもとに、より安全な富士登山のために有効な情報や、天候や体調によっては無理せず登頂を諦めることの大切さや、登頂以外の楽しみ方をもっと理解してもらいたい。そのためには登り口で伝えるのが一番いいだろうと思ったんですよね。それで今年の夏は、御殿場口5合目のマウントフジ トレイルステーションに詰めています。シーズン中に何度か登頂すると思いますけど、去年までのような写真は撮れないとわかっているので、ちょっと後ろ髪を引かれてはいるんですけどね(苦笑)。
−それでも御殿場口新5合目で活動したいと、心が動いたわけですね。
ええ。今は美しい写真を撮ることよりも、みなさんに富士山の魅力を伝えたいという気持ちの方が上回っています。もっと安全に登ってもらうことが、富士山って素晴らしいね、自然の力ってすごいよねって感じてもらえることにつながると思うし、そのためにお役に立つことの方が今の私には大事な気がします。たくさんの人に「また来たい」、「また登りたい」と思っていただける富士山であって欲しいんですよね。
−植田さんが考える富士山の魅力を教えてください。
登る、眺める、感じる・・。どんなふうにでも楽しめるところですね。それから、みんなをひとつのコミュニティにするところ。登山者同士はもちろん、飛行機や新幹線の中から富士山が見えた時に盛り上がったり、富士山の絵や写真を見て「いいなあ」と思ったりする。それって富士山というコミュニティの一員になっていることだと思うんですよ。年齢、国籍、性別、関係なしにみんなをつないでしまうのが、富士山のすごいところ。写真で富士山の魅力を伝えるだけでなく、事情があって登れない、近くまで見に来られないという方たちに、登った気分、見た気分になってもらえるように、写真だけでなく言葉でも、富士山の素晴らしさをもっと伝えて行きたいですね。
1977年4月26日 静岡県榛原郡生まれ 大のキノコ好きで 通称 mush。高校時代にスノーボードを始め、オフシーズンはエステティシャンやホテルマンをして過ごす。28歳でスノーボードカメラマンに。冬は長野、新潟、カナダなどでさまざまなスノーボーダーを撮影。昨年までの5年間、夏期は富士山頂の山小屋で仕事をしながら風景や生活を撮影していた。今年は富士山御殿場口新5合目のマウントフジ トレイルステーションで安全登山の啓発とアドバイスを行っている。富士山情報を伝えるべく日々ブログも更新中。
http://ameblo.jp/photographer-mush/