みんなで考えよう

富士山インタビュー

“富士山とそれに関わるすべてが博物資料”。それが僕たちの活動のコンセプトです。

ご自身たちの活動や未来について力強い口調で語る舟津さんの名刺の裏には、“富士山の よろず 承り〼”とあります。
制限を設けず、なんでも引き受けるキャパシティとフットワークのよさと優しさを感じさせる熱い人でした。
写真:井坂孝行/取材・文:木村由理江

見返りを求めないボランティアの姿に感動し、環境保護の活動へ

−ご出身は小樽。なぜこちらに?

 受験の時に唯一受かったのが都留文科大学だったんです。当時は考古学が大好きで、その年から田野倉のリニア実験線の工事が始まると聞いて、すぐに発掘調査に関われそうだ、というのと富士山に近いのに惹かれて願書を出しました。蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山は何度も見ていて富士山に憧れはありましたから、こっちに来て初めて本物の富士山を見た時は感動しました。高校の修学旅行で関東に来た時も、天気が悪くて富士山はまったく拝めなかったので。

−大学と大学院では何を勉強されていたんですか。

 専攻は社会学です。社会学はなんでもテーマになるので、自分の好きな博物館学を中心にやってました。修士論文は“フィールドミュージアム”です。博物館の「集める」、「調べる」、「守る」、「展示する」の4つの機能があれば、屋外でも博物館はできるんじゃないか、と。その後、大学院を出てプラプラしていた頃に、大学の先生の手伝いで尾瀬にコウモリの撮影に行ってウサギコウモリが撮れたんですよ。そしたらその先生が「デジカメでウサギコウモリを撮影できたのは君が初めてかもしれないよ」って。それで舞い上がって自然環境のことに興味を持ち始めたんです。それまでは勉強よりバイトをして、貯めたバイト代で日本中をバイクで走り回る、みたいなことをやっていたんですけどね。

−その後、富士山の自然環境保護活動を行うNPO法人富士山クラブに入られたんですね。

 大学の先生が紹介してくださったんですよ。自分が大学でやっていたことともマッチしたし、富士山のためになにかできるならおもしろいな、3、4ヶ月やってみよう、と。最初に与えられたのは富士山頂にバイオトイレを設置するプロジェクトで、その時に僕は1ヶ月山頂に住んでいたりしたんですが、バイオトイレの浄化槽に入れる水が不足して、ボランティアの方々に山頂まで水を持って来てもらうことになったんですよ。男性が2リットル、女性が1リットルだったかな。

−結構な量ですね。

 そうなんです。450人以上の方が協力してくださったんですが、みなさん、ペットボトルの水を浄化槽の中にガーッて入れて「お疲れさま、頑張ってね」って笑顔で去って行かれるんですよ。その何の見返りも求めないボランティアの方々の気高さというか心意気にすごい感動しちゃって、“あ、俺、この世界で生きてく!”って決めました(笑)。それから12年間、ずっと富士山クラブで修行させてもらいました。

地元の子どもたちの中から未来のキュレーターを育てたい

−富士山アウトドアミュージアムの活動を始められたのは2011年から。

 当時から手弁当で、仲間と清掃活動のお手伝いに行ってはいましたけど、本格的に活動を始めたのは2014年6月です。「富士山に関わるすべてのものが博物資料」が僕たちの活動のコンセプトですから、富士山の見える場所、ご当地富士、富士塚、富士と地名につく場所はすべて網羅したい、と思っています。宇宙飛行士の若田光一さんが国際宇宙ステーションから富士山を撮影してくださってからは、宇宙まで僕のテリトリーになりました(笑)。ただ直接的にアクションを起こすのは富士山の自然環境というのが、今のスタンスですね。

−「富士山の森が小学校」という自然教室、富士山周辺の清掃、「富士山『動物交通事故死』マップ」作りが、主な活動と聞いています。

 富士山の清掃は僕のライフワークです。アウトドアミュージアム的な発想で言うと、博物館が展示資料をきれいにするのは当たり前ですからね。動物の交通事故死に関しては、2003年にある企業の環境保全活動の研修に参加させていただいてオーストラリアに行った時から考えていました。現地のレンジャーが「高速道路でカンガルーに遭遇したら轢くしかない。無理にかわそうとして事故を起こしたら大変だから」と話すのを聞いて、わからなくはないけれどなにか別の解決法はないのかな、と。そしたら数年前にアメリカの自動車の安全評価基準の項目に衝突被害軽減ブレーキが加わった。いずれ日本にそれが入ってきたら、野生動物の交通事故も減らせるんじゃないかと思ったんです。バイオトイレの時にも思いましたけど、技術が進むと環境保全のためにできることが増えるんですよ。それで一昨年から、富士山麓の動物の交通事故死の調査を始めました。山梨が拠点なので静岡の方はまだまだ手薄ですけれど、一昨年10月から去年の9月30日までの1年間に、交通事故死した135個体を発見しました。現状を伝えるのに写真ではちょっとエグすぎるので、ダメージの少ない個体を倒れていたままの形で剥製にしてもらって、それを見せています。子どもたちには、単純に「かわいそう」と思ってもらえるだけでいいんですよ。「かわいそう」という現実を知らないことには、次の感情や思考につながっていかないので。できれば、各個体の体高とか体長のデータを、衝突被害軽減ブレーキで動物も認識できるようなシステム開発につなげたいし、動物によって事故に遭っているポイントや時期に傾向が出てきているので、それをカーナビと連動させられたらいいな、と思っています。世界文化遺産になって以降、レンタカーの利用者が急増しているので、「あなたがこれからドライブをする場所には野生動物がたくさん住んでいるから、森の中におじゃまします、という気持ちを持って運転してください」っていう啓発活動につなげていけたらいいんですけどね。

−「富士山の森が小学校」の活動についても教えてください。

 このプロジェクトは妻の発案です。富士山の森には学べること、楽しめるものが数多くあるので、月に1回程度、地元の小学生たちを集めて、富士山の森で遊んでいます。僕らとしては将来、博物資料を守るキュレーターが欲しいので、遊びながら地元や周辺の博物資料に興味を持ってもらえたらいいな、と思って。今年3月で小学校を卒業する子が「中学に行ったらボランティアスタッフをやりたい」って言ってくれていて、涙が出るほど嬉しいです(笑)。みんな、一度は地元を出るかもしれないけれど、いずれ帰って来る。その時に、「そういえば30年前くらいに船津の三叉路で変なオヤジが富士山を守るとか言ってたな、俺もやってみるか」みたいなことになれば、博物館の初代館長としての僕のミッションは終わりです。キュレーターがどんどん育ってくれれば、富士山をもっと素敵な日本のランドマークとして守り続けられるだろうな、と思います。

富士河口湖町船津とのご縁は両親の新婚旅行から

−舟津さんが富士河口湖町船津に住むことになったのは、たまたまなんですか?

 ここに居住地を構える時に、地元の方とどっぷり付き合いたいという思いがあったので、名前を覚えていただくいい方法はないかと考えたんですよ。それで、「船津に住んでる舟津です」って名刺を渡したらまず憶えていただけるだろう、と。で、「字が違うじゃないか」って言われたら「うち、貧乏なんで小舟なんです」って返そうと考えまして(笑)。おかげで、本当にすぐに憶えていただけてありがたいです。すごく不思議なご縁なんですけどね。

−というと?

 父と母が新婚旅行で箱根に来た時に、旅館の仲居さんに「河口湖に船津っていう地名がありますよ」って教えられて、船津1番地にある富士レークホテルさんに泊まりに来たらしいんです。小さい時からその話を聞いていて、受かったのが都留文ですからね。その後に船津に住み始めて、しかも事務所を構えられたのが船津三叉路でしょ。なんか変な感じです(笑)。

−舟津さんが考える富士山の魅力を教えてください。

 1億2千万を超える日本人だけでなく世界中の人も含めて、“富士山”と聞いて思い描く富士山がみんな違うし、それぞれに自分の好きな富士山がある。それがすごいな、と思います。形がきれいなだけじゃなく、なにか惹きつけるものがきっとあるんですよね。僕自身はどこから見る富士山が好きか? 宇宙からです(笑)。若田さんが撮影した写真をJAXAからいただいて、講演をさせていただく時のプレゼンテーションにも入れています。これからも“富士山”というものを俯瞰して、全部を見ていきたいですね。

−主な活動は先ほどの3つ。でもやりたいことはまだまだありそうですね。

 本来生息していてはいけないアライグマをはじめとする外来生物も見かけるようになりましたからね(苦笑)。変化は変化なりに意味があると思うし、それもまた新しいステップなのかもしれないとも思うけれど、博物資料の保護という観点からはやっぱり、自然環境を脅かすようなものに対しては、何かしらのアクションを取らなくてはいけないな、と思います。あと、博物館は展示資料だけじゃなく、博物館の外の歩道とかもきれいにするじゃないですか。だから、富士山が見える山ならどこでも掃除していいかなって(笑)。去年、親子トレッキングというプログラムをやったんですよ。親子で富士山が見える山に登って頂上でコッヘルとバーナーでお湯を沸かしてカップラーメンを作って食べて下りてくるっていうだけだったんですけど、子どもにとってすごい楽しい1日だし、そこに富士山っていうおかずがあれば、最高なわけですよ。そして、そこにゴミがあったらみんなできれいにしよう、と。もうね、どんどんどんどんやりたいことが広がっていっちゃうんで、どっかで自分を抑えないといけないんですよ(笑)。

−熱い方なんですね。

 面倒臭いでしょ!(笑)

−いやいや。奥さんやご家族とも楽しんで活動している様子、素敵です。

 いやあこんなことに付き合ってくれている妻は、ほんと、大したものだと思います。

舟津宏昭
ふなつひろあき

1973年8月17日 小樽市出身 都留文科大学大学院修了後、認定NPO法人富士山クラブで活動。2011年に奥さんの章子さんと環境保全団体富士山アウトドアミュージアムを創設、主宰。長野県出身の奥さんとは2004年に結婚。2002年頃から富士河口湖町在住。1男1女の4人家族。去年から船津三叉路に拠点“チャレンジショップ”を構える。舟津さん曰く「コンセプトとしてはミュージアムショップ。地域の方々が手作業で作ったものを置かせていただいたり、「富士山の森が小学校」の活動費用のために、地域の子どもたちのユーズドの服を売らせてもらったりしています。外国人の方々に道を尋ねられることも多いですよ。誰でも立ち寄ってもらえるフリースペースです」。

富士山アウトドアミュージアムのFacebookのアドレス:https://www.facebook.com/fom3776/

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家

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