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富士山インタビュー

富士山と山麓の神社や滝などとのつながりを深く知ってもらうことが、保全の鍵を握っていると思います

富士山の世界遺産登録に際し、イコモスの現地調査に同行するなど静岡県の職員として力を尽くした高林恵梨子さん。
今年4月の異動で富士山世界遺産課を離れた今は、自らの経験を生かしつつ、将来有望な就活生たちと向き合う毎日を送っています。
富士山に関わった4年間について話しをうかがいました。
写真:吉永貴満/取材・文:木村由理江

文化庁の世界文化遺産室に出向した当初は、イコモスがなにかも、
あまりよくわかっていませんでした(苦笑)

−静岡県庁の職員として富士山の世界遺産登録に関わることになった経緯を教えてください。

 県が富士山を世界遺産にしようと動いているのは入庁した時から知っていました。でも私は本庁での勤務を経験した後、浜松市や磐田市や掛川市など県の西部地域で勤務していたものですから、正直、自分のこととして直接的には捉えられずにいました。それが入庁から数年経った2011年度から2年間、国の文化庁に出向することになり、日本の文化遺産を扱っている文化財部の世界文化遺産室に配属になったんです。

−以前も文化財関係のお仕事をされていたんですか。

 いえ。ですから最初は、イコモスがなにかも、あまりよくわからない、という状況でした(苦笑)。2011年は岩手県の平泉と東京都の小笠原諸島が世界遺産に登録される年でしたから、出向直後の5月にイコモス勧告があり7月には世界遺産委員会が開催されるという流れの中で、全体の動きや国と地元の協議の進行過程、ユネスコからどのように情報が提供されるかという経緯も、しっかり勉強させていただきました。同じ年の7月に、山梨・静岡両県が富士山の登録推薦書原案を出すことが決まっていましたから、平泉の登録推薦書原案はどうだったかとか、毎日のように静岡県の担当の方たちと電話やメールでやりとりして情報を共有していました。みなさんとてもいい方ばかりで、わからないことは丁寧に教えてくださる。東京にいながらも、自分は静岡県の職員だ、というのを日々、感じていました。

−翌2012年夏には、イコモスによる現地調査にも同行されたそうですね。

 ひとりの調査員が構成資産すべてを調査する、というのがイコモスの現地調査の原則です。当然、富士山にも登ることになりますが、大勢で隊を組んで登るわけにはいかない。たまたまこの時の調査員の方が、ちょっと高齢の女性だったこともあり、誰か女性で富士山に登れる人間はいないか、と。それで登山が趣味の私が、富士登山に同行させていただくことになったんです。当日は、調査員の女性のお世話をしながら、時には説明もさせていただき、また地上チームとも随時連絡をとりながらの登山でしたから、かなり慌ただしかったですね。しかも“山頂でご来光を眺めている調査員の方の写真も撮ってこい”というミッションもありましたから、ご来光を入れつつ、調査員の方のお顔と他の登山者が写らないように写真を撮ろうと、必死に岩場に張りついたりしていました(笑)。

−ひとりで何役もこなさなくてはいけなかったんですね。

 調査員の方と通訳の方、そして万が一に備えて同行をお願いした山岳ドクターの他には国と山梨・静岡両県の職員数名だけで登っていましたから、当然のことなんですけどね。その時に調査員の方から「お鉢巡りがしたい」というご要望があったんです。山頂では久須志神社さんで富士山本宮浅間大社の神職さんのお話を聞いていただいて下山する予定だったので、どうしよう、と。ドクターは「体力的なことを考えるとこのまま下山したほうがいい」とおっしゃったんですが、調査員の方が「どうしても」と強く希望されたので、下で待機している地上チームとも連絡をとり、お鉢巡りをしてから下山していただきました。

−快適に、かつできるだけいい状況で調査員に構成資産を見ていただくための関係者のみなさんの気遣いはかなりのものだったでしょうね。

 調査期間は全部で10日間くらいでしたが、調査員の方にどの時間帯にどの構成資産を見ていただくと一番いいか、という打ち合わせやリハーサルは、国と山梨・静岡両県と各関係市町村で事前に何度も繰り返して、お迎えしました。実は富士山に登った時に、私は最後に調査員の方にお渡ししようと、山小屋で金剛杖に焼印を押してもらいながら登山をしていたんです。信仰の対象である富士登山の生きた伝統でもありますから。でも「今回は信仰の部分の評価ではなく、保全の現地調査に来ているから」と。その調査員の方の徹底したスタンスに、イコモスの現地調査の真髄に触れた気がして感動しました。

カンボジアで開かれた世界遺産委員会で登録が決まった瞬間、鳥肌が立ちました

−登録が認められた2013年7月の世界遺産委員会にも出席されたそうですね。

 その時は静岡県の世界遺産推進課のひとりとしてカンボジアに行かせていただきました。山梨・静岡両県の知事の出席も決まっていましたから、そのための準備や国との調整などを日本で行い、現地に入ってからも、二転三転する状況にも対応できるように様々な調整をしたり、各関係自治体との連絡体制を整えたり、とバタバタでした。最後、除外されるかどうかわからなかった三保松原について、出席していたほぼすべての委員国が「含めるべきだ」というスピーチをしてくださった後に登録が決まった瞬間、鳥肌が立ちました。もう本当に感無量で、なにも言葉になりませんでした。

−登録後は、どんなお仕事をされていたのでしょう。

 構成資産及び周辺の資産の保全に従事させていただきました。関係市町村の方々や地元の利害関係者の方々と何度もやりとりを重ねながら、保全のための戦略作りをしたり、保全状況報告書作成のために、地元の関係者、住民代表の方、宮司さんなどみなさんに入っていただく会議を何度も開いて意見を聞かせていただいたり、というようなことをしてきました。

−資産をいかに保全するか、というのはかなりの難題のようですね。

 保全と活用の両立が大切だと思いますが、私としては、やはり軸足は保全に置くべきだろうと考えています。一度失われてしまったものを元に戻すのが大変ですから。その上でどう活用していくか・・。富士山でその答えが見つけられれば、いい先進事例になると思いますから、そこは丁寧に考えていく必要があると思います。私は今、別の部署にいますが、そのことはいつも気になっています。

−保全と活用のバランスをとるには、なにが大事なのでしょう。

 地元の方、また富士山に来ていただく方たちに富士山への理解を深めていただくことだと思います。例えば富士山と山麓の神社や滝などとのつながりをもっと深く知ってもらうとか。それをしていくのが、行政の仕事ではないか、と思います。富士山、そして構成資産を含む地域全体の価値をちゃんと理解していただければ、自ずとそこにあるものを大事にしようという気持ちが生まれてくるでしょうし、結果的にそれが、持続可能な観光=活用につながっていくと思います。

−現在は人事関係のお仕事をされていますが、富士山に関わったことは、どう役立っていますか。

 県の職員の採用の仕事をしているので、県の仕事について学生さんたちにお話しさせていただく機会がよくあります。その時に「県には、財務事務所での窓口業務から世界遺産登録やその保全と活用といったビッグプロジェクトまで幅広い仕事があり、それに携われますよ」という話をすると、世界遺産に関する話を訊かれることがとても多いんです。そこで、実体験に基づいた話ができるのは、自分にとって大きいですね。

−世界遺産の登録に関わるというのは、本当に貴重な経験ですものね。

 ええ。文化庁に出向した最初の年に、岩手県の平泉が世界遺産登録されましたが、東日本大震災の後で、日本全体が“復興”に向けて立ち上がっていこうとしていた時でしたから、イコモス勧告で登録が決定した、というニュース速報が流れた時の反響はとても大きく、そのことによって日本全体が活気付いていくのがよくわかりました。その時に、大変な仕事に関わっているんだな、と実感しましたね。その上さらに、県の職員として日本の宝である富士山の世界遺産登録に関わることができた。今、別の部署に移って改めて、大きな仕事に携わることができてよかった、本当にいい経験をさせていただいた、と思っています。

富士山の魅力は、見る人すべての心に訴えかける、言葉にできないなにか

−ご出身は浜松ですが、子どもの頃、富士山はどう眺めていましたか。

 子どもの頃は、あまり身近な存在ではなかったですね。浜松からは遠くにしか見えないし、富士山がよく見える小学校の最上階にある音楽室に行くとみんなで眺める、という感じでした。ほとんど意識はしてなかったです。ただ、大学で一度静岡を離れた時に「毎日富士山が見えるなんて幸せだよ」と他の県の人に言われて、自分は恵まれた日常を送っていたんだな、と気づきました。県外に出て初めて、富士山を意識した、という感じです。

−今はどんな思いで富士山を眺めることが多いですか。

 単純に、きれいな山だな、と思っていた以前と違って、仕事の山、として眺めてしまいますし(苦笑)、いろいろやりとりさせていただいた地元の方々の顔や景色や状況が具体的に浮かんでくるようになりました。例えば、登山道がジグザグに見えたりすると、あの辺の山小屋さんはこの時間、忙しくしているのかなとか、あの山小屋のご主人はどうしているのかなとか、あそこの保全状況はどうなっているのかなとか(笑)。

−高林さんが考える富士山の魅力を教えてください。

 見る人すべての心に訴えるなにかがあるんですよね。姿が美しいということだけでなく、日本人にも海外の人にも響くなにか。それは言葉ではとても説明できないですね。

−高林さんは登山が趣味だそうですが、他の山と富士山との違いはどう感じていますか。

 登山を始めたのは社会人になってからで、これまで富士山には10回くらい登っていますが、富士山はやはり特別な山だと思います。日本一高い山ですから山頂を目指して登ることに大きな意味がありますし、さらに山頂でお鉢巡りをして帰ってくると、自分の中でなにかが変わった、という感覚を得られます。富士講の時代に言われた、登頂することで生まれ変わるという感覚に非常に近いです。一生に一度は登りたい山、とよく言われますけど、登って下りてくると、他の山とは違う達成感が味わえると思います。ぜひ、登りにいらしてください(笑)。

高林恵梨子
たかばやしえりこ

静岡県浜松市生まれ 浜松市内の高校を卒業後、名古屋の大学に進学。大学卒業後静岡県庁に入庁。2011年4月から文化庁の世界文化遺産室に出向し、2013年4月から静岡県文化・観光部世界遺産推進課(のち、富士山世界遺産課)に。2016年4月から現職。趣味は登山。

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家
小山真人静岡大学 教授 理学博士
勝俣克教富士屋ホテル 河口湖アネックス 富士ビューホテル支配人

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