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富士山インタビュー

10年、20年後を見据えて、富士登山の基礎を作っていきたい

昨年設立された一般社団法人ヨシダトレイルクラブは、富士登山の安全性と快適さを高めようという強い思いから始まった組織。
その代表理事である太田安彦さんの言葉には、富士山への愛情と富士山ガイドとして多くの人を登頂させているからこその願いが溢れていました。
写真:井坂孝行/取材・文:木村由理江

富士山は今、変わらないといけない時期に来ていると思っています

−"ヨシダトレイルクラブ"はどのような組織ですか。

 安全で快適な富士登山ができるように、登山者や富士山に関わる人の声に耳を傾けながら、主に吉田ルートなど山梨県側の登山ルートの整備や環境保全をさらに充実させようと、去年、ガイド仲間たちと立ち上げた組織です。私は26歳だった2008年に富士山でガイドを始めましたが、経験を重ね、お客さんの声に接するにつれ、こういうことが整備されたらもっと良くなるのに、と感じることが増えてきました。例えば、レスキューの問題。事故は、登山者が体力的に消耗している下山の時に多く、ガイドのいるツアーに参加していない一般の登山者が事故にあった場合、ガイド、山小屋の関係者、行政が運用する救護所などが協力し合って救助しているのが現状です。いろんな組織が関わっているため、情報の伝達の遅れやすれ違いから、緊急時の対応に問題が生じてくることもあります。世界遺産登録以降、海外からの登山者が急増している富士山ですから、もっと迅速かつ円滑に救助を行うための専門的な組織作りや仕組みの向上が必要だろうと考えるようになりました。一生に一度、と思って登る人も多い富士山ですから、もっと公が主体になって各組織と連携し、登山者に満足してもらえる環境を整えるべきだな、とずっと思っていました。

−そういった整備がスムーズに進まない理由はどこにあったのでしょう?

 いくつもの行政や組織が関わっているからだと思います。山梨県側で関わっているのは、環境庁と山梨県と富士吉田市、さらに山小屋の組合や富士山案内人の組合などです。整備や環境保全の大切さはわかっていても、それぞれの立場や考えが違い、調整が難しかったんでしょう。中立の立場である"ヨシダトレイルクラブ"が間に入ることで、いろんなことを調整していけたらいいな、と思っています。

−簡単におっしゃるけれど、容易なことではなさそうです。それを引き受けるなんて太田さん、勇気ありますね(笑)。

 いえいえ(笑)。いろんな方から様々なご意見やご指摘もいただきましたけれど、富士山は今、変わらないといけない時期に来ていると思うし、変えられる人は限られている、と感じています。私はガイドを9シーズンやってきて、シーズン中はほぼ毎日富士山に登っている。それを山小屋の人たちも案内人の組合の人たちも見てくれていますから、今、私ができる限りの事をやってみよう、と思っただけです。10年、20年先を見据えた安全で快適な富士登山の環境の基礎を、これから作っていきたいですね。

−富士登山でいうと、今、何合目くらいですか?

 多分、五合目を出たばかりだと思います。これから、ですね。

アメリカの国立公園のパークレンジャーのような存在のチームをつくりたい

−"ヨシダトレイルクラブ"としてまず取り組んでいるのは、どんなことですか。

 “ヨシダトレイルクラブ”が最も大事にしているのは、登山者や富士山に関わる人の声です。その中で最も多いのが、安全面に対する不安の声なので、まずはその解消に取り組んでいます。昨シーズンは、緊急時に備えてAEDを携行しながら、富士登山のマナーの啓発や安全登山の呼びかけ、下山ルートでの道迷い防止などの活動を行いました。また吉田ルート六合目での富士山環境保全金の徴収員をさせていただきましたが、水がなくて困っている外国人登山者をたくさん目にしました。来シーズンは、山小屋がない八合目から下では水が手に入らないこと、またシーズン終盤に近づいてくると山小屋が早めに営業を終了してしまうことなどの情報を、国内からの登山者だけでなく、外国人登山者にどう周知させるかも、もっと考えていきたいですね。

−どれも大事なことですね。

 そのためにもまず、怪我や急病などで困っている登山者のフォローを専門にできるパトロール隊のようなものを作りたいんですよ。最終的にそのチームが、アメリカの国立公園のパークレンジャーのような役割を果たせるようになれたらいいんですけどね。アメリカのいくつかの国立公園で彼らの仕事ぶりに触れましたが、本当に素晴らしかったんですよ。彼らからしっかりとレクチャーを受け、彼らに入山料を払って入山したんですが、中に入るとゴミ一つ落ちてないし、自然のものを生かしたルート工作や看板作りがされていて、環境に負荷も掛からないような工夫がしっかりされている。資金と人の手をかけてちゃんと整備されている印象を受けました。僕はその時、いくつものエリアに入れるシーズンパスと呼ばれる入山料の一種を80ドルで購入していたんですが、整備のためにそのお金が使われていると思うと納得できました。同じように、富士山も環境を整備すれば、登山者は喜んで富士山保全協力金を払ってくれるようになるんじゃないか、と僕は考えています。みなさん、体力作りや登山装備などの準備を時間やお金をかけて来られますから、できるだけ気持ちよく、楽しく登頂させてあげたいし、それが良い思い出になればきっとまた登りたいな、と思いますよね。一生に一度と言わず、何度も登りたいと思ってもらえるような、その人にとって特別な山に富士山がなったらいいな、と思います。

−今、在籍している方はみなさんガイドさんですか。

 ええ。富士山には私の先輩ガイドたちが築き上げた歴史があり、知識と経験に基づいたノウハウがあります。私たちはその知識や経験、体力を活かして活動をしています。しかし、ガイド経験者にこだわっているわけではなくて、富士山が好きで、富士山のことを前向きに考えてくれる人たちと協力しながら活動していきたい。今後、富士山保全協力金の徴収員や山頂直下の渋滞を回避するための誘導員の仕事をさせていただく場合や、パトロール隊を結成することになった時には、富士山の気候や土地勘、救助などに精通したガイドや富士山レンジャーを卒業した人たちに協力してもらいたいと考えています。富士山のプロフェッショナルである彼らのノウハウやスキルがあれば安心ですし、そういった人たちが長く富士山で活躍できる場を増やしていきたいと思っています。

社会人になり県外へ出て、富士山に登れるんだと知った気がします(苦笑)

−初めて富士山に登ったのは22歳の時だそうですね。

 小さい時から毎日のように見ていましたから、富士山は生活の一部なんですよ。だから当時は、富士山をきれいだな、と毎日思うようなこともありませんでした。でも高校を卒業して県外に出て、自己紹介で「富士山の麓で生まれ育ちました」と言うと「富士山、きれいだよね」とか「富士山、1回登ってみたいんだ」という声がたくさん返ってくる。そこで、ハッとしたというか。まず「あ、そういえば富士山、登れるんだっけな」と(苦笑)。

−えっ(笑)。

 登っている人は、周りにほとんどいませんでしたからね(苦笑)。スポーツやアウトドアは好きだったので、私も人生で1回くらいは富士山に登ろうと思って、地元の友達を誘って登ったのが22歳の時です。時間の配分がよくわかっていなかったし、翌日の昼まで五合目に戻らなければいけないという友達に合わせ、八合目で断念しました。登頂できる体力は、十分私には残ってましたけどね。

−悔しかったのでは?

 全く悔しくなかったです。それよりも富士山に登った、という感動と充実感が大きかったです。3000メートルを超えた登山道から自分の家の辺りが見えて、時間の流れが全然違う場所がこんなに身近にあったのか、と感慨深いものがありました。それを機に、富士山の見方も大きく変わったし、翌年から同級生や知り合いを集めて富士山に登るようになったんです。「辛いからもう登らない」という人がほとんどでしたけど、私は登るたびに深まる充実感や達成感が癖になったというか・・。ある年、「そんなに富士山に登りたいならガイドをやれば?」と知り合いに勧められ、研修を重ねてガイドを始めました。

−これまでに何回くらい富士山に登っているんですか。

 多分、500回近いと思いますよ。

−そんなに!? 飽きたりしませんか。

 飽きませんね(笑)。景色も毎日違いますし、何より、お客さんが毎回違うのが、飽きない理由のような気がします。なぜ富士山に登ろうと思ったのか、というドラマはお客さんそれぞれに違うんですよ。そのドラマに寄り添い、登頂したいというお客さんの思いを手助けできるわけですからやりがいもありますし、自分にとって、これほどいい仕事はないな、と思っています。

−ガイドとしての活動も、並行して続けられるわけですね。

 はい。私も富士山に登って人生が変わりましたから、富士山に登ろうという方のお手伝いを、これからもしていきたいです。個人的な目標は、年配の方やお子さんのような、年齢的、体力的な理由で富士登山を諦めている人たちのお手伝いをすること。あと、富士山に登る気のない地元の人を、その気にさせたいとも思っています。私もかつてそうでしたが、地元の人が富士山に興味を持てば、富士山はもっとよくなるはずだと思います。2月には、生徒たちが富士山の歴史やみんなが生活する町と富士山の関わりを勉強してきた地元の吉田小学校の全校集会で富士山の話をする機会もいただいています。毎日のように眺めている富士山に登りたくなるような話しができたらいいんですけどね。今後はそういう活動も増やしていきたいです。

−富士山に登ることで、なぜ人は達成感を得られるんでしょうね。

 見るだけで感動していた、日本一の山に実際に登った、自分の体力や思いと向き合い、厳しさを乗り越えられた、ということが大きいんだと思います。富士登山では、私も含めてお客さんも、自分自身と向き合う瞬間が何度もあります。状況が厳しくなればなるほどそうなります。でも辛ければ辛いほど喜び、感動、達成感は大きい。これはもう、登った本人しか味わえないものだと思います。

−一番好きな富士山を教えてください。

 姿なら河口湖の大橋から忍野村の内野にかけた場所から見る富士山。きれいな末広がりでいいんですよ。雰囲気なら紅葉台から見る富士山ですね。富士山の麓に樹海が広がっていて、今、自分は1200年前にできた手つかずの森と富士山を目にしているんだと思うと、時空を超えているような不思議な感慨が湧き上がってきます。緑が一気に濃くなる、春の息吹を感じさせる登山シーズン直前の富士山もいいし、人を寄せ付けない神々しさを感じさせる冬の富士山も好きですし・・。一番はちょっと、決められないですね(苦笑)。

太田安彦
おおたやすひこ

1982年4月9日 富士吉田市出身 高校卒業後、県外で就職。その後、地元に戻り、26歳の時に富士山の登山ガイドに。以来9年間、毎シーズン多くの人をガイドし、富士山登頂の手助けをしている。より安全で快適な富士登山の環境整備に寄与しようと、昨年、一般社団法人ヨシダトレイルクラブを立ち上げた。山が好きで、クライミングや雪山登山も楽しむ。

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家

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