−いつ頃から富士山をイメージした香水を作りたいと思っていたんですか。
いや、そもそも私は香水を作ろうと思っていたわけではないんです。ただ、世界遺産登録の話が浮上した頃から、もっと富士山の素晴らしさを世界にアピールするためのいい方法はないだろうか、と考えていましてね。そこでたまたまフランス人調香師のアラン・ベルジュさんとのご縁をいただいたのがきっかけでした。アランさんは親日家で毎年のように日本を訪れていて、すでに富士山をイメージした香水の試作も作られていた。それを商品化してくれるところをアランさんも探していらしたんです。
−双方にとって願ってもない出会いだったわけですね。もともと香水にも興味がおありだったんですか。
十数種類持っていたこともあります。ただ、香水の香りが時間の経過とともに移り変わることは知りませんでした。アラン・ベルジュさんや香水に詳しい方々からそういう話を伺って、その移り変わりを富士山の頂上から麓の一合目に降りていくというコンセプトにしたい、と考えたんです。富士山ならではの多様な自然環境を基調に、山頂のオゾンな香りから富士山の森に生息しているコメツガやブナの香り、最後には富士山の湧水の香りに変わっていく、というふうに。アランさんの試作をもとに約1年、何回かやりとりを重ねて完成した香りがParfum fujiです。まろやかで、年齢性別問わず使っていただける香りだと思います。
−先ほど嗅がせていただきましたが、途中で柑橘系な香りが立ってきたのも印象的でした。
富士山の森にあるコメツガという木の葉っぱは、潰すとグレープフルーツのような香りがするんですよ。Parfum fujiを作るにあたっては、賦香率と呼ばれる香りの成分の濃度にもこだわりました。富士山の名前をつける商品ですから、濃度の薄いオードパルファムやオードトワレにはしたくなかった。パルファムと呼ぶには賦香率15%以上が必要ですが、賦香率を20%にしてもらいました。
−どんなふうに楽しんでもらいたいですか。
香りには、その香りにまつわる記憶を思い出させる“プルースト効果”がありますから、国内外から富士山やその周辺地域に来られた方にお土産で買って帰っていただいて、ご自分のホームタウンでParfum fujiの香りを嗅いだ時に富士山やその周辺地域を旅したことを思い出してもらえたら嬉しい。また遊びに行こう、と思ってもらえたらもっと嬉しいですね。例えば、今回は静岡側に行ったから、次は山梨側に行ってみようとか。Parfum fujiを扱っているお店のほとんどは富士山周辺地域。できればまた富士山周辺に来ていただきたい、というのが私の一番の願いです。
−いつ頃から富士山を意識するようになったのでしょう?
私は子どもの頃からずっと富士山を見ていますから、富士山はほとんど意識してきませんでしたね。もちろん、富士山が日本一なのは知っていましたけど、だから何? という感じで。初めて富士山を意識するようになったのは、アメリカの大学に留学させてもらった時です。アメリカ人に「富士山はすごくきれいだね、きみは富士山のことをどう思ってるの?」と訊かれて、えっ? と言ったきり黙ってしまった(苦笑)。意識していなかったから答えられなかったんです。でも、考えてみたら富士山のようにきれいなシルエットの山は世界中どこを探しても他にない。その富士山の姿を間近に見て育った自分はとても恵まれていたな、と思ったし、ありがたかったな、と思いました。
−帰国してからは、見方が変わったりも?
毎日眺めるようになりましたね。富士山を意識し始めると、富士山が毎日違って見えるんですよ。単なる感覚の違いなのかもしれませんが、昨日の富士山と今日の富士山の大きさが違って見えたり・・。やっぱり、冬の雪の積もった富士山がきれいですね。あと、年に何回かしか見られない赤富士もきれいですよ。雲がふわっと輪っかみたいにかかっている富士山もいいし・・。毎日違うし、どの富士山もいいですね。
−富士山に登られたことは?
1度あります。言い出したのは父で、高校生の時に家族で登りました。富士山を意識する前でしたから、富士山に登るありがたみはなかったですけどね。
−その時のことで印象に残っていることはありますか。
八合目の山小屋に着いたのが夜で、その時に見た夜景がとてもきれいだったのを覚えています。翌朝、ご来光を見に山頂まで行く予定でしたが、夜中から急に嵐になってしまったので、結局、頂上へは行かず、そのまま帰ってきました。
−いつか山頂でご来光を、という気持ちにはなってないですか。
なってないですね(笑)。これだけ意識しているのに、登ろうという気にならないのは何故なんだろう。五合目までは、家族と一緒によく行くんですけどね。五合目の売店にParfum fujiを置いていただくことも多いので、その様子を見に行きがてら富士山も見ながら、みたいな感じで。
−お父上のように家族で一緒に登ってみよう、とも思いませんか。
ああ。子どもは今まだ7歳と4歳なので、もう少し大きくなったら一緒に登るのもいいかもしれないですね。自分のために登ろうとは思わないけど、子どもたちと一緒に、となると、登る決断ができるんじゃないかな(笑)。
−社長に就任されたのはいつですか。
11年前です。今、思い返して、父親の跡を継ぐ時にもっとこうしておけばよかった、と思っていることがあるんですよ。私は小さい頃からいずれ父の会社に入って社長になるんだろうと思っていたし、大学卒業後は、他の会社を経験しないままこの会社に入った。言ってみれば、敷かれたレールの上をずっと歩いてきたわけで、自分でこれがしたいとか、そのために何をしたらいいか、というのをあまり考えてこなかったんですね。だから社長になった時も、会社を成り立たせるために必要な利益をいかに上げるか、ということを何より意識していた。それは間違いではないんですが、本来なら、ミロクという会社が出来てきた歴史とか会社の理念、ビジョンのようなものをちゃんと腹に落としてから利益を考えるべきだったと、今、思います。父親が社長だった頃には、社員旅行や社内リクリエーションがたくさんあったのに、社長が私に変わった途端、それは売上や利益のプラスになるのか、と考えちゃうわけですから、冷たい社長だったと思います(苦笑)。今は、あの頃、こうしておけばよかったな、と思う以上に、社員の福利厚生を考えてやっているつもりです。
−富士山の天然水も販売されていますが、あれは古屋さんが始められた事業だったりするんですか。
違います。販売しているのは富士山、伊豆、箱根の天然水と修善寺の温泉水の4種類です。どれも富士箱根地域の特徴のある天然水です。
−こちらの富士山の水にはどんな特徴が?
富士山の水にはバナジウムと呼ばれる、健康効果があるとされているミネラルが含まれているんですが、ミロクの富士山の水にはバナジウムが130マイクログラム入っています。数ある富士山のバナジウム水の中で、含有量は一番多いですね。ミロクの天然水の販売は地元のみ。観光客の方がどこかでミロクの天然水に目に止めて、せっかくだから地元のお水を飲んでみよう、と思っていただけると嬉しいと思っています。
−今のお話にも、古屋さんの地元愛を感じます。今日はあいにくの天気ですが、本来ならこの窓から富士山が見えるんですよね。
ええ。富士山がきれいに見える日は、つい見とれてしまって、仕事が進まないですね(笑)。富士山のこんなに近くに住んでいて、毎日のように富士山が見られるというのは、私の一番の自慢です。
−富士山が古屋さんの生き方に影響を与えたり、自分がぶれたり悩んだりした時の指針になったりすることはありますか。
ないですね。
−悩んだり迷ったりした時にはどうするんですか。
今、私の判断基準になっているのは、相手や自分以外の人が喜んでくれるかどうか、です。2年くらい前まではそうではなかったんですけどね(苦笑)。自分が楽しむためには、周りに楽しくなってもらえばいいんだ、と気づいて変わりました。ただ人それぞれ感覚が違いますから、相手が喜ぶだろうと思っていても、押し付けになる場合がある。そこだけは気をつけないといけないと思っています。
−最後に、社長としてのモットーを聞かせてください。
あまり考えたことはないですけど・・。社員が幸せになることが一番だ、と思います。金銭的な面だけじゃなく、人生が幸せになると一番いいですね。
1973年6月5日 神奈川県川崎市生まれ 血液型はA型。小学校2年生の時に株式会社ミロクの本社移転とともに三島市に転居。県立伊豆中央高校卒業後、アメリカの大学に留学。卒業後は株式会社ミロクに就職。2002年から2006年まで上海へ。その後、代表取締役に就任。趣味はゴルフ。2014年に販売を開始したParfum fujiは2015年の“香り1グランプリ”でグランプリを受賞している。
http://www.parfumfuji.jp/