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富士山インタビュー

富士山を見るたびに、視野、視点について考えさせられています

30年以上食肉事業に携わり、昨年、米久(株)の社長に就任された御園生一彦さん。
国内外でさまざまな経験をされてきたからか、丁寧さの中に肩肘張らない大らかさと懐の深さを感じさせる方でした。
また同時に、社長室よりも現場を身近に感じる人ならではの軽やかさも纏っていたのでした。
写真:吉永貴満/取材・文:木村由理江

2015年から全国的にCMを展開。徐々に認知度を高めているところです

−食肉加工卸業として1965年に創業されたのが、会社の始まりだそうですね。

 米久という屋号は元々、米穀商だった近江商人の竹中久次さんが、米屋の久次ということで名乗られていたものです。その竹中さんが明治維新後に増えた外国人の「肉を食べたい」という要望に応えて、牛の食用肉を販売したらそれが大変よく売れたそうです。食用肉の需要がどんどん高まっていったので竹中さんは東京に移り、米久という屋号で肉の卸小売店と牛鍋屋を開店し、その後、竹中さんの事業をいろんな方がのれん分けという形で引き継がれました。当社の創業者も、のれん分けを受けた会社のひとつで働いていて、その会社から“米久”という屋号をのれん分けでいただいて創業した、と聞いています。

−それでお肉を扱っているのに社名に“米”が入っていたわけですね。

 その竹中久次さんは、食用肉の需要の高まりとともに増えていた東京の食肉加工場の統廃合など、食用肉の流通の基礎づくりに大変な尽力をされたということで銅像が建てられましてね。以前は東京芝浦市場内に置かれていましたが、市場が整備される時に「ぜひに」とお譲りいただいて、今、本社敷地内に設置しています。年に1度、竹中久次さんの供養祭をさせていただいています。

−米久さんは今も、食用肉の卸、加工品の販売をされているんですよね。

 六穀豚や大地のハーブ鶏などの国産ブランド豚及び鶏、さらに岩手めんこい黒牛といった国産ブランド牛を子会社や関連会社、また農家さんと提携して飼育し、それを食用肉にして卸したり加工品を作っています。また、海外から食用肉を輸入し、販売もしています。

−加工品は、いつ頃から作られているんですか。

 創業当時、焼豚を作って売り歩いたのが始まりです。当時はお肉屋さんが自家製焼豚を作ることが当たり前でしたが、その仕事を当社が請け負い、お肉屋さんに焼豚を販売していたんです。味も良かったんでしょう。その後、その取引が徐々に拡大し、焼豚だけでなくハムやベーコンなどを作ってお肉屋さんや量販店さんに販売するようになっていきました。そういうお肉屋さんの裏方業務で大きくなってきた会社だと言っていいと思います。今も量販店さんはもちろん、大手コンビニさんなどに向けた業務用の商品が多いです。

−私が初めて知った米久さんの商品は「御殿場高原あらびきポーク」。女性アイドルグループを起用したCMがきっかけでした。それまでCMの全国展開はされていなかったんですか。

 「御殿場高原あらびきポーク」のCMは、それ以前から静岡県内や東海地方を中心に放映していましたが、全国規模の放映は2015年からです。今年の春からは、そのおいしさをよりお伝えできるよう、俳優の松重豊さんに、お殿様に扮してもらいCMに登場していただいています。これから徐々においしさの認知度を高め、商品を全国に広げていきたい、と思っているところです。

−“私たちは食の歓びを創造し、人々に豊かなくらしをお届けします”というのが米久さんの経営理念です。“感動を創る”ともうたっていますね。

 おいしい! と思っていただけるものをお届けすることを懸命にやり続けていくだけだと思っています。そうでないと、消費者の方はもちろん、屋号に対しても、先輩に対しても申し訳ありませんから。手前味噌ですが、加工品に使う塩を自社でオリジナルブレンドしたり、味をまろやかにするために、他社ではほとんど入れない牛乳をソーセージに入れたりしていますから、ものづくりには非常にこだわっていると思います。

2014年から新入社員研修の最後に富士登山をしています

−CSR活動もいろいろされていますね。社員の方たちで地元の環境整備活動もされているとか。

 富士山こどもの国内の森林の間伐や草刈り、沼津の千本浜の清掃などですね。発祥の地・沼津を中心に、取り組ませていただいます。浜の清掃には社員のお子さんたちも参加してくれています。

−富士山世界遺産国民会議が運営する、富士山保全のための富士山基金にも寄付をいただいています。

 創業の地の沼津は富士山の麓にありますし、1979年から静岡放送で始めた天気予報に登場している米久のキャラクターの“ソーセージおじさん”は、富士山の麓のおいしい村に住んでいるという設定です。また“御殿場高原”とついた商品がいくつかありますが、実は御殿場高原というのは実在しない地名で、パッケージの山の絵は“御殿場高原と聞いてイメージするもの”ということで、当社の商品開発者が自分の心の中にある富士山を描いたものなんです。とにかく米久にとって富士山はとても大事な存在ですし、米久で働くみんなも富士山をとても大切に思っているので、富士山を守るために何か協力させていただければ、と思い2009年から毎年、富士山応援商品の売り上げの一部を寄付してきました。去年からは富士山の標高にちなんだ金額を寄付させていただいています。

−ありがとうございます。

 あと、今年で4回目になりますが、新入社員研修の締めくくりとして富士登山をしています。今年は新入社員52名と社員のサポートスタッフ、山岳会の方の計72名で登りました。登頂が目的ではないので、自分の体力に合わせてやれるところまでやる、登れなくなったらそこで戻ってきて構わない、という富士登山です。一緒に登る仲間たちと助け合いながら登り、つながりを深めてくれるといい、と思っていますね。

−御園生さんの新入社員への言葉が、とてもわかりやすくて印象に残りました。どんな思いでお話しされたんですか。

 ワクワクしながら仕事をしてほしい、受け答えはハキハキしてほしい、動きはキビキビしてほしい、そして最後に、キラキラしてください、という話をしました。でもそれは新入社員だけではなく、自分も含め、社員全員に向けた言葉でもあるんですよ。歓びをお届けする、感動を創るとうたって消費者の方に食べていただく商品を扱っているわけですから、働いている人がキラキラしていた方がいいだろうと思います。

−ところで、御園生さんご自身は富士登山の経験はおありですか。

 すみません(苦笑)。本当は新入社員と一緒に登りたい、と思っているんですが、今年も都合がつかず・・。来年はぜひ、一緒に登りたいと思ってます。それまでにちゃんと体力をつけておかないと。

子どもの頃、新幹線の車窓から見た富士山が印象に残っています

−御園生さんは昨年、米久(株)の社長に就任されましたが、三菱商事に入社以来、ずっと食肉畑を歩いてこられたんですね。

 就職活動をしていた頃は勉強不足で、商社がどんな仕事をするところかよくわかっていなかったんですよ。それで入社が決まった時に「何がやりたいか」と聞かれて、人間がいる限り無くならないだろうという単純な発想で「衣食住に関することを」と答えたら、畜産部のビーフチームに配属になりましてね。日本では海外から牛肉を輸入して販売する、海外では牛を飼育し、食用肉にし、それをその国内で販売するだけでなく日本や他の国に輸出する、また食用肉に関する会社の経営というような業務に携わらせてもらってきました。

−横浜のご出身だそうですが、子どもの頃、富士山はご覧になってましたか。

 母が、今は浜松市になっている春野町(現浜松市天竜区春野町)の出身でして。そこからは全く富士山は見えないのですが、母の実家に遊びに行く時に新幹線から富士山を見ていました。新幹線に乗ること自体が楽しみでしたし、車窓から見た富士山もとても印象に残っています。今でも新幹線の指定席を取る時にも選ぶのは富士山が見える側です。最近ちょっと、日当たりを優先するようになっていますが・・(苦笑)。

−今、日々、間近に富士山をご覧になってどんなことを思われますか。

 富士山を見るにつけ、その存在感の大きさを感じますし、いつも視野と視点ということを考えさせられます。例えば、今、私が住んでいるところからは富士山が五合目から山頂までよく見えますが、この本社ビルからは、どんなに見上げても見えない。富士山に近すぎて、愛鷹山に遮られてしまうのです。上の階からでも、見えるのは山頂あたりだけ。どこから見るかで、見え方は全然違ってくる、ということです。これは、仕事にも通じる話だと思います。組織というのは基本的に縦型ですが、米久という会社は、動物の飼育や世話をしている人たち、また食肉や製品を作り、運搬するなど、それぞれに役割を果たしてくれている人たちがひとつになって成立しているわけですから、横のつながりも重要です。その縦と横を、どこから、どう、そしてどこまで見て仕事ができているのか。山頂を見上げることも大事だけれど、全体を見る、時には俯瞰して見るということも意識してやっていかないと・・。今年5月の朝礼でも、縦の糸と横の糸を、という中島みゆきさんの「糸」の歌詞のような話をさせてもらいましたが、富士山を見るたびに、考えさせられることですね。

−一番好きなのは、どんな富士山ですか。

 御殿場高原シリーズの商品パッケージに使われている絵のような富士山です。私の心の中にある、子どもの頃に見た富士山のイメージに一番近いんですよ。どの時期の富士山も、どの場所から見る富士山もそれぞれにきれいで印象的ですけどね。冬はくっきりと顔を出していただけますが、今の時期はなかなか顔を出してはいただけない。でも毎日見ているからこそ、ちょっとした変化もよく感じます。そういえば沼津の千本浜から見る富士山も格別ですよ。全体がきれいに、しかも近くに見えますからね。

−自社の製品はよく召し上がりますか。

 自分で料理してよく食べています。冷凍食品のチャーハンに当社のももハムや焼豚を切って入れるとぐっと高級感が増しますし、道場六三郎さん監修の水餃子も、一度ゆでて冷やしたものをそうめんや冷やし中華に入れると、鍋に入れるとは別のおいしさがあります。ぜひ、試してみてください。

御園生一彦
みそのうかずひこ

1960年6月15日 横浜市生まれ 1984年、三菱商事(株)に入社。その後、オーストラリア三菱商事会社、Indiana Packers Corporation社Vice President Corporate Planing、(株)ジャパンファーム取締役、三菱商事(株)飼料畜産ユニットマネージャーを経て、2013年、伊藤ハム(株)執行役員に。その後、同社取締役常務執行役員となり、2016年4月、米久(株)の社長に就任。「できるだけ現場に」と就任後は日本中の営業店を回る。社長としてのモットーは「誠実に、正直に」。伊藤ハム米久ホールディングス(株)の常務取締役執行役員でもある。休日はスポーツクラブで汗を流す。

米久株式会社HP:http://www.yonekyu.co.jp

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家
小山真人静岡大学 教授 理学博士
勝俣克教富士屋ホテル 河口湖アネックス 富士ビューホテル支配人

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