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富士山インタビュー

山頂火口を初めて見た時には、涙ぐんでしまいました(笑)

小山真人さんは“うさはかせ”の異名を持つ火山学者。山の中を歩き回って調査する姿を野うさぎに重ねているそうです。
それだけでなく“うさはかせ”という響きの柔らかさはどこか、小山さんの人柄にも通じる気がしました。
解説もとてもわかりやすく、火山としての富士山が一気に身近になりました。
写真:吉永貴満/取材・文:木村由理江

今の富士山を私たちが目にできていること自体が奇跡

−火山に興味を持たれたのはいつ頃ですか。

 大学で古い時代の地質の調査をしていて、その後、大学院の博士課程で東大の地震研究所にいた時に、火山関係の先生たちと交流するようになってからですね。その先生たちに噴火の現場に連れて行ってもらっているうちに、自然と興味が湧きました。生きている地球の姿を直接見られますし、古い地層がどうやってできたのか、その理解も深まりますからね。ダイナミックな地球のことを調べるのは、おもしろいですよ。

−富士山の研究を始めたのは?

 90年代からです。当時、日本の歴史時代の噴火記録をきちんと調べて火山学的に読み解く研究がかなり遅れていたので、私が代表のひとりとなって学会の中に研究グループを立ち上げました。その際、私は地元史料にアクセスしやすい富士山について調べることになったわけです。富士山は歴史時代に2回、大きな噴火をしています。貞観噴火(864年)と宝永噴火(1707年)です。それに関する記述のある古い記録をすべてひと通り調べた上で、地形や地質についても不足していた部分を補ったりして精度を高めながら、噴火の全体像を明らかにしました。

−その中で何か、驚くような発見はありましたか。

 貞観噴火は、実は宝永噴火より噴出したマグマの量が2倍多い、とても大きな噴火だったということがわかり、共同研究していた人たちと一緒にびっくりしました。また宝永噴火については、西は伊勢から東は千葉の佐原までの広い範囲に信頼性の高い記録が残っており、江戸時代の人々がいかにきちんと噴火を観察・記述していたかを知って、とても感心しました。おかげで16日間続いた宝永噴火がどういう噴火で、何が起きたか、どんな影響があったかが克明にわかり、噴火時の被害想定やハザードマップ作成に活かすことができました。

−火山としてはどんな特徴がありますか。

 地球の歴史は46億年ですから、地質学的に富士山は、まだ誕生から10万年しか経ってない、できたての火山です。しかしそのわずか10万年の間にすでに500立方キロメートルという途方もない量のマグマを地上に出している。そんな火山は地球上にそんなに多くありません。しかもきれいな円錐の火山に成長した。地球上の特異点、と言っていいですね。富士山は、休み休み噴火しながら円錐形の巨大な山体を育てていく成層火山なわけですが、円錐は崩れることもありますから、かなりの条件が整わないと、富士山のようにきれいで巨大な円錐はできない。山頂火口から大量の溶岩を流したこと、その溶岩の粘り気がちょうど良かったこと、山頂火口の位置が安定していたこと、土台の標高がもともと高かったこと、頻繁に噴火して浸食で生まれた傷をすぐに修復してきたこと、そしてその何度目かの修復を終えた絶妙のタイミングで私たちが文明を築いたことなど、いくつかの幸運が重なったため、と考えています。つまり、あの姿を今、私たちが目にできていること自体が奇跡なのです。

−2011年3月の東日本大震災直後の富士宮の地震にはひやりとしました。今、火山としての富士山はどういう状態なのでしょう。

 富士山は300年あまり、記録に残るような噴火はしていませんが、確かに東日本大震災の4日後の3月15日に富士山の真下で起きた地震(マグニチュード6.4)にはびっくりしました。実際、宝永噴火は宝永東海地震の49日後に始まったので、少なくとも数ヶ月間は警戒する必要があると思って見ていましたが、特段の異常はなく、もう当面の危機は過ぎたと思っています。昔と違って今はきちんと観測の網がかかっているので、規模の大きなマグマ活動の異変が起きれば事前にそれを知ることができると思います。いずれにしても、登山する人は最低限としてヘルメットを持参してほしいですね。噴火しない場合でも、地震で落石が起きたら大変危険ですから。

人や社会の営みを絡めることで、富士山はより魅力的に見える

−富士山とはどう付き合うのがいいとお考えですか。

 本来富士山は複合遺産になるべきもので、文化遺産としてだけ指定されたのは不幸なことだったと私は思っています。富士山の素晴らしい自然を、もっと大切にしてほしい、というのが私の願いです。文化遺産になったおかげで富士山の景観は大事にされてきていますが、景観だけにとどまらない山麓の貴重な自然をきちんと守る意識が生まれてほしいと思います。例えば、白糸の滝も自然の奇跡的なバランスによって誕生した滝ですから、文化遺産としてだけじゃなくて生きている自然として、滝が枯れないように、上流の水脈や水源も含めてシステムとして保全してほしいと思います。

−ちなみに、どこまでを富士山の麓と考えるといいのでしょう。

 溶岩が流れて到達している場所はすべて麓でしょうね。西は富士川を超えた辺り、山梨の方だと都留、大月の先まで、静岡だと三島の南まで。土石流が流れた先まで考えると、小田原や相模川沿いも含むことになるでしょうね。いずれにしても、地下水も含めて富士山から流れ出したものが到達している場所は富士山の麓であり、富士山の影響下にあると考えた方がいいと思います。

−そこには、富士山が噴火したことで派生した人々の営み、文化、習慣がある、ということでしょうか。

 そうですね。火山とともに生きてきた文化、産業、特産物があるということも含めて火山の産物である、ということを理解して暮らしてほしいと思います。富士山を火山として深く理解できれば、防災に必要な知識は自然と得られていくでしょうしね。

−なるほど。自分が生まれた場所、今、自分が身を置いている場所を地球の成り立ちや歴史の中で捉えるとものの見え方、感じ方が変わりそうな気がしてきました。

 まさにそうだと思いますし、それはジオパークの思想にも通じますね。例えば、富士宮という町が生まれて発展したのは、火山の噴火と活断層の力が協力しあったからです。昔は、流れた溶岩が裾を引いて富士川まで到達していましたが、富士川河口断層帯が動いて富士山と富士川の間に丘(星山)を作り、その丘が土手になってその後の富士山の溶岩を全部堰き止め、湧水あふれる平らな土地を作った。そこに作物が育ち、人が住めるようになった場所が富士宮です。そういう場所が富士山の周辺にいくつかありますので、そうした大地の恵みを実感して暮らすとよいですよ。

−なるほど。

 富士山は、かなり遠くからも見えるし、写真でも絵画でも、どこに入っていても絵になります。何か別のものに注目していても背景に富士山があるという写真を、私は必ず撮ります。人や社会の営みを絡めることで富士山はより魅力的に見えますからね。北斎が富嶽三十六景を描いた気持ちが、よくわかります。

宝永山だけでなく、そばにある宝永火口にも気づいてほしいですね(笑)

−浜松のご出身ですが、子どもの頃、富士山はご覧になっていましたか。

 冬のお天気がいい日は見えてましたね。遠く、山の向こうに、ですけど。親に連れられて御前崎に行く時とか新幹線で近くを通ると、その大きさにびっくりしていました。近づけば大きく見えるのは当たり前ですけどね(笑)。

−最初に富士山に登られたのはいつですか。

 中学生の時です。静岡県内は多いですよ、学校の行事で富士登山というのが。ただ、その時は残念ながら途中で嵐になって、九合目の手前で諦めました。初めて登頂したのは高校1年の時ですね。確かボーイスカウトでキャンプに行った時です。きつかったけど体力があったから、五合目から山頂まで3時間半という、今から考えるとすごいスピードで登った記憶があります。その次に登頂したのはずいぶんあとの2000年くらい。火山の研究者になってからです。それまでも麓にはよく調査に行っていました。山頂近くは荒れ地になっていて火山灰とかがあまり残っていませんが、麓には調べることが多いのでね。

−久しぶりに、しかも火山学者の目で見る山頂はいかがでしたか。

 その時も天気がいまひとつでしたが、翌年に再度登頂したらとても天気が良くて、すごく感激しました。ただし、周りの景色じゃなくて、山頂火口を見て感激して涙ぐんでいた、という(笑)。

−何がそんなに感動させたのでしょう。

 初めて見た富士山の火口の内面には山頂噴火の歴史が刻まれていたわけです。そこに見える地層の積み重なりから、ああなってこうなって、というのがいろいろわかる。それは感慨深かったですね。

−見所のポイントもいろいろあげられていますが、個人的にはどの時期に、どこから見る富士山がお好きですか。

 火山学者ですから、やはり雪をかぶってない時の方が、地形や地層がよく見えていいですね。どこから、というのは難しいですよ。特定の方角からしか見られないものが多いので。でも宝永噴火をとくに研究してきた人間としては、やっぱり宝永火口があって、その上に山頂があるという富士山が一番好きですね(笑)。富士山の内部構造がしっかりと見える大沢崩れもダイナミックだし、富士山が古い土台の上に載っているのがわかる山中湖側から見るのもおもしろいですけどね。

−火山学に疎い人間が、これから富士山を始めとする火山を見る時にこれを意識するとこれまでとは違う目で見られるよ、というヒントはありますか。

 完全な円錐形じゃないところですね。あちこち飛び出たり凹んだりしているのは、それぞれに意味がある。そこに噴火や崩壊の歴史が刻まれているわけなので、あれはなんだろう、何故こうなったんだろうと思って見てほしいですね。それを続けていると、だんだん見方がわかってきますよ。宝永山はわかるけれど、そのそばに大きな火口が空いていることに気づかない人が多いと思いますが、あれは300年ちょっと前の噴火でできた宝永火口だということを、新幹線から富士山が見えた時には思い出してほしいですね(笑)。

小山真人
こやままさと

1959年2月生まれ 浜松市出身 静岡大学理学部卒業、静岡大学大学院理学研究科修士課程、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。理学博士(地質学)。静岡大学防災総合センター副センター長、同大学地域創造学環ならびに教育学部教授のかたわら、伊豆半島ジオパーク推進協議会顧問も務める。過去には静岡大学教育学部附属浜松小学校長を務めたことも。趣味は旅行。最近、ドローンを使った写真撮影も趣味に加わった。「富士山 大自然への道案内」(岩波新書)、「伊豆の大地の物語」(静岡新聞社)、「富士山噴火とハザードマップ−宝永噴火の16日間」(古今書院)など著書多数。2015年にはNHKの「ブラタモリ」で富士山を案内した。

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家
小山真人静岡大学 教授 理学博士
勝俣克教富士屋ホテル 河口湖アネックス 富士ビューホテル支配人
漆畑信昭柿田川みどりのトラスト、柿田川自然保護の会各会長
日野原健司太田記念美術館 主席学芸員
渡井一信富士宮市郷土資料館館長
大高康正静岡県富士山世界遺産センター学芸課准教授
渡辺貴彦仮名書家
望月将悟静岡市消防局山岳救助隊員・トレイルランナー
成瀬亮富士山写真家
田部井進也一般社団法人田部井淳子基金代表理事、
クライミングジム&ヨガスタジオ「PLAY」経営
齋藤繁群馬大学大学院医学系研究科教授、医師、日本山岳会理事
吉本充宏山梨県富士山科学研究所 火山防災研究部 主任研究員
柿下木冠書家・公益財団法人独立書人団常務理事
菅田潤子富士山文化舎理事『富士山事記』企画編集担当
安藤智恵子国際地域開発コーディネーター
田中章義歌人
千葉達雄ウルトラトレイル・マウントフジ実行委員会事務局長、
NPO法人富士トレイルランナーズ倶楽部事務局長
松島仁静岡県富士山世界遺産センター 学芸課 教授(美術史)

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