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富士山プチヒストリア ~富士山と関わった人物録 vol.10

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写真:岐阜駅前にある黄金の信長像(この写真が撮りたくて岐阜駅で途中下車しました)
 
1582年(天正10年)武田家を滅亡させた信長は、4月10日から12日間かけて安土に凱旋する。
甲府を出発した織田信長は翌日、本栖湖周辺に宿泊。
そして12日に本栖を出発した信長は、白糸の滝を見物し、念願だった富士山を眺めたとある。
武田を滅亡させたことで実質の天下不武(統一)をほぼ手中に収めた。
日本一の山富士と日本を統一する自分の姿を重ねていたに違いない。
 
信長が好んで舞ったと伝えられる能に『敦盛』がある。
人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり。  
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。
 
その50を待たず 2カ月後の6月2日 本能寺に倒れた信長にとって
この富士山観光は激動の人生おいてひと時の安らぎだったかもしれない。
 
参照:『信長公記』

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