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富士山プチヒストリア ~富士山と関わった人物録 vol.11

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写真:人穴は富士山の西麓、静岡県富士宮市にある。
角行は人穴で亡くなったとされ、人穴は富士講の「浄土」とされた。
 
江戸時代に「江戸八百八町、八百八講」といわれたほど盛んになった富士講。
霊峰富士山への信仰が広がるにつれて、お金を集め代表を選び
皆の祈願を託す「講」の仕組みが出来上がる。
この仕組みが富士山信仰のための講、すなわち富士講となっていった。
 
富士講の活動を簡単に定義すると 富士山を拝むことと 富士山に登る(富士詣)ことになる。
その富士講の開祖が藤原(長谷川)角行とされる。
その思想は救世済民にあり、角行は荒行の末法力を得、祈祷の力を習得したと言われている。
 
その角行と徳川家康との逸話も残る。
家康は甲州に攻め入るが、逆に攻められて逃げ帰る。
その際、追手の軍勢から逃れたのが富士の人穴であり、
その家康を匿った人物こそが角行だったというものだ。もちろん史実ではないが、
その逸話に何かしら信憑性を持たせる力がこの角行にはあるように思えてならない。

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