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時空の旅 その2(連載vol.494)

鎌倉に住んで3年。この223マガジンに何度ともなく鎌倉の景色をお届けしている。もちろん観光地としてもメジャー級だが、その立役者がかのご隠居、「黄門様」水戸光圀(1628-1701)だということはあまり知られていない。

徳川光圀は、国史編纂「大日本史」の為に儒学者を日本各地へ派遣して史料蒐集を行っている。これが講談『水戸黄門漫遊記』になり人気を博した。

しかし本人が出向いたのは鎌倉だけで実際には漫遊していないそうだ。

あの「黄門様」が実際に漫遊したのが唯一鎌倉ということで、まあ立役者の一人と言っても間違いではあるまい。

その鎌倉を描いたのが幕府のお抱え絵師として活躍した父子、狩野伊川院栄信(かのういせんいんながのぶ)と晴川院養信(せいせんいんおさのぶ)。その父子の合作がこちら。

地元贔屓なこともあるが、この江の島のなんとも言えない江の島らしさ! もし仮に富士山が描かれてなくても、見事に江の島らしい江の島なのである。

もちろんこの時代、橋は架かっていない。江の島に最初に桟橋が架けられたのは1891年(明治24年)、丸太が打ち込まれ板を並べただけの橋だった。

その当時、板の橋は台風で流されたそうで、今の橋になったのは1957年(昭和31年)。

この時代、橋の代わりに白砂の道を歩いて江の島に向かったのだろう。そんな想像がよぎる。

さあ、皆さんも空想の旅をぜひ味わってください。

 

作者 狩野栄信(1775-1828)養信(1796-1846)
題 富士山江の島図(99.2×46.5)
出典 旅する江戸絵画(著者/金子信久)ピエブックス刊
所蔵 不明

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