この連載がスタートした頃に通った銭湯がすでにいくつも廃業している。
通うと行っても月一回程のペースがセキノヤマなので、銭湯に到着したら廃業だったことや、更地になっていた事もあった。
自宅で入る風呂と何が違うの?
と聞かれても 明確な答えはない。
気持ちいいんだよ、と言う、まるで答えにならない質疑応答を繰り返している。
窓の外が明るい時間帯に入る銭湯は極楽だ。
近所に住む常連に交じり、熱い湯にゆっくりと浸かる。
カラダを洗う→湯船に浸かる→一旦着替え場で涼む→もう一度湯船に浸かる→着替え場でドリンクを買い飲む
数十年に及ぶ銭湯ライフでこのルーティンはほぼ100%守られてきた。
今でもいくつか行きつけはあれど、富士が描かれていない湯もあり、やはり足が遠のいてしまう。
住まいのある鎌倉材木座にはまだ銭湯がある。
近所と言うこともあり、その清水湯にはよく通っている。
レトロな建物の雰囲気も最高だか、富士山でなく、金魚が描かれているのが、やはり少し残念。
一時期自宅の風呂に富士山の写真を貼って、富士見風呂を試みたが、本連載に使う気にはなれず、自ら没企画とした。
連載当初でも紹介したガイドがこちら。
秋の夜長富士山読書月間<その六>「風呂屋の富士山」 町田忍+大竹誠 共著
掲載は2011年10月5日。
その冒頭で、
『かつて、私が住んだ町、鎌倉にも実に立派な銭湯があり、浴槽の壁には見事な富士山画が描かれていた。
鎌倉に移り住んでいる間、その銭湯を残し、2軒の銭湯が町から消えており、
この銭湯にいつまで入れるかなぁと感傷的になったのを覚えている』
と書いた。
それから9年の月日は廃業を加速させた。
昭和40年代には18,000軒あまりあった銭湯も2017年には3,900軒、毎年20-30軒のペースでなくなっているそうだ。
その銭湯、歴史を遡ると『日蓮御書録』に登場する『湯銭』が1266年であると言われている。
時は鎌倉時代、鎌倉に住む私は少し嬉しい。
撮影 本人