ニュース

秋の夜長富士山読書月間<その二>「富士山―聖と美の山」上垣外憲一 著

n23_akinoyonaga002.jpg

タイトル 富士山  ―聖と美の山
著者 上垣外 憲一
発行 中公新書(2009年刊)

 


富士山本と同じくらい、歴史本が好きだ。
最近では戦国時代にはまっている。特に織田信長を中心に本を読み漁っている。

この本「富士山―聖と美の山」では富士山を文化的側面から、歴史、芸術、など多方面から解説をしてくれている。
この本文中、好きな箇所は、もちろん織田信長の富士山見物のくだりである。

武田勝頼を破った信長は、わざわざ富士山見物に出向いている。
そして富士山を眺め、「ついに日本一の名物を手に入れたわ!」と言ったとか、言わなかったとか。

信長がどこから富士山を眺めたかが、信長の伝記「信長公記」(しんちょうこうき)に記されている。
文中に「大ケ原」とあり、この本の著者上垣外氏は現在の北杜市白州町であると書き添えている。
信長にとって、富士山とは「天下一統」(統一と同じ意)の象徴だったのだろう。
富士山麓で喜びのあまり馬を狂ったように走らせる様子も公記には描かれている。そんな解説が本文にも続く。

信長以外でいえば、聖徳太子、日蓮、足利家、世阿弥、そして秀吉、家光、北斎など
歴史上の人物と富士山との関わりについて、この本は教えてくれる。
まさに富士山と文化を知るための入門書のような一冊だ。

本書最後に上垣外氏は「結語」としてこう締めくくっている。
「富士山の景観の美は日本の独占物ではなくして、世界の人々のものである」

この結語にこそ、富士山が世界遺産に相応しい答えがあるような気がする。
 

秋の夜長富士山読書月間<その一>「富士山頂」新田次郎著

no22_akinoyonaga001.jpg

タイトル

「富士山頂」

著者

新田次郎

発行

文春文庫刊(1974年刊)

 


残暑が厳しいとは言え、朝晩はすっかり秋の気配である。秋の楽しみ方は人それぞれだが、私はもっぱら読書。

この223マガジンでもこれまでに何冊か富士山関連の書籍を紹介させて頂いている。
今回の223マガジンから「秋の夜長富士山読書月間」と称し、連続10回に渡り富士山関連本を紹介したい。

私にとって、富士山 本と言えば、まず思い浮かぶのがこの本。
新田次郎著の「富士山頂」である。

富士山頂への気象レーダー建設という国家的事業を描いた物語である。
当時の記録など、史実を追いながらも、見事なドラマ仕立てに仕上げている。

富士山頂に気象レーダーが完成したのが1964年(昭和39年)。
新田次郎は昭和7年から41年まで中央気象台に勤務。
この小説は務めを辞めた後、執筆されている。
辞めるまでの間、年数回のペースで富士山観測所勤務を経験されており、
レーダー完成までの過程を、体験した本人でなければわからない感慨を持った作品として描いている。

物語はレーダー建設の資金を出す大蔵省、工事の主体者である気象庁、
そして工事を受注する建設会社という3つの立場の人たちが交錯しあう。
さらに富士山を生業とする地元の人たちを巻き込んで展開していく。

1年間で工事をできる期間は、7月と8月の2カ月間という時間との戦いも加わり、
まさに富士山に挑む人たちを描く冒険小説とも言える。
 

富士山切手コレクション その2

2001年3月30日発行の「富士山と宝飾の山梨」の切手である。
山梨県の伝統工芸である宝飾研磨技術を山梨名産の巨峰と見事に融合させた一枚になっている。

山梨県には、原石の加工と貴金属加工が一体化して栄えた歴史があり、その原石の基本であったのが水晶である。
この切手、実はイラストには水晶も描かれている。この写真では見えにくいが、富士山の下部に光るのは水晶だ。

甲斐の武将、武田信玄の財政を支えたひとつが水晶鉱山だったのは有名な話、
その水晶とダイヤモンドをアレンジし、ブドウの王様、巨峰とを一枚の切手に描いたとは、
見事な発想力と画力としかいいようがない。

開運のシンボルである水晶と富士という、これまた、どちらも開運アイテムの組み合わせに、
この切手は使わずに、ずっと切手ブックにしまったままになっている。
気が小さいせいか、使ってしまうと、運まで去っていってしまいそうな気持になるからだ。
どうして、切手を貼って手紙を送った相手の開運を願えないのだろうか?
この切手を眺めるたびに、己の小心者感にさいなまれ、微妙な気持ちになってしまう。

no21_image001.jpg
種類/ 80円郵便切手
意匠/「富士山と宝飾の山梨」
発行日/2001年(平成13年)3月30日
原画作者/市瀬 千津子
※この切手情報は発行当時のものになります。
 

富士山スノードーム

no20_image002.jpg

引き続きスノードームの話題。

スノードームの題材には世界の観光地が多い。
エッフェル塔や自由の女神、ピラミッド、旅の思い出と一緒にスノードームをお土産にするのだろう。

前述したスノードーム美術館がオープンした際、オーストリアのスノードームメーカーPERZY社と
コラボレーションの話が上った。
同社は日本ならではのスノードームを制作しようと話しを持ちかけたらしい。
そこで「最も日本らしい」ということで決まったのが「富士山」であった。

タイトルは「鳴呼!NIPPON」
富士山の前を新幹線が走っている。
実に見事な構図である。

このPERZY社は百年もの間、スノードームを作り続けている。
この会社は今でもひとつずつ手作りを守っており、量産品にはない魅力があるとのこと。
そんな量産品でないため、この「富士山スノードーム」現在は売り切れ中なのだ。
完売と聞くとなおさら欲しくなるのが人情、ぜひ再販をお願いします。

問合せ先
スノードーム美術館オンラインショップ
URL: http://snow.shop-pro.jp/

スノードーム美術館

no19_image001.jpg
スノードームなるものを御存じだろうか?

球形やドーム形の透明な容器の中を水で満たし、人形や建物などのミニチュア、雪に見立てたものなどを入れ、
揺り動かすことで雪が降るように見えるもので、世界中でお土産の定番として売られている。
世界中にはおおぜいの収集家もいるとか?
そんな世界中で愛されるスノードームの魅力を日本でも広めることを目的に設立されたのが
特定非営利活動法人日本スノードーム協会である。

上記のデザインは協会のシンボルマークである。
日本と云えば富士山、そしてスノードームの中を舞う雪が実にコントラストに描かれている。
ロゴにはSNOWDOME MUSEUMと記されている。

このスノードーム美術館は同協会が運営し、所有する4,000個あまりのスノードームの一部を展示している。
さらに、スノードームって、どうやって作るの?と言った素朴な質問にも答えるべく、
ワークショップを実施したり、イベントへ貸出するなど、いろいろな活動を通して、スノードームの普及に努めている。

そんな協会のホームページでの挨拶があまりに素敵なのでここに記そう。

過去から未来へ時を紡ぎ
その「永遠の今」を閉じ込む
タイムカプセル...スノードーム。

問合せ先
〒154‐0001
東京都世田谷区池尻2‐4‐5
IID世田谷ものづくり学校内
特定非営利活動法人 日本スノードーム協会
スノードーム美術館
TEL:03‐5433‐0081
URL: http://dmdm.cc/snow/

「旅する江戸絵画~琳派から銅版画まで」金子信久著

223magazine014.jpg

本好きだと自分では思っているが、本以上に好きなのが本屋である。
乗換の間、昼休みの途中、自宅に帰る寄り道、そのほとんどで、本屋に立ち寄っている。
そして、本屋好きの私に、ひとつの目的が加わった。それが富士山にまつわる本を探して、求めることだ。

雑誌、写真集、エッセイ、小説、ジャンルを問わない。富士山が表紙にある書籍を見つける度に、胸が躍り、レジに向かう。
そのように購入した一部をこの223マガジンで紹介させて頂いている。
今回もまた、美しい富士山の図版が描かれた一冊を発見することができた。

「旅する江戸絵画~琳派から銅版画まで」である。

旅をキーワードに115点の絵画が収録されており、富士山を題材にした作品も多い。

「人はなぜ旅をするのか?」

この本のページをめくると、その答えが見つかりそうな気持になってくる。
江戸時代を生きる人たちにとって、旅の持つ意味は、とても大きく、旅は人生におけるビックイベントだったことがうかがえる。
そんな旅の魅力がこの本にいっぱい詰まっている。
それらの作品を所蔵する美術館のクレジットも明記されている。
次は、この本を手に、美術館に飾られる富士山を巡る旅に出るとしよう。

データ
「旅する江戸絵画」
金子 信久 著
PIE BOOKS(2010年刊)

「富士屋ホテル その二」

no018_image001.jpg

昭和20年の終戦の後、富士屋ホテルは連合国軍に接収されることになる。
当時、ホテル、公共施設はもとより、空港、利便性のある広い土地は、ほとんどが接収を受けた。
相撲の殿堂「国技館」や高校球児の憧れ「甲子園」も例外ではなかった。

接収の通知を受け、富士屋ホテルは、一般の営業を停止。この接収はその後9年に及ぶ。
写真のポスターは接収の解除を告げるもの。ポスター下部には「米軍接収解除、一般営業再開のポスター」と
但し書きがある。
ポスターにはすでに終戦の色はない。色彩からも、明るい未来を目指す機運が伝わる。
富士山の姿も悠々としてそびえ、復興へ向かう日本の姿を鼓舞するように見える。
このポスターや、その他富士屋ホテルの歴史がつまった資料室が花御殿地下1階にある。
そんな歴史や裏話を学べる「館内案内ツアー」(宿泊客限定)も人気だ。

「富士山が見えない富士屋ホテル」

しかし、沢山の富士山を感じることができる。
明治、大正、昭和、平成と富士山と共に歩んだ歴史の面影とホテルに隠された富士山を探しにこの秋、
ホテルを訪ねてはいかがだろうか?

問合せ先
富士屋ホテル
〒250-0404
神奈川県足柄下郡箱根町宮ノ下359
TEL 0460-82-2211

「富士屋ホテル その一」

no017_image001.png

今回の旅の目的地は富士屋ホテル。

1878年(明治11年)に誕生した日本で始めての本格的リゾートホテルである。
改めて、言うまでもないが、このホテルからは富士山は見えない。
この地で500年の歴史を持つ、「藤屋」の名前を「富士屋」に改名し、富士屋ホテルは誕生したとある。
(富士屋ホテル公式ホームページより)

では、なぜ富士屋を名乗ったのか、それはこのホテル誕生の背景にある。
「外国人のために作られたホテル」、外国人にとって富士山とは日本の美の象徴であった。

実際のところ、富士屋ホテルは1893年(明治26年)から1912年(大正元年)まで「外国人専用ホテル」であったのだ。

富士山の眺望を売りにしているホテルや旅館は数多くある。
もちろん、富士見をしながらの温泉は格別である。しかし、富士山が見えない富士屋ホテルに行くには訳がある。
それは富士山が見えなくとも、館内のいたる所で富士見ができるからである。

上記写真はチェックインの際、荷物に付けてくれる札。
「ONLY 1 HOUR FROM TOKYO」の宣伝文句をはじめ、全てがローマ字表記になっているところが、
かつての外国人専用ホテルの名残(なごり)だろう。
デザインの秀逸さも気に入っており、ホテルを訪れる度に、必ず持ち帰って大切にコレクションしている。

問合せ先
富士屋ホテル
〒250-0404
神奈川県足柄下郡箱根町宮ノ下359
TEL 0460-82-2211

「あの巨匠の銭湯ポスター」

no016_image001.jpg

世界のグラフィックシーン、アートシーンに新境地を切り開いた横尾忠則氏が描く銭湯ワールドである。
縦横無尽な活躍というのは横尾氏のためにある形容詞だろう。
その題材にはビートルズをはじめ、三島由紀夫、高倉健など、常に時代を象徴する人物が描かれてきた。

横尾氏はかつてインタビューで自身のデザインの原点は「大衆的な図像」と語っていた。
その最も大衆的な図像がこの銭湯画に表れている。
東京都浴場組合が制作した2002年の銭湯ポスターである。図柄は「富士山と逆さ富士」である。

湯船?の中央には女性と思いきや、男性が富士山を見上げている。遠くには海水浴(もしくは湖浴)を楽しむ人たちが見える。
しかしどこからどこまでが湯船であるか、この構図からは分からない。
その「わからなさ」が横尾風なのだ。素人の説明を寄せ付けない魅力が横尾画だ。
ツベコベ言わず、ひたすら鑑賞すればいいのである。

この富士山画以外にも2003年、2004年と3年連続で横尾氏は銭湯ポスターを描いている。
尚、このポスターは現在でも購入が可能である。

問合せ先
横尾忠則作 銭湯ポスター No1
4,000円(税込)
購入先は東京都浴場組合が運営するサイト
URL http://1010.shop-pro.jp/?pid=7983453
 

「風呂屋の富士山詣(もう)で」

no015_image001.jpg
記念品の「富士山と滝」ポスター

銭湯好きな私は、東京浴場組合が主催するイベント「風呂屋の富士山詣で」を毎年、楽しみにしている。
このイベントは今年で3回を数える。

参加の目的は、都内にある10軒の異なる銭湯に入るともらえる記念品のポスター。
今年は銭湯絵師の中島盛夫画伯が描いたポスターである。

全国温泉への旅も、もちろん大好きだが、身近な温泉旅行ならぬ、銭湯の旅を日々の楽しみにしている。
身近な上、料金も安い。さらに銭湯絵に富士山が描かれていれば、富士好きにはたまらない旅になる。

第3回「風呂屋の富士山詣で」(平成23年4月10日~9月30日まで)

問合せ先
〒101-0031
東京都千代田区東神田1-10-2
東京都浴場組合 スタンプラリー係
Tel 03-5687-2641
URL http://1010.or.jp/event/

supported by