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まだ、間に合う!富士山登山認定書

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7月1日の山開きにあわせ、富士吉田市では富士山登山認定書の発行を行っている。
その認定書だが、7月中だけでも100通ちかくの認定の申請があったそうだ。
改めてその認定書を見てみよう。

富士吉田市のホームページにはこんな手順が記してある。

その一 馬返に開設する「富士山お休み処」で申請書を受取る
その二 富士山頂で本人写真撮影
その三 申請書と写真を提出
その四 登録番号入りの富士山登山認定書を発行
発行場所は
ふじよしだ観光振興サービス(道の駅富士吉田1階案内所内)
富士吉田世界遺産インフォーメーションセンター
富士吉田市観光案内所(富士急富士山駅内)

では、認定されるとどんな特典があるのだろう?

その一 富士山レーダードーム館・歴史民俗博物館・旧外川家住宅共通無料チケットをプレゼント
その二 道の駅富士吉田軽食コーナー吉田のうどん一杯無料サービス
その三 富士山の絵ハガキセットプレゼント
その四 ふじやまビール館「PLATZ」にてビール1杯サービス

おおよそこんな感じだ。
ポイントは徒歩での富士山登山であるということ。
馬返から頂上まで歩いて登った人のみに与えられる称号が富士山登山認定書なのだ。

認定書の発行期間は8月31日まで、さらに各種サービスは9月末日まで受けることができる。
認定書取得にはまだ間に合う、目指せ、富士山頂上へ!

問合せ先
山梨県富士吉田市富士山課
〒403-8601山梨県富士吉田市下吉田1842番地 Tel: 0555-22-1111(内線 404)
URL
http://www.city.fujiyoshida.yamanashi.jp/forms/info/info.aspx?info_id=4522
 

富士山一合目からの旅 その四

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今回のゴールである「女人天上」(にょにんてんじょう)に到着する。

この場所で、みんなで昼食。

かつて、富士山は女性の登山が制限されていた話は有名。

限られた年(庚申の年)のみ、修行場で7日間に及ぶ厳しい修行を終えた人だけに登山が許された。この「女人天上」は登山した女性がご来光を拝む遥拝所が設けられた場所に立つ碑である。

現在、富士山頂に登る人は、年間で30万人を超すとも言われている。

昨今の山ガールのブームで女性の登山者は増えている。仮に30万人の半数が女性だとして、約15万人の女性が富士山に登っていることになる。

すごい数だ!

女性の登山解禁は1872年(明治5年)。それまでは、この場所から富士の頂を眺めたのだろう。

時代は変わり、多くの女性が富士山を楽しんでいる。

テレビの話で恐縮だが、2010年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」でお龍が龍馬の後を追って、男装をして山に登るシーンがあった。女人禁止はしていたけど、そんな男装をして、富士山を目指した女性も、きっといたのだろう。

どうしても、富士山に登りたい、ご来光を拝みたいという強い意思は、現代の女性に間違いなく引き継がれている。

そんな会話をしながらの楽しい昼食。

どうして山で食べるお弁当はこんなに美味しいのだろう。

 

次はもう少し足を伸ばし、5合目まで行ってみよう、という約束を交わし、今回の旅は終り。その後、復路をゆっくりと下山。

富士山一合目からの旅 その三

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鈴原天照大神社(すずはらあまてらすおおじんじゃ)を過ぎ、3~40分も歩いただろうか?

「二合目」と書かれた標識に到着。

ここには見事な社殿がある。

一緒に登った人が「富士河口湖にある里宮の本殿を移築した」と教えてくれた。

そこでしばらくの休憩をとる。

登山は同じぐらいのレベル、年齢のグループで登る場合もあれば、年齢もバラバラというパターンもある。私たちの場合は後者。

当日参加も含め、総勢10名、最年長の60オーバーの女性の方から、30代のビジネスマンまで、様々な人たちが一緒に目的地点を目指している。ひたすら上を目指す登山もいいが、多めの休憩を沢山とり、みんなで持ち寄ったおやつ、果物を味わいながら、ゆっくりと足を進めている。

登る速度が遅くなる理由がもうひとつある。

 

それは、登るにつれ、景色を変えていく、多種多様な植物たちの歓迎だ。

私のような植物図鑑を一夜漬けで勉強してきた者にも、なんとなく、広葉樹が次第に針葉樹に変わってきたのがわかる。

標高によって、植物分布が変わると、その本にも書いてあったが、まさにわずか数分の距離で緑の景色が変化している。

都会にいると、季節の変化を感じるのが難しいと言うが、ここではわずか数十メートルの高さの変化で、四季が変わる様を実感できると言ったら大袈裟だろうか?

次に登る時は、昨晩見た植物図鑑を携帯しようと思う。(続く)

ラベルの中の富士山 その二

 

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ラベル画:水平 譲氏【東京美術学校卒】 

 

1929年(昭和4年)の創業以来、富士ミネラルウォーター社は順調に成長してきた。

しかし、ここにも戦争が影を落とすことになる。

1941年(昭和16年)の太平洋戦争勃発後、「敵性語」が禁止となり、

「ミネラルウォーター」の文字は「富士鉱泉」に変更を余儀なくされた。

写真は当時の貴重なラベルである。

現在、水を買うことにまったく抵抗はないだろう。

しかし、戦前から水を販売している同社にとってはどうだったか?

「開業当時から、水は売れたのですか?」

不躾な質問を同社広報室にしてみたら以下のようなお答えを頂いた。

戦前に「水を飲む會」を実施し、今で言う、通販のようなシステムで、本数をまとめて宅配していたとのこと。

現在、水の宅配はかなり普及しているが、その分野においても同社はパイオニアだった。

また、当初、皇族、華族と言った一部の限られた方から販売を開始し、

少しずつ、一般にも浸透させていった、と言うこともお教え頂いた。

ミネラルウォーターが稀有の存在であった時代から、現在に至るまで、

富士山麓で採水された天然水は日本の食卓に欠かせない水であった。

このラベルはそんなミネラルウォーターの歴史を如実に物語ってくれている。

2007年より、富士山により近い富士吉田市の標高840mの地点で採水している。 

ラベルの中の富士山 その一

  ミネラル1.jpgのサムネール画像

 ラベル画:水平 譲氏【東京美術学校卒】 

 

 

 「223マガジン」を書こうと思ったきっかけは、この(写真の)ラベルにある。

「芸術」は美術館や画集の中だけでなく、身近なところにも豊富にある、

という私の持論に沿って、そのようなアートをご紹介しよう。

 

「富士ミネラルウォーター社」のラベルである。

富士ミネラルウォーター社の歴史は、そのまま日本のミネラルウォーターの歴史と重なる。

1929年(昭和4年)創業の堀内合名会社が富士身延鉄道株式会社(現JR東海 身延線)所有の

山梨県下部(しもべ)で湧出する名水を利用し、販売を開始している。

日本初のミネラルウォーターの誕生である。

さらにこの年、富士山麓電気鉄道(現富士急行)が、大月~富士吉田間を開業。


これによって富士山が身近になり、現在の富士登山の大動脈ともなった。

奇しくも同年、東京と下関を結ぶ特急列車に鉄道省の公募により「富士」と「櫻」という名が付けられ、

「富士」の名前が一層脚光を浴びることになる。

まさに富士尽くしの年、このラベルで国産初の卓上水を売り始めた。

そんな富士ミネラルウォーター社のお宝ラベルを数回に渡り、紹介していくので、ぜひお楽しみに!

富士山一合目からの旅 その二

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禊所の案内より抜粋

古来よりここから先は、富士山の聖域とされていました。

これより先へ向かう道者は大正期頃よりここでお祓いを受け、身を清めてから山頂を目指しました。

そのため、この禊所は「オハライサン(お祓いさん)」とも呼ばれていました。

 

 

 

集合場所から車で移動し、標高1,450メートルの「馬返し」に到着。

ここからは「乗ってきた馬を返す」ほど斜面が急になることを表している。

しかも、ここは俗世間と聖域である富士山を繋ぐ「結界」でもあった。      

そんな緊張感のある雰囲気が、眠気の残る体をピリッと覚醒させてくれる。

登山を前に、参加者全員でラジオ体操をして、いよいよ出発。

「禊所」(みそぎじょ)と呼ばれる場所を過ぎ、さらに10分ほど歩くと      

「一合目」と書かれた案内が見えてくる。

この「一合目」という響きがちょっと新鮮だ。標高は1,520メートル。

「そうか、ここがやっと一合目なのだ!」という感慨がよぎる。

案内の後方には、朽ちそうな木造の建物がある。

そこには「鈴原天照大神社」と書かれている。もちろん扉を閉ざしている。   

かつてここに大勢の参拝者が訪れたに違いない。目を閉じると、

そんな賑わいが聞こえてきそうだ。

 

道幅は極端に狭くも無く、斜度もほどほどで歩き易い。

さらに、何と言っても周りの緑の深さが素晴らしい。

景色を十分に楽しみながら、仲間とも会話が弾む。

 

(続く)

  

 

  

富士山一合目からの旅 その一


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ゆっくりとした歩調で、一合目を目指す。

「五合目から登る」ことが、富士登山では普通のことだと思われている。

 しかし, これは現在の「普通」であり、昔の「普通」は「一合目から歩く」ことだった。

以前、私も五合目まではバスで行き、そこからは徒歩で頂上を目指した。

五合目からは、ひたすら岩山を登る感覚を覚えた。

この感じ方は決して私だけのものではないだろう。

富士山に登った方の大半は、「富士山は単調な岩山を登る」といった

イメージを持たれるのではないだろうか?

そんな私に「富士山は一合目からが良い」と教えてくれた方がいた。

五合目がある以上、当然一合目があることは頭では理解できる。

しかし「一合目から、ですか?」と腑に落ちないでいたら、

「富士山は岩山だと思っているだろう。本当は緑豊かな山なんだよ。

熊野古道って行ったことあるかな?」と話が続いた。

「はい、あります」と応える私。

「私はね、あの熊野古道よりも富士古道のほうが断然良いと思っている。」

そんな会話にもインスパイアされて、今回の富士古道の旅は始まった。

スタート地点は富士急行線富士吉田駅から車で約20分の「馬返し」とする。

「富士は岩山」といったイメージは、この古道を行くと、完全に覆される。

(続く)

今日も手ぬぐい!その二

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春に「出番」のある手ぬぐい。それが、この手ぬぐいだ。

図柄は「桜富士」。桜と富士山のコラボレーションは、日本人の心そのものを表わす。

この時期、私はさり気無く、且つ、これ見よがしにこの手ぬぐいを持ち歩く。

人の集まる場所などで、取り出そうものなら「おっ!桜に富士とは、これまた粋な!」

と注目が集まり、笑顔を誘うこと必定!

手ぬぐいが、単なる道具から最高のコミュニケーションツールへと変身する一瞬だ。

富士山と桜にまつわる祭りは色々あるが、今見られるとしたら、

「富士芝桜まつり」(富士本栖湖リゾート/5月29日まで)はいかが?

その名は「桜」でも、桜と同じ種ではない。

しかし、桜の名に恥じず、地を這うようにして美しい花を咲かせる。      

ソメイヨシノより遅い時期に満開を迎えるので、関東近辺に住んでいる方なら

ソメイヨシノが散ってから、もう一度「桜」を楽しむことができる。

みなさんも富士を眺めながら、ピンクの絨毯を、ぜひ堪能して頂きたい。

この手ぬぐいは、代官山にある「てぬぐい専門店かまわぬ」で購入した。

「てぬぐいごよみ」という一連のシリーズの一枚である。

 

「富士芝桜まつり」の詳しい情報は下記まで

 

http://www.shibazakura.jp/

  

 

 

  

今日も手ぬぐい その一

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春夏秋冬、ほぼ毎日、私のポケットには一枚の手ぬぐいがある。

「手を拭いてよし」、「頭に巻いてよし」、「モノを包んでよし」、

正に万能ツール、それが手ぬぐいだ。

 

とても身近な存在だが、元々はそうではなかったらしい。

手ぬぐいのルーツは、平安時代の神事装身具だった、という説もある。

昔は布が高価だったため、一部の貴族だけが使用出来たのだろう。

しかし、江戸時代以降、綿の栽培が飛躍的に盛んになるとともに、

手ぬぐいも一躍、市民が日常使いできるアイテムに変身したわけだ。

手ぬぐい好きな私は、富士柄のみを買い求めているわけではないが、

富士柄を発見すると無条件で購入してしまう。

サイズは一尺×三尺(33センチ×90センチ)が基本とされる。

ポケットサイズのアート富士である。

 

てぬぐい専門店かまわぬ

 http://www.kamawanu.co.jp/

缶バッジはお土産の王様

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六本木にある国立新美術館のミュージアムショップで、缶バッジを買った。

何とも言えない我楽多(ガラクタ)感が、たまらない。

 

「NIL(ニル)」ブランドのこの缶バッジには、

作家の内田賢吾さんか、息子の智速さんのクレジットが付く。

缶バッジのテーマは《 バッジで世界旅行? 》

メッセージ性のあるものも良いが、何と言っても、スベーニアの王様とも

言えるのは「観光地バージョン」。

中でも、「富士山缶バッジ」は一番のお気に入り。

 

これ以外にもエッフェル塔、エアーズロック、タージマハルなどが揃う。   

新作スカイツリーもヒット間違いなし。

バッジを胸に世界旅行へ行こう!

 

問合せURL

NIL    http://nilsite.com/mobile/top_menu.html

国立新美術館 http://www.nact.jp/

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