チェン・ミンさん

二胡奏者
中国・蘇州生まれ。上海にて音楽教育家の父と越劇女優の母のもとに育つ。幼い頃より父親からニ胡を教わる。上海戯曲学校では二胡を専攻。その後、上海越劇院オーケストラのメインの二胡奏者として活躍。来日は1991年。93年に共立女子大学に入学し、日本文化を専攻。97年卒業後、本格的に演奏活動を行う。2001年、東芝EMIより「I Wish」でメジャーデビュー。昨年11月に発売された最新作「恋衣」までCD5枚とDVD1枚をリリース。
知的で気品に溢れる人間性と共に指先からこぼれる二胡の音は、確かなテクニックの上に豊かな感受性がプラスされ、常に聴衆を魅了している。今後も注目のニ胡奏者である。
私が日本に来たのは91年ですが、初めて友人と河口湖に行ったのがその翌年でした。富士山は外国人にとって一番わかりやすい日本のシンボルであり、東京か らもすごく近い場所ということで、すごく楽しみにしていました。けれども、よく富士山は三度行かないとその姿を見せてくれないとも聞きます。そんなことも あってか初日は富士山見ることができませんでした。それでも、最終的にはとても美しい富士山を見ることはでき感動したのを覚えています。
もう1つ よく覚えているのは、私の母校である共立女子大学の寮が河口湖にあるのですが、入学したてのころオリエンテーションで2日間その寮に泊まりました。これか ら始まる大学生活、夢溢れるわくわくする話を富士山の麓で聞けたことが自分にとってすごく嬉しくて、その頃から富士山はただの景色ではなく、不思議な力を 感じるようになりました。
富士山は私にとってすごく好きな景色で場所なのですが、富士山を通して自然に対する気持ちが変わりました。もっと感じる ように、もっと会話するように、もっとパワーをいただいたり、そんな感覚が磨かれたような気がします。たとえば家の前のちょっとした緑であるとか、四季の 変化がきちんとと全部見えること、自分の感情と自然の関わりなど、人にとってすごく大切なものを富士山に出会って教えられたような気がします。
具 体的に言えば私は富士山に出会ってから空の模様をよく見るようになりました。それまで中国にいた頃は特にそんな風に自然と触れ合ったり感じたりすることは ありませんでした。ですから、気づかないなと思ったりしたときに、富士山に会いに行きたいなと思って会いに行ったりもしますし、私にとって富士山は単なる 山ではなくて、説明はできませんが、神秘的で、自分の気持ちと共鳴したり、富士山にお願いすることが自分の原動力になったりしています。
やはり富 士山は生きていて、そしてとても普遍的なものです。人の命は短いですけれど、富士山はずっと遥か昔から色んな時代を見てきて、そして噴火しない限りは、こ れからも私たちを見守ってくれています。自分の来世もまた富士山に登るかもしれません。そのときは狸とかになっているかもしれませんね。
私はよく 富士山のそばで作曲をします。そばにいくとても大きな力をもらいます。日本にいながら何か自分にできることがあるかと考えたとき、自分の曲を通して中国の みなさんにも富士山の美しさを伝えていけたらいいなと思っています。ですから、富士山にはぜひその普遍的な価値を今後も残していくために早く世界遺産に なってほしいと願っています。