奥田瑛二さん

映画監督/俳優/画家
1950年3月18日生まれ。愛知県春日井市出身。
79年、藤田敏八監督「もっとしなやかに もっとしたたかに」で主演デビュー。85年、熊井啓監督「海と毒薬」で毎日映画コンクール男優主演賞ほか受賞。94年、神代辰巳監督「棒の哀しみ」ではブルーリボン賞主演男優賞ほか受賞。
監督としては、01年「少女」でデビュー。06年「るにん」、そして3作目になる06年「長い散歩」は、第30回モントリオール世界映画祭でグランプリ・国際批評家連盟賞・エキュメニック賞を受賞。
子供の頃から思っていたのは、山というのは、普通、連山ですが、富士山は連山ではなく一つの山。小学校で習った歌からも「日本の富士山ってすごいんだ」 と。そのすごいものに対して、憧れのようなものを抱き、それが自分の心の中で「神格化」されていく。大人になればなる程、富士山をじっと見据えるようにな り、富士山は「自分だけの富士山」になっていく。そして富士山は「かたりかけられる山」になる。愛知に帰省する際は、新幹線から富士山が見えると、「久し ぶり。元気だった?俺は元気だよ」といつも語りかけています。
そんな富士山をずっと男性だと感じていたが、誰にも見せず独り占めしておきたいというビューポイントを見つけてからは、母のような、女性に見えてきた。それは、手を伸ばすと撫でられる様なくらい本当に素晴らしい眺め。
以前、富士山の絵を描いてほしいと依頼された時、このイメージで「富士、独居」という絵を描いた。連山じゃなく独り座る。富士山は日本の真ん中で独り座っている。それに対峙して自分も安らかな気持ちで独り座る。富士山は登る楽しさもあるけれど、愛でる楽しさもある。
ただ、今の富士山はなぜか寂しがっているように見える。戦後になって抱えた、ゴミという環境問題。一度汚れてしまったものは取り戻すのに時間がかかるし、富士山が怒ったらと考えると、とても恐ろしい。
ゴミだけではなく、人間の良くない気が集まってしまえば、神秘さが失われてしまう。つまり、「 集う人の心の問題」。これは我々人間の「 心の教育」にも関わってくると思うのでは。
我 々が与えられている富士山の水、これは「心の水」。それが涙の水に変わらないように守っていくのは、我々一人ひとりしかいないと思う。どんなものにも代え がたい美しさと偉大さがあり、人身を見守り続け独居している富士山を、我々は絶対に失わないように、一人ひとりが富士山に対して謙虚な気持ちを持つことが 大事なんだ。

富士山が世界遺産になるための課題は沢山ある。直ぐに世界遺産に登録されなかったことは、今の私たちに何が足りなかったのか真剣に考える機会を与えてくれたのだと思う。このきっかけを無駄にしないように、一人ひとりが富士山に真摯な気持ちで向き合っていってほしい。