清宮克幸さん

ラグビー/ヤマハ発動機ジュビロ監督
1967年7月生まれ。大阪府出身。大阪府立茨田高校でラグビーを始め、3年時に花園の全国大会に出場。高校日本代表にも選出される。1986年に早稲田大学入学。1年からレギュラーになり、2年時に日本選手権優勝。4年時には主将として大学選手権優勝に導く。大学卒業後、1990年にサントリー(株)に入社とともに、サントリーラグビー部に入部、1992〜94年には主将を務めるなど中心選手として活躍。2001年に引退後、早稲田大学ラグビー蹴球部監督に就任。就任後5年連続で関東大学対抗戦全勝優勝、大学選手権も3度制覇し、早稲田ラグビー復活の原動力となる。2006年、今回5年ぶりにサントリーラグビー部へ復帰。より高度で専門的なチーム育成のため、サントリーラグビー部では初めてのプロ監督として就任。ジャパンラグビートップリーグ2006-2007シーズンはリーグ戦2位、プレーオフトーナメント マイクロソフトカップ準優勝、日本選手権ベスト4、2007-2008シーズンにマイクロソフトカップ優勝、日本選手権準優勝。
富士山との出会いは、私が小学校の修学旅行で富士山5合目に行ったのが初めでした。
サントリー サンゴリアス監督初年度に、「日本一熱いチームになるぞ」と宣言しました。
宣言だけでなく、全員で一つのことをやりきって誓いをたてよう、しかも富士山頂でやろうということになりました。そう、部員全員で富士登山に挑んだのです。
2006年7月15日、その前後1週間は悪天候で、山頂は嵐でした。登頂した朝だけは嵐がやみました。
全員登頂をめざしたが、ヘリコプターによる山頂での記念撮影の約束時間に2名がまだ到着しない。霧が出てきた、ヘリは旋回して撮影タイミングを待っている。皆はハラハラしている。何とか2名がたどり着いた、その時、霧が晴れた。皆が歓喜の声を挙げた。その感動の瞬間がこの写真です。チームが一つになることができました。

下山の時、9合目付近で足を滑らし怪我をされた高齢の方に出会うアクシデント。皆の杖などで担架を作り、急坂をけが人を運びながら降りました。非常にきつかった。まさに山あり谷ありの富士登山でありました。この年、サンゴリアスが大躍進したことは言うまでもありません。
「あの富士登山があったから強くなれた」と心からそう思います。
今は毎日、練習場に来る中央道から多摩川沿いで富士を望むのが日課になりました。
雲がなく見えた時は良い一日のスタートがきれる気がします。また、サンゴリアスの初詣は府中スポーツセンターにあるクラブハウスの屋上から皆で手を合わせています。