中村吉右衛門さん

歌舞伎役者/二代目中村吉右衛門
1944年5月22日生まれ。八代目松本幸四郎(初代白鸚)の次男。
祖父の初代吉右衛門の養子となる。1948年6月東京劇場『俎板長兵衛』の長松ほかで中村萬之助を名のり初舞台。1966年10月帝国劇場『金閣寺』の此下東吉ほかで二代目中村吉右衛門を襲名。1984年度日本芸術院賞。2002年度芸術祭賞演劇部門大賞。同年に本芸術院会員。2006年度第48回毎日芸術賞、第6回朝日舞台芸術賞など多数。著書『半ズボンをはいた播磨屋』、『播磨屋画がたり』。松貫四(まつかんし)の名で『閻魔と政頼(えんまとせいらい)』、『再桜遇清水(さいかいざくらみそめのきよみず)』、『巴御前』などを手がける。
富士山は日本人にとって昔から身近な存在でした。東京に生まれた自分にとっても子供のころの昭和二十年代、都内の富士見坂、富士見町といわれる場所からはもちろんですが、様々な所から富士山がよく見えました。それが時代と共に次第に見えなくなりとても残念です。
明治時代、日本に近代医学を伝えたドイツのベルツ博士は、富士山について「誰にも冒されない威厳を持って海上からそそり立ち、われわれに挨拶をしている。」と描写しています。なぜ子供のころ、富士山の存在感を大きく感じたのか不思議に思っていました。きっと、富士山には「威厳」と「親近感」の二面性があるからだと思います。富士山がいつまでも美しく気高く存在していれば、われわれは幸せではないでしょうか。
そして、そのようにあり続けてもらうためにもひとりひとりが意識して行動する必要があります。それは、なにも難しいことをするのではなく「隣人を愛せよ」という言葉があるように、身の周りのものを大切にすることです。自分ひとりだけならゴミを捨ててもいいだろうという考え方をあたり前にしてはいけないと思います。
富士山が、日本の誇りから世界の誇りになるよう願ってやみません。