三遊亭小遊三さん

落語家
昭和1947年3月2日生。
山梨県大月市(横浜生まれの大月育ち)
1968年4月、明治大学経営学科在学中に、三代目遊三に入門1969 年年4月、卒業と同時に前座 三遊亭遊吉、1973年9月、三遊亭小遊三となり二つ目昇進、1980年12月、『芸協五人衆』に参加 芸術祭優秀賞受賞、 1983年3月、小遊三のまま真打ち昇進、平成13年12月、芸術祭優秀賞受賞(『小遊三特選三夜』により)、現在、NTV系「笑点」レギュラー
私は生まれたのは横浜ですが、あとはずっと山梨県の大月で育ちました。実際、大月からはあまり富士山は見ることはできないのですがね。はずかしながらまだ 一度も富士山には上ったことがないのです。地元の人には意外とそういう人が多いです。ですから我々の感覚としては、富士山は登る山より眺める山という意識のほうが強い気がします。
私にとって富士山とは、やはり山梨県民だけではなく日本人ですから特別な意識はありますよね。日本の象徴といえば唯一世界に誇れる文化、自然的な存在です。山梨に住んでいる人は特に富士山に対しての思い入れが強いというわけではありませんが、私もそうでしたけれど、やはり学校の校歌にはみんな「富士山」って入っているんじゃないんですかね。霊峰とか、富士峰とかいう言葉も同様に。しかも、幼いときから、例えば小学校、中学校の遠足も富士山の周りです。ですから、友人と遊ぶときなどは、富士山の周りで遊ぶ機会も多かったです。
落語の世界でも富士は出てきます。「富士参り」が落語にはありますが、昔は山の遊びは信仰でした。ですから昔の人は富士へ行くのに、信仰から始まって、それを庶民の楽しみとして講という一座をつ くりました。その講を引っ張るのが「せんだっつあん(先達さん)」というコーディネーターです。その人を中心に町内の人たちは出かけたんですね。富士参りは、信仰という意味合いもありましたが観光を掛け合わせたような内容で町内の親睦を深めて帰ってくるんです。まあ、実際私の持ちネタにはないのですが。
富士山には多々問題があります。それは非常に悲しいことです。しかし、これは根本を直さないといけません。例えば、ゴミの問題とかは、人間が汚くしているのですから人間を治さないと駄目です。富士山が悪いのではなくて人間が悪いんですから。普通に考えたら、自分の家やそのまわりにゴミを捨てるってことはないです。これらの問題は決して、富士山に限ったことではなく日本の社会での出来ことですから、そのことを根本的に変える必要であると思います。そのためには 教育などを通して日本人のモラルそのものを変えないとならないと思います。家庭の躾と学校の教育も昔と比べると口出しを親や先生があまりしなくなったように感じます。先生などは「おまえらもう分かってるはずだ」という感じで、高校生辺りの教育だとあまり最近は躾にかんする注意をしません。でも実際は、子供達は分かってないんです。ですから、基本的な注意をしないとならないと思います。そういう意味で大人も役割を果たしていません。例えば、山手線を一週乗っ ていたとしても、実はたいした時間掛がかからないです。それを自分が割り込んで無理に座ろうとする精神、理解し難いですよね。大人がそういうことをして、そういう大人が子供にも早く座りなさいというような譲る精神がないのですから社会がおかしくなるのは当然です。
そういう根本的な部分を直さないとならない、富士山のゴミは根本的には解決しないと思います。根本問題を徐々に解決するようになれば「富士山」は何の問題も本来ないはずです。富士山は教育とは関係ないかもしれないけれども、これが先駆けとなって、「富士山」を一つのシンボルとして、みんながマナーに反することがなくなるような国民になると良いと思います。