サッカー元日本代表選手/U‐22サッカー日本代表コーチ
1967年9月18日生まれ 滋賀県出身。
滋賀県立守山高等学校、筑波大学卒業。
大学2年の時に、初めて、日本代表に選出された。大学時代は、サッカーに打ち込む一方、教員免許も取得。
大学卒業後、日産自動車サッカー部(現、横浜F・マリノス)に所属、W杯の日本代表に選ばれ、主将を務める。国際Aマッチは123試合に出場し、日本歴代No.1の記録を残した。
W杯への挑戦は、90年イタリアワールドカップアジア予選に始まり、アメリカと続き、94年「ドーハーの悲劇」の屈辱をバネに、98年念願のフランスW杯へ日本代表を導いた。
90年代の日本サッカー界を代表するディフェンダーで、その高いディフェンス能力から「アジアの壁」と恐れられた。
2002年12月現役を引退。
2006年8月、U‐21日本代表(五輪)コーチに就任。