風間深志さん

冒険家
山梨県山梨市出身。日本人として初めて北極・南極両点の到達に成功したバイク冒険家。16歳からモトクロスの魅力にとりつかれ、以後10年間レースに打ち込む。『月刊オートバイ』の編集を経て、バイク冒険家として活躍。自然塾「NPO法人地球元気村」を主宰し、「人と自然が共生する社会」の実現に向けて活動中。1982年第4回パリ・ダカール・ラリーに出場、日本人初出場でインターナショナル500cc6位、総合18位の成績を残す。1983年メキシコ・バハ1000マイル・レースに日本人として初出場し、総合9位。翌年フランス・ル・トゥケエンデューロレースに出場。同年ネパール側からエベレスト(8848m)にバイクで挑戦、プモリ南陵においてバイクによる最高高度5880mを達成。
1985年 中国側エベレスト峰(チョモランマ)に再度挑戦、北壁直下高度6005mのバイクによる世界記録を樹立。1987年 ワードハント島をスタート後、44日間をかけてバイクによる史上初の“北極点”到達に成功。
1991年“南極点”到達にも成功。日本人初の両極点の到達者となる。
冒険の傍ら、自然塾「NPO法人地球元気村」を主宰。全国各地に「地球元気村」を開設。村長として「人と自然が共生する社会」の実現に向けて多方面で活動中。
山梨県出身の私にとって、富士山は風景の一部なんですよ。いつも近くにいてくれて、そこに大きくいてくれた。富士山は日本一としても有名だけれど、私にとっても、「成長」のシンボルだったんです。富士山みたいに大きくなりたいなって思い「目標」にしていたんです。
また、富士山をみると、ホッとすることもありますね。富士山は、私にとっては、故郷を彷彿とさせるものなんです。フランスの病院に入院したときのことですが、日本に帰りたい、富士山に行きたいって思っていました。それほどまでに、富士山=日本なんだなって思いましたよ。
最近、富士山には、毎年登ってもいます。不思議なことに、毎年、富士山と自分との付き合い方が変わっていくんですよ。富士山は、自分を知るバロメーターなんです。自分と富士山との関係をみつめることが、今の自分を考えるきっかけなんです。富士山に登ってみて、今年の自分は、どんな状態なのかを、確認しながら登るんです。
偉大な富士山ですから、もちろん世界遺産になるに値するものだと思っています。でも、そんな富士山が、「世界遺産」という小さな枠組みに捉われて欲しくないなとも思ってるんです。ヨーロッパなんかに行くと、そこらじゅうに世界遺産があるでしょ。そう考えると、あの富士山に対して、「世界遺産」っていうハードルは低いものに感じてしまう。しかし、「世界遺産」という一つ目のハードルに向かって、環境問題について考えたり、モラルについて考えたりとか、世界遺産を越えた目標にむかって行くものであるのだったらとても、意味のあるものになると思う。
だから、富士山に関わるのなら、みんなには、ふんどしを締めて向かい合って欲しいなと思ってるんです。富士山は、それほど、覚悟を固めていかなきゃならないものだと思うから。