古賀稔彦さん

柔道家
1967年佐賀県出身。中学に進学と同時に上京、東京・世田谷の「講道学舎」に入門し、弦巻中学、世田谷学園高時代に数々の全国大会を制覇。日本体育大学進学後"平成の三四郎"の異名をとり、87〜92年全日本選抜体重別選手権をはじめ、89年・91年の世界選手権を連覇。92年のバルセロナ五輪では、大会直前の大ケガを背負いながらも金メダルを獲得、両手を広げ雄たけびを上げ、日本中の感動を呼んだ。その後 96年アトランタ五輪では銀メダルを獲得。00年4月に現役引退。その後、人の夢の後押しをする指導者の道に魅せられ、全日本女子柔道チーム強化コーチを務めるかたわら、03年4月からは子供の人間育成を目的とした町道場「古賀塾」を開塾。04年のアテネ五輪では、金メダルを獲得した谷本歩実のコーチとしても脚光を浴びた。また、柔道の指導者として、子供たちや選手たち、一人一人にとって本当に必要なものを伝え・教え・サポートしていきたいとの思いから、医学の勉強を決心し、2008年4月より弘前大学大学院医学研究科博士課程に入学。2012年3月同大学を卒業し、 医学博士号を取得する。
「富士山」
日本をまさに象徴する美しく優しく優雅な富士山。
私も以前に家族みんなで頂上達成をさせて頂きました。一歩を踏み出すまではすぐ目の前に見える頂上まで「なんて近いのだろう」そんな思いを持ちながら歩き始めました。しかし歩いても歩いてもなかなかたどり着けない頂上。優しく見えた富士山から力強さをひしひしと感じながら一歩一歩ゆっくりと歩く私がいました。
穏やかな見た目とは違い刻々と変わる天候といきなりの突風。時には命の大切さをも教えてくれました。
やっとの思いでたどり着いた頂上に自分が生きている実感と達成感そして富士山の偉大さと日本人である誇りを再確認させてくれました。今もあの時の感動はしっかりと私の身体の一部として残っています。
下山した私は強く感じました。「人生の夢も富士山の頂上も同じ。目の前に夢は見えているのに夢にたどり着くまでの道のりは長くつらいものである。しかし諦めず一歩一歩前進すればいつか必ずたどり着くチャンスを与えられるものだと」人生を教えてくれた富士山に感謝。

古賀稔彦