立松和平さん

作家
栃木県出身。早稲田大学政治経済学部卒業。在学中に「自転車」で早稲田文学新人賞。卒業後、種々の職業を経験、故郷に戻って宇都宮市役所に勤務した。1979年から文筆活動に専念する。1980年「遠雷」で野間文芸新人賞、1993年『卵洗い』で坪田譲治文学賞、1997年『毒―風聞・田中正造』で毎日出版文化賞。国内外を問わず、各地を旺盛に旅する行動派で、近年は自然環境保護問題にも積極的に取り組む。2002年、歌舞伎座上演「道元の月」の台本を手がけ、第31回大谷竹次郎賞受賞。2007年、『道元禅師』(上・下)で第35回泉鏡花文学賞受賞。著書多数。
「融通無碍の富士山」

1年間、富士山を追いかけたことがある。テレビの仕事で、四季折々の冨士山を、山麓の人々暮らしを追ったのである。そこで感じたことは、みんな富士山が好きで、しかも自分が暮らしている土地から見える富士山が最高だと信じていることだ。
山梨の人は、峰の間から天をさして登っていくような意志的な富士山がいいという。静岡の人は、海を前に置いて、裳裾を開いたような優美な富士山が美しいという。旅人の私は、どちらも好きなのだが、山梨にいれば山梨の、静岡にいれば静岡の冨士山がいいと思ってしまう。それだけの富士山は融通無碍なのである。誰にも愛されるはずだ。
富士山は求めれば、雲の向こうに隠れて姿を見せてくれない。あきらめて帰ろうとすると、背後で雲の間から思わせぶりにちょっとひげ頭を見せてくれたりする。なんだか恋のかけひきでもしているかのような気になった。