高木善之さん

NPO法人ネットワーク「地球村」代表
1947年大阪府生まれ。大阪大学卒業。松下電器在職28年、退職し講演や執筆活動に専念。「美しい地球を子どもたちに」と呼びかけ、環境問題、社会問題、人間関係、生き方について、講演や著書でさまざまな提言を発信している。NPO法人ネットワーク『地球村』代表。
普通のサラリーマンをしていた私が、ネットワーク地球村というNPOを始めたきっかけは、25年程前に遭った交通事故によるものでした。その事故によって 私は1年以上にわたる寝たきりの生活でした。そのとき、人はいつ死ぬか分からないと実感し、戦争、飢餓、貧困、環境破壊のない美しい地球を次世代の子供達 に残そうと考え、それを実現することに全力を尽くそうと、現在のNPO「地球村」を立ち上げました。
私は20代の頃、山登りに良く出かけており、 穂高、槍ヶ岳や南アルプスにある何十の山に登りました。富士山に初めて登ったのは、30歳の頃だったと思いますが、その時に感じたのは、富士山は他の山と は違うということ。例えば、富士山の雄大さやスケールの大きさでしょうか。雄大さで言えば、アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ山も素晴らしいものです。 でも富士山の雄大さは、それが連山ではなく、何も無い所にドーンと存在している、独立峰であることです。
でも、それ以上に他の山々と決定的に違う のは、富士山の見せる「表情」です。穂高や槍ヶ岳などの山々は、場所によっては色々な表情、景色を見せます。もちろん富士山にも、山梨側から見た裏富士な どがあります。しかし、山登りをする人間からは、富士山の景色というのはいつも同じ、つまり一定なのです。表情というのは、何も景色だけに限ったことでは ありません。例えば、他の山々では、晴れたと思えば雨が降ったり、暑いと思ったら寒くなったり、ゆるやかな上り坂だと思ったら急に急斜面に変わる。そんな 多表情さが山の特徴でもあるのですが、富士山はその真逆です。坂は常に一定であり、急な温度差もない。その上他の山の登山とは異なり、富士山登山に必要な 装備は軽ければ軽いほどよく、5時間ほどで頂上までたどりつける。富士山というのは、いつも同じ表情をみせ、且つ、登りやすい。そんな要素が、富士山の普 遍性に一役買っているのではないでしょうか。
そんな私ですが、大阪府出身である私にとって富士山はいつも身近にあった訳ではありませんでした。私 が初めて富士山と出会ったのは、小学校一年生の頃に習った唱歌の中であったと記憶しています。「あたまを雲の上に出し 四方の山を見おろして かみなりさ まを下に聞く 富士は日本一の山」という巌谷小波氏の「ふじの山」という唱歌でした。実際に見たわけではなく、音で初めてであった富士山でしたが、子供心 に”日本一の山”という言葉が非常に強烈で、とても印象深く覚えています。富士山をめぐっては色々な懸念や問題がありますが、富士山が世界遺産になること で、ゴミや環境破壊から守ろうという気持ちや、誇りが生まれるのではないでしょうか。富士山は飛行機から見ても、一つだけ雲を突き出ているのが見られま す。宇宙で言えば、北極星みたいなもの。そういう意味でも、富士山は我々が目指すところ、シンボルなのだと思います。