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富士山インタビュー

夏の富士山はいろんな“人間ドラマ”を見に行く場所でもあると思っています

登山ガイドの河野格さんと話していると、自分の中で固定されていた“山の楽しみ方”の枠がググッと広がるのを感じます。
日本各地にある“嫁取り”にまつわる坂や峠を歩く時に、河野さんは、
「峠を越えてお嫁に来た女性の気持ちをちょっと想像してみたりする」のだそうです。
山頂を目指すだけでなく、地形や動植物を楽しみ、そこに息づく歴史や文化や人々の暮らしにも思いを馳せる。
山とその地域を丸ごと深く味わうのが河野さん流ということでしょうか。
そんな河野さんに富士山の魅力を伺いました。
写真:飯田昂寛/取材・文:木村由理江

山登りが好きになったきっかけは学校登山の前の校長先生の言葉でした

−中学2年生の河野少年の胸に響いた校長先生の言葉とはどんなものだったのでしょう。

 「一歩一歩進めば必ず山頂に立てる」です。学校登山に出発する直前にその言葉を聞いて「楽しめそうだぞ」とワクワクしたし、遠くに八ヶ岳(阿弥陀岳)が見えて「あの山を目指せばいいんだ」と歩き出したら、一歩ごとに目標が近づいてくるのを実感できて「これはおもしろい」と。運動会の徒競走では何人かの友だちに「“イタちゃん”(河野さんのこと)とやると勝てないから一緒に走りたくない」と言われたりしていましたけど、山登りは時間を競うわけでもないし、運動神経もそんなに問われない。一歩一歩進んでいけば目標に辿り着けるというのが、すごくいいなあ、と思いました。そのあとは自分で結成した登山サークルや地元の登山サークルで山に登り、大学のワンダーフォーゲル部では基礎的な登山技術を徹底的に学びました。僕は山が好きでトレーニングもしていたから、4年間、本当に楽しかったです。体育会系の飲み会だけは苦手でしたけどね(笑)。

−大学3年の時に出会った方々の影響で卒業後は都留市のNPOで環境教育活動に携わっていたそうですが、その間も精力的に登山は続けていたんですか。

 いえ。大学時代は年間100日〜120日くらい登ってましたけど、NPOに関わっていた5年くらいはほとんど登らなかったですね。登山を通して山の自然に触れてはいましたけど、その山の自然を農業や森づくりや自然保護という観点から見て活動することの方がおもしろかったんですよ。20代は体力もあるし、無茶できる期間だったので、ちょっともったいない気もしますが、自然への関わり方の視点を間違いなく広げてくれた期間でした。

−2016年に登山ガイドの資格を取られたきっかけは?

 NPOを辞めて「自分はどうして自然と関わるのが好きになったんだっけ?」と思い返した時に「山登りからだったな」と。好きな山登りを自分の暮らしの中に置くにはどうしたらいいかと考えたら、“登山ガイド”に行き着いたということです。それで“山が好きだ!”というのがなにより伝わってきて、一緒に歩いてるとワクワクしてくるガイドの先輩の門を叩いたんです。毎週のように先輩のガイドに同行して4年近くいろいろ教わって試験を受けました。

−河野さんが考える山登りのおもしろさとは?

 自分が決めた目標に到達する喜びはもちろんですが、僕は自然が全体的に好きなので、草花や樹木や動物や虫を見るのも楽しいし、山からの眺めや移り変わる四季の変化にも感動します。最近は歴史や文化にも興味があるので前もって調べたり、登っている時に見つけたものについてあとから調べたりもします。あちこちに同じような名前のついた坂があるのを見つけて謂れを調べると、昔の人の暮らしが見えてきたりしておもしろいんですよ。国立公園がどんなふうに保護されているのかを見るのも好きですね。山に関することはほとんど全部好きですし、自分が得たいろんな情報をお客さんに伝えることで、より幅広く、深く山を楽しんでもらえたらいいと思っています。自分が素直に素晴らしいと感じたら、お客さんの前でも普通に「いいね~!」と表現します。

人間ドラマがいろいろあるのが富士登山

−登山ガイドの資格を取得した2016年以降、“東北の高校生の富士登山”に毎回関わっていらっしゃるそうですね。

 コーディネーションをしているツアー会社の契約ガイドとしてですが、比較的長く関わらせてもらってます。東北の高校生にはとにかく純朴さを感じます。初めて見る富士山の大きさに驚いたり、声を掛け合って登っている姿は微笑ましいです。発起人の田部井淳子さんが大好きだった「一歩一歩進めば必ず山頂に立てる」という言葉は、中学生の僕にも響いた言葉ですけど、日本一の富士山に登ることで東北の高校生たちは身をもってそれを実感できるわけですよね。「身をもって体験して体感する」というのは、このデジタル全盛の社会でとても大事な経験だと思います。山頂に向かって一歩一歩進む感覚や登頂した時の達成感を忘れずに、今後の人生に活かして欲しいなということは、いつも最後に伝えています。

−河野さんは登山ガイドだけでなくチームづくりのファシリテーターとしても活動されています。チームづくりの観点から思うことはありますか。

 それで言うならこの夏ガイドした“小学校4年生から6年生の子どもたちの力だけで日本一の富士山にチャレンジする”という企画はおもしろかったです。ガイドの僕を含め大人のスタッフは後ろから彼らをサポートするという役割。平地とは違う過酷な環境で、しかも疲れてヘロヘロになりながら、まだ先へ進むのかもう進まないのかとか、高山病でぐったりしている仲間をどうするのかとか、子どもたちだけで話し合って決めていくんですよ。「山頂に行きたいけど、もうしんどいから諦める」と決断する子がいたり、苦しいけれど頑張ろうとする子がいたり。最終的にはスタッフの配置上もうチームを分散できないという理由もあり、九・五合目でのリタイアを彼らが決断したんですが、日本一の富士山にチームでチャレンジしたことは、彼らの今後の人生に活きる大きな経験になったと思います。

−富士山の登山ガイドをされていて印象的なことというと?

 いろんなお客さんがいることです。例えば、八合目で「実は肺が片方しかありません」とカミングアウトしてきたり、トートバッグでやってきたり。驚かされることも多いですよ(笑)。もちろんどちらも「下りましょう」、「やめましょう」と説得しましたけど。小学校低学年の子たちがチャレンジしているのも印象的です。

−ドラマがありますね。

 夏の富士山はそれを見に行くところでもあると思っています。富士山が他の山と違うのは、チャレンジする人のほとんどに登山経験がないこと。だから装備も十分ではないし、下山のことを考えてないから山頂に着いた時にはほぼ100%力を出し切っている。登山として問題があるのはわかりますけど、僕はそこに人間ドラマのおもしろさを感じるし、“個人のチャレンジ”として素晴らしいなと思う。山頂で涙を流したり感動してる様子も、富士山ならではです。そういうチャレンジをサポートできることに僕は喜びを感じています。全力を尽くしてチャレンジするお客さんの姿は、「よし自分もチャレンジしよう!」と奮い立たせてくれますね。

豊かな森を抜けて森林限界に出る、一合目から五合目を歩くのがお勧めです

−最初に富士山に登ったのはいつですか。

 大学生の時です。富士吉田市公認の登山案内人に応募して、その練習で登ったんじゃなかったかな。山頂まで行きましたけど、途中、高山病で頭が痛くなって、高所はあまり得意じゃないなと自覚しました。日本一の山に登ったという感慨? それはとくになかったです。小さい時から遠くに富士山を見ていましたけど、特別な思い入れはなかったし、登りたいと思うこともなかった。富士山で登山案内人を始めてしばらくは、おもしろみはあまり感じませんでした。樹木はないし、登山道も単調ですからね。大学の部活でやっていた2週間近い縦走登山の方が大変だったし、ずっとおもしろかったです。ただご来光と雲海がピカイチだと思います。他の山とはスケールが全然違う。富士登山はそれを味わうものだとお客さんにも話しているし、僕も毎回楽しみにしています。

−今は富士山のどんなところにおもしろみを感じていますか。

 山麓とつなげて歩くことがおもしろいですね。一度山頂に登った人には、一合目から五合目を歩くことを勧めています。僕がとくに好きなのは精進口の一合目から五合目のルート。富士山麓は戦後、空襲で焼けた東京の住宅用の木材の供給地でもあったのでかなり伐採されてしまったんですが、そのルートには貴重な天然林が残っています。木は大きいし、種類も豊富で本当に豊かです。その森を抜けて先へ進むとだんだん樹木の背丈が低くなり、やがて森林限界を超えて富士山の山頂が見えてくる。植生の変化が見られて本当におもしろいです。歴史があるという点では吉田口の一合目から五合目もおもしろいですし、静岡側の村山古道もいいですね。

−毎夏富士山に登っていて、感じる変化はありますか。

 気温です。初めて登った頃より気温が5度くらい上がっているんじゃないかな。8月でも溶岩の隙間にビシッとできていた氷柱を、見ることがなくなりました。あと、山頂に苔が生え始めて、それが増えてきています。気候変動に対してなにかアクションを起こせないかと思ってはいるんですけどね。

−気候変動だけでなく登山者の増加も富士山の自然には影響を与えそうです。危機感を感じているのでは?

 富士山の自然保護もそうですが、富士登山のあり方についてはそろそろ転換点を迎えていると思っています。2023年のシーズンは登山者の事故が多かったと言われていますが、すべてを登山者のマナーのせいにするのはもう限界です。「弾丸登山はダメですよ」、「百均のカッパで登るのはダメですよ」と注意喚起するだけでは難しい。事故を起こしている人の何倍もそれで登れている人がいるわけですから。国や地方自治体、民間がしっかり連携してシステムを作り、登山者を管理する時期にきているんじゃないかと思います。日本の山は管理するのがなかなか難しい面もありますが、マレーシアのキナバルや台湾最高峰の玉山のように世界的な知名度や登山者数などを鑑みると、富士山はそこに踏み切る段階にきているのではないかと思います。

河野格
こうのいたる

こうのいたる 1986年 埼玉県ふじみ野市生まれ 日本山岳ガイド協会認定登山ガイドⅢ。自由の森学園中学校・高等学校卒業。都留文科大学文学部進学後はワンダーフォーゲル部に籍を置き登山技術をみっちり磨き、長期間山に入る縦走や雪山登山、沢登りや海外遠征にも精力的に取り組む。卒業後はNPO法人都留環境フォーラムで環境教育活動に従事。2016年1月に日本山岳ガイド協会認定登山ガイドⅡを取得し、同年から“東北の高校生の富士登山”に関わる。チームビルディングのファシリテーターでもある。2児の父親。好きな山域は南アルプス。

河野さんのFacebook
https://www.facebook.com/itaru.kouno/?locale=ja_JP

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家
小山真人静岡大学 教授 理学博士
勝俣克教富士屋ホテル 河口湖アネックス 富士ビューホテル支配人
漆畑信昭柿田川みどりのトラスト、柿田川自然保護の会各会長
日野原健司太田記念美術館 主席学芸員
渡井一信富士宮市郷土資料館館長
大高康正静岡県富士山世界遺産センター学芸課准教授
渡辺貴彦仮名書家
望月将悟静岡市消防局山岳救助隊員・トレイルランナー
成瀬亮富士山写真家
田部井進也一般社団法人田部井淳子基金代表理事、
クライミングジム&ヨガスタジオ「PLAY」経営
齋藤繁群馬大学大学院医学系研究科教授、医師、日本山岳会理事
吉本充宏山梨県富士山科学研究所 火山防災研究部 主任研究員
柿下木冠書家・公益財団法人独立書人団常務理事
菅田潤子富士山文化舎理事『富士山事記』企画編集担当
安藤智恵子国際地域開発コーディネーター
田中章義歌人
千葉達雄ウルトラトレイル・マウントフジ実行委員会事務局長、
NPO法人富士トレイルランナーズ倶楽部事務局長
松島仁静岡県富士山世界遺産センター 学芸課 教授(美術史)
大鴈丸一志・奈津子夫妻御師のいえ 大鴈丸 fugaku×hitsukiオーナー
有坂蓉子美術家・富士塚研究家
小川壮太プロトレイルランナー、甲州アルプスオートルートチャレンジ実行委員会実行委員長
飯田龍治アマチュアカメラマン
篠原武ふじさんミュージアム学芸員
吉田直嗣陶芸家
春山慶彦株式会社ヤマップ代表
中野光将清瀬市郷土博物館学芸員
久保田賢次山岳科学研究者
鈴木千紘・佐藤優之介看護師・2014年参加, 大学生・2015と2016年参加
松岡秀夫・美喜子さん夫妻「田んぼのなかのドミノハウス」住人
三浦亜希富士河口湖観光総合案内所勤務
石澤弘範富士山ガイド・海抜一万尺 東洋館スタッフ
大庭康嗣富士山裾野自転車倶楽部部長
杉本悠樹富士河口湖町教育委員会生涯学習課文化財係 主査・学芸員
松井由美子英語通訳案内士・国内旅程管理主任者
涌嶋優スカイランナー、富士空界-Fuji SKY-部長、日本スカイランニング協会 ユース委員会 委員長・静岡県マネージャー
岩崎仁合同会社ルーツ&フルーツ「富士山ネイチャーツアーズ」代表
門脇茉海公益財団法人日本交通公社研究員
渡邉明博低山フォトグラファー・山岳写真ASA会長
藤村翔富士市市民部文化振興課 富士市埋蔵文化財調査室 学芸員
勝俣竜哉御殿場市教育委員会社会教育課文化スタッフ統括
前田友和山梨自由研究家
杉山浩平東京大学大学院総合文化研究科 特任研究員 博士(歴史学)
天野和明山岳ガイド、富士山吉田口ガイド、甲州市観光大使、石井スポーツ登山学校校長
井上卓哉富士市市民部文化振興課文化財担当主幹
齋藤天道富士箱根伊豆国立公園管理事務所 富士五湖管理官事務所 国立公園管理官
齋藤暖生東京大学附属演習林 富士癒しの森研究所所長
池川利雄ノースフットトレックガイズ代表、富士山登山ガイド
松本圭二・高村利太朗山中湖おもてなしの会副会長, 山中湖おもてなしの会会員
関口陽子富士山フォトグラファー
猪熊隆之山岳気象予報士・中央大学山岳部監督
髙杉直嗣2021年御殿場口登山道維持工事現場代理人
羽田徳永富士山吉田口登山道馬返し大文司屋六代目
内藤武正富士宮市役所企画部富士山世界遺産課主幹兼企画係長
河野清夏フジヤマミュージアム学芸員
中村修七合目日の出館7代目・富士山吉田口旅館組合長・写真家
野沢藤司河口湖ステラシアター、河口湖円形ホール館長
三浦早苗ダイビング&トレッキングぴっころ代表
田部井政伸一般社団法人田部井淳子基金代表理事
橋都彰夫半蔵坊館長・わらじ館館長
上小澤翔吾富士登山競走実行委員会事務局
杉村知穂富士宮市教育委員会教育部文化課
河野格登山ガイド

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