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富士山プチヒストリア ~富士山と関わった人物録 vol.8

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写真:流鏑馬像(富士山本宮浅間大社)
富士山本宮浅間大社の流鏑馬祭は、源頼朝が巻狩りに富士山麓を訪れた際、
流鏑馬を奉納して、武運長久・天下太平を祈願したことが起源とされている。(撮影:鈴木重美)
 
源頼朝は平氏を壇ノ浦で滅亡させ、その後奥州藤原氏も滅ぼした建久3年(1192)、
念願の征夷大将軍に補任(ぶにん)され鎌倉幕府を開く。
いわゆる「いい国作ろう鎌倉幕府」である。

しかし近年、源頼朝が征夷大将軍になる以前から幕府が機能していたことが判明し、
現在の教科書のほとんどは源頼朝が朝廷から全国統治を許された
1185年が鎌倉幕府成立の年となっているので「いい国作ろう鎌倉幕府」ではないそうだ。

年号はともあれ武家政治のトップに上り詰めた源頼朝は、
建久4年の5月、富士の裾野で大規模な巻狩り(まきがり)を行っている。
巻狩りとは?単に獲物を狩るような狩猟でなく、
山をまるごと一つ使って行う派手な軍事イベントの意味合いが強かったらしい。

狩る場所も広大だ。現在の静岡県御殿場市や裾野市に始まり、
西側の朝霧高原(現在の静岡県富士宮市)まで及ぶほど大規模であったことが
吾妻鏡に記録として残っている。

御殿場市の東岳院(〒412-0002 静岡県御殿場市上小林867)に
この巻狩りの様子を描いた絵が納められている。

 
参考文献:『吾妻鏡』

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