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富士山の景色 そのニ


* 撮影 本人

街の景色、
棚田の景色、
海原の景色。
私たちは景色に囲まれ、景色と接しながら暮らしている。
素晴らしい景色に感動し、声をあげる。

ワァ すごい景色。

すごい景色には勝てない。
素晴らしい景色を求め、人は旅をする。

富士山は景色の象徴だと思う。
富士山こそが景色なのだ(あくまでも個人の感想ですから)。
しかしその富士山の姿も、時には感動ではない別のワクワクを生むことになる。

この富士山が描かれた景色に出会い、私は感動とは別の気持ちが沸き起こった。
それは感動を超越した、富士山への尊敬の念だ。
少年たちを迎える富士山の力強さだ。

この富士山の姿に、少年はさらなる高みを目指すことを覚悟するに違いない。
富士山のチャンピオンメダルをチームにもたらしたいと誓うだろう。

富士山の景色 その一

先月10月10日のこのコーナーで富士山を巡ることを宣言し、早速富士山を鑑賞するために箱根に向った。
行先は仙谷原。黄金色に輝くススキは圧巻だった。

言い伝えによると、仙谷原は江戸時代まで「千石原」が通称だった。
その広さは江戸時代の人にとっては石高に直結し、ここを耕すと千石の穀物が収穫できると想像したらしい。
しかし、火山灰土壌と湿地のため夢に終わったとある。(箱根ナビ参照)

実はこれだけ何度も箱根を訪ねているが、この仙谷原に立ち寄ったのは初めて。
改めて箱根の奥深さを実感できた。次回は3月10日前後に開催される「山焼き」を目指そうかな?この黄金の絨毯に輝くすすきの景観を維持するためにある伝統行事だそう。

撮影本人 (残念ながら富士山見えず)

恒例 秋の夜長読書月間 その四

ファンタジー 妖怪ものが大好きだ。
世代的には水木しげる先生の「墓場の鬼太郎」世代だと自負しているが、京極先生の描く奇々怪々ワールドも堪らないし、京極先生が開催する「お化け大學校」(京極先生は水木しげる学部教授)も毎回楽しみにしている。鬼太郎のテーマソング「お化けにゃあ 学校の試験もなんにもない」という「ないはず」の学校が存在している、(http://obakedai.jp/pages/news171105/)それがお化け大學校だ。

さて前振りはこのぐらいにして本題に入ろう。
「世界で唯一の妖怪マガジン『怪』で、二〇一一年から足掛け六年にわたって連載されてきた『虚実妖怪百物語』がいよいよ書籍として発売されることになりました。魑魅魍魎が現実世界を跋扈し、作家や学者などの著名人から編集者まで目白押しで登場するこの怪作が生まれた裏側に潜む、驚きのエピソードとは!?」
(カッコ内 ウエブサイトから引用)
妖怪マガジンで連載していたのは当然読んでいたし、驚きのエピソードをここに書くこともできる。しかしネタバレをしても仕方ない。妖怪が跋扈する舞台は富士山裾野、妖怪たちが次から次へと現れては騒動を巻き起こす。ある意味めちゃくちゃなんだけどもさすがは京極ワールド。なぜ富士山が舞台?と思ってしまうも、単純に京極先生が富士山好きなだけ!と1人悦に入ってしまった次第。
この一文を敢えて引用したのは、この文内にある「魑魅魍魎」(ちみもうりょう)という言葉があるからで、この言葉があるだけでたまらなく悶えるのである。
内容は「妖怪や目に見えないモノが、ニッポンから消えている!」。その正体を探りたければページをめくれ。
そしてこの完成度の高い表紙。ああ妖怪が僕を呼んでいる。
「虚実妖怪百物語」 序 破 急 三巻にて発売中(角川書店刊)

恒例 秋の夜長読書月間 その三

「火の山―山猿記」をこの夏に読んだ。
このタイトルにピンとこない人でも、2006年に本作を原案にしたNHK連続テレビ小説『純情きらり』と言えば「ああ、あの物語」という人も多いのでないだろうか?主人公の有森桜子を女優宮﨑あおいが演じ、話題になった作品だ。著者である津島佑子の祖父である石原初太郎は山梨県に住み、山梨の地質や動植物調査に携わった学者、この石原家が作品のモデルになっている。
「火の山」とは富士山を意味し、富士に寄り添い激動の時代を過ごした有森家5代の歴史を描いている。

津島佑子は、1947年作家・太宰治(本名・津島修治)の次女として生まれた。翌年6月、父である太宰は自死する。生前のインタビューでは「私にとって親は母だけ。なぜ太宰という父の子と言われるのだろう」と言った言葉も残している。そんな彼女は父と同じ職業に就く。そんな家族史がこの小説にも反映されている。2016年没。

火の山ー山猿記 上下巻
著者 津島佑子
講談社文庫刊

恒例 秋の夜長読書月間 その二

この本はタイトルで購入したと言っても過言ではない。
富士山を眺めて早50年 (確証はない数字です)、富士山の頂上からの景色より、富士山を眺めることに思い入れのある私としては、このタイトルこそが、正に富士山。

この223マガジン連載当初は私も富士山の周りの山を歩いたものだが、最近はただただ眺めるだけになっており、山を歩いての富士山鑑賞の楽しみを味わってはいない。
完全に“街ネタ富士山コラムニスト”になってしまっている。
理由は?と言えば『忙しい』という最も理由にならない理由しかない。

自戒を込めた秋空の日、富士山(の周りの山)を目指すとしよう。そのレポートはまた後日。

撮影 本人

恒例 秋の夜長読書月間 その一

勝手に恒例と称して早6年?恒例も言い続けることで恒例感が漂ってきた(勝手な妄想です)。
さあ今年も始まりました。この10月のためには準備が必要。本屋に行くのはもちろん、紀行文や小説はやっぱり読まなくちゃいけないからね。
それでも普段から本屋通いが日課のわたくし。日頃から富士山本を自然とチェックしております。

そんな日頃の成果もあってか、この恒例が無理なく続けられているわけです。
このコーナーではあまり社会的な問題を語ることはありませんが、やはり気のせいか、本屋にいる人の数が以前より減っているように感じるのは気のせいでしょうか?でもやっぱり、読書や本を買うことはいい習慣を作ると思ったりするわけです。最近でも有名な子役の女の子の半端ない読書量が話題になっていましたからね。

しかし、こんな本屋通いをする私も確かに、本屋とアマゾンなどの取り寄せの比率が最近詰まってきた感じがします。本も好きだけど本屋も好きなので、できるだけブックハンテイングしたいと思う今日この頃です。
そんな本屋で撮影した一枚!もちろん撮影したあとこの一冊は購入しました。

撮影 本人 
撮影場所 八重洲ブックセンターにて

夏のスーべニア その四

夏のスーべニア、最後を飾るのはアイス。

冷蔵庫に入れたまま忘れていた。買ったのは山梨の談合坂SAだったかな?
今年の夏は冷夏だとか?確かに雨が多かったような気がする。しかしそれでも夏は暑く、暑いとどうしてもアイスというよりかき氷系が食べたくなり、夏の初めに買ってはいたが、その存在を全く忘れてしまっていた。

「富士ヶ嶺」の名前のアイスはその名のとおり、パッケージも富士山富士山している。
食べながら思い出したが、やっぱり購入の動機はこのパッケージにあった。普段コンビニとかでは、なかなか300円のアイスって買わないけど、「観光地」ということと「富士山」ということで躊躇なく購入した。お土産をオフィスにてお裾分け。

話はいきなり変わるが、オリンピック・パラリンピック誘致に際して「おもてなし」という言葉に注目が集まったが、私的にはこの「おすそわけ」も、とっても日本的な素晴らしい言葉だと思っている。ということで夏のスーベニアの「おすそわけ」。
おあとがよろしいようで!

撮影 本人

夏のスーベニア その三


*撮影 本人(少しぴんぼけ)

旅の思い出と言えば駅弁。車を運転しない僕の移動は大半が電車。
普段利用しているJR東京駅にはおびただしい数の売店があり、味を競い合うように駅弁が売られている。
横浜生まれの私にとっては、駅弁イコール崎陽軒のシウマイ弁当だが、途中駅で買う駅弁もまた旅の楽しみの一つだ。しかし崎陽軒のシウマイ弁当以外を購入する場合が少し大変だ。

パッケージから中身を想像し、悩む。中身サンプルを見てまた悩む。値段で悩んだ末にレジに並び、やはり他のにしようかまた悩む。少なくとも一つの駅弁を買うのに5-6回は悩む。

そして、どうせその場所の駅弁を買うのだからと、その場所の名物・名産が入っているかどうかで、最大に悩んでしまう。
まあ悩んだ甲斐あって、かなり満足したのがこの駅弁。豚の西京味噌焼きをメインに、由比の桜えび、 蒲原の黒はんぺん、手作りこんにゃくなど、駿河の名産品を味わうことができた。パッケージ通りになんとも天晴れな駅弁なのだ。

しかしこの駅弁購入の決め手は、やっぱりレトロな映画看板風のイラストの掛紙。

人との出会いは旅の醍醐味、一期一会とはよく言ったもの。
駅弁との出会いもまた一期一会也。

夏のスーベニア その二

「夏の計画」で書いたようにこの夏、吉田の火祭りに行ってきた。想像を千倍超えた素晴らしい祭りだった。想像を超えたと軽々しく感想を書くこと自体間違っているように感じられる。火を焚くことは神霊の送迎や火による清めなどの意味があるのは物の本を読んで知ったかぶってはいたが、百聞は一見の言葉の通り、目の前に現れた光景はまさに神々しく荘厳そのもの。火そのものが神に見えた。

以前スペイン北部、サン・キンティ・デ・メディオナ(Sant Quintí de Mediona)で行われる火祭りを見たことがあった。カタルーニャ地方の伝統行事で、コレフォックはカタルーニャ語で「火走り」を意味する。悪魔の衣装を身にまとった参加者が松明や花火を手に、街中の狭い通りを練り歩くのが見どころだ。

地域も伝統文化も異なる二つの祭りを比較しても意味がないのは重々承知の上で敢えて書くと、やはり祭りというのはその祭りに参加する、そしてその祭りを見る人のDNAが深く関係している。同じ火でも吉田の火祭りは心に響いてきて、最後は熱狂し、言葉を発してしまうのである。

いい夏の思い出とともに、瞼の奥にはまだ炎が残っている感じがする。

写真 本人

夏のスーベニア その一

夏の終わりには、デスクの上に夏のスーベニアが積まれている。このスーベニア(英語souvenir=土産)は、フランス語のsouvenir(=思い出)が語源。更にはラテン語 subvenire(=心の中によみがえる)が語源になっている。

子供の頃には「夏休みの終わり」に感傷的になったが、今は「夏の終わり」に感傷的になる。
気がつくと夏は終わっている。「毎日暑くて堪らない」とぼやいているくせに、秋風が吹くと暑い夏を懐かしむ。
夏の終わりに行った火祭りの記憶を「心の中によみがえらせ」ながら、秋を楽しもう。

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