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富士山をつくる

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「富士山を一緒に作りませんか?」

そんな見出しにつられ、キャンドルを作るワークショップに参加した。

キャンドルである。
火はつけたことあるけれど、作るのはもちろん初めて。

そもそもキャンドルって何でできているの?とたずねられれば、
自信なさそうに「ロウ?」と答えられるぐらい。

さて、まずは材料から。
上級コースには彩色の仕方を教えてくれるものもあるが、私が参加したコースはビギナークラス。
あらかじめ、青色と白色のロウ(パラフィンワックス)が用意されている。

次の材料は芯の部分。
そして富士山の形を作る型(クッキーやプリンを作る時の型がいい)。
基本材料(上)のほか熱源も必要。
以上!

えッ、それだけと言われてもそれだけ。
さあ、富士山キャンドル作りのスタート!

①    ロウを細かくカットします。

②    鍋にパラフィンを溶かします。
ホットプレートか超弱火で!5秒くらいですぐに蒸発して煙が出始めるので火から離してゆすって溶かしていきます。
絶対に目を離さない。

③    溶けたロウを型に流し込みます。最初に雪の部分の白、そのあとに山肌の青の順番。

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④    芯は最初に入れておきます。

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⑤    固まるのを待ちます。

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温めたロウを溶かして型に流し込んで冷やす。
これで富士山が完成。

キャンドル作り、今子どもに大人気だそう。

読書月間番外編

10回に渡る富士山 本特集はいかがだったでしょうか?

紹介した本以外にも富士山を題材にした本はまだまだある。
ぜひ次回は「春眠暁を覚えず読書月間」でお披露目したい。

さて、富士山 本の番外編としてこんな富士山関連雑誌もある。
古い順に並べてみよう。

2009年発行のPEAKS(枻出版社)の特集号。
「だれでも一度は富士山へ」。
アウトドア専門誌だけあって、富士山に登ることをテーマにしている。
富士山登山の入門編としても内容の濃い誌面になっている。
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次は昨年2010年に発行された雑誌PEN(阪急コミュニケーションズ)の富士山特集号。
「あなたの知らない、富士山へ行こう」。
こちらは主にカルチャー面から富士山をフューチャーしている。
写真家大山行男氏の表紙は圧巻、誌面でも見ごたえのある写真が並ぶ。
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最後は今年発行のモノ・マガジン(ワールドフォトプレス)。
表紙に釣られ購入。
しかし富士山関連の内容はなし、表紙のみの富士山雑誌コレクションとなる。
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そういえばアイドルグループの嵐が本を出していた。
その表紙にも思いっきり富士山が登場していた。

富士山 本には無条件で手が伸びてしまうも、現在購入するかを検討中。

秋の夜長富士山読書月間<その十> 「富士山が世界遺産になる日」 小田全宏 著

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タイトル 富士山が世界遺産になる日
著者 小田 全宏
発行 PHP研究所(2006年刊)

 


10回の連続企画でおおくりした「秋の夜長富士山読書月間」最終回を飾るのはやはりこの本しかない。

「富士山が世界遺産になる日」。

2003年に「富士山を世界遺産にできないでしょうか?」と
著者が知り合いの経営者から相談を受けるシーンから本のプロローグはスタートしている。

そうして「富士山の世界遺産化プロジェクト」が開始され、
現在の「富士山を世界遺産にする国民会議」につながっていく。

著者の小田全宏氏は私たちの組織「富士山を世界遺産にする国民会議」の理事の一人である。

そんな小田さんは富士山を世界遺産にするということをまさに雲をつかまえるような話と称している。
この文中で小田さんは自身を「富士山の素人」と称している。
素人の小田さんが富士山を学び、深くかかわることで 富士山好きになっていくドキュメントとしても とても面白い。

この本のエピローグは当然、「富士山が世界遺産になった日」でなくてはならない。

刊行以来、既に5年の月日が流れている。
世界遺産登録の機運も高まり、遂にエピローグが見えてきそうな今日この頃。

小田さんは富士山が世界遺産に登録されたあかつきにはどんなエピローグを書くのだろう。
ぜひ続編として、「富士山が世界遺産になった日」を小田さんには書いて頂き、読んでみたい。

秋の夜長富士山読書月間<その九> 日本一の雑誌「富士山」さくらももこ編集長

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タイトル 日本一の雑誌「富士山」
著者 さくらももこ 編集長
発行 新潮社(2000年刊)

 


日本一の雑誌をつくることを決めた さくらももこ 編集長は、
日本一の雑誌には日本一のタイトルが相応しいとし、「富士山」と命名した。

この日本一の雑誌「富士山」は5冊発行され、
そのうち創刊号から4号までは全て2000年(平成12年)に発行されている。

さくら編集長は
マンガを描いて、企画をぜんぶ考えて、すべて取材に行って、
インタビューもして、記事を書いて、全てをマルチに挑戦し

「作家としてのひとつの限界に挑戦してみたかった」

と、後日インタビューに答えている。

全5号の「富士山」で私の一番のお気に入りはこの第3号。
さくらさんの父 ひろしさんが 長嶋監督(当時)に会う特集がいい。
さらに さくら編集長の憧れ 北野武さんも自宅に呼んでしまう。

文中では さくら家の愛犬フジ (恐らく富士山からの命名だろうが、確定はできていない)と
武さんとのツーショットも収められている。
家族中が自分の趣味に暴走している感がたまらない。

この第3号の巻末では次号の4号を最終号と予告しているので、
5号は読者からの声援に応える形での「おまけ」だったようである。

今、10数年ぶりに改めてページをめくると、全ての企画がバカらしい。
しかしそのバカらしいこと全てにさくら編集長がパワーを注ぎこんでいるところが最高なのだ。

さくらももこ という人は、どうして日常をこんなにも面白おかしく表現できるのでしょうか。
やはり天才ということか!

さくら編集長にお願い! ぜひ第6号を出してください。

秋の夜長富士山読書月間<その八> 「富士山に千回登りました」 實川欣伸 著

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タイトル 富士山に千回登りました
著者 實川 欣伸
発行 日本経済新聞出版社(2011年刊)

 


前回の223マガジンNO27号で800回を超える富士山を登られた超人 佐々木茂良氏 著書「まいにち富士山」を紹介した。
今回ご紹介する本のタイトルは、その名も「富士山に千回登りました」である。

著者の實川欣伸さんは富士山以外の冒険にも果敢に挑戦されている。
その偉大な功績はあまりに膨大で、ここではページが足りないので書かない。

2005年に實川さんは定年を迎えられる。
そして、ここからいよいよ前人未到の登頂記録に挑戦開始になる。
2008年7月に400回達成、その後わずか1年、
2009年8月には「田子の浦から村山古道を山頂へ」のルートで700回目達成。

1年で300回、富士山に挑戦している計算だ。先出の佐々木さんではないが、ほぼ毎日富士山に登るペースだ。

そして、ついに目標の富士山1000回登頂の偉業は、
2010年10月10日この村山古道ルートから達成されることになる。

ちなみに實川さん、東京駅から歩いて富士山登頂というマニアックな記録も達成されている。
正直、もうなんだかわからない。
当然、タダ者ではないから、1000回も富士山に登っているのだが、改めてやはりこのセリフで締めくくりたい。

アンビリーバブル!

秋の夜長富士山読書月間<その七>「まいにち富士山」 佐々木茂良 著

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タイトル まいにち富士山
著者 佐々木 茂良
発行 新潮社(2011年刊)

 


富士山好きにはいくつものパターンがある。
頂上を目指す「登り富士」、富士山をモデルに撮影する「撮り富士」、ひたすら眺めるのを愛す「愛で富士」。

私は住む横浜から富士山が見えると、自然と両手を合わせて拝んでしまう。
さしずめ「拝み富士」または「祈り富士」かも知れない。

さて、「登り富士」の方々にとって、究極の本が今年発行されたので紹介しよう。
「富士山に一度も登らぬ馬鹿、三度登る馬鹿」という有名な言葉もあるように、
とにかく富士山に登らねば気が済まない人は多い 。
この本の著者である佐々木茂良さんはきっと何度もこの「三度登る馬鹿」というセリフを周囲から浴びせられたに違いない。

著者は昭和15年生まれ、今年で71歳になる。
64歳で富士山に初登頂して以来、富士山にとりつかれてしまったらしく、「まいにち富士山」に登ることになる。
その回数は819回という。

毎日富士山に登るとは一体どういうペースで登っていらっしゃるのだろう?

本のページをめくる。
著者はおおよそ3時間を切るハイペースで登っているらしい。速すぎる!

しかし、この本は決して無謀な冒険記の類ではない。
毎日富士山に登るなどという無謀な挑戦をして、事故にでも遭った日には周囲に何と言われ、
迷惑をかけるか知れないと細心の注意力で臨んだ著者の「安全に行って帰るまで」を指南した登山記録なのだ。

高山病対策は? 迷ったときの対処法は?
そんな超人の知恵が満載の一冊、ぜひ「三度登りたい馬鹿(もちろん称賛です)」にお勧めしたい。

秋の夜長富士山読書月間<その六>「風呂屋の富士山」 町田忍+大竹誠 共著

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タイトル 風呂屋の富士山
著者 町田忍 + 大竹誠
発行 ファラオ企画(1994年刊)

 

かつて、私が住んだ町、鎌倉にも実に立派な銭湯があり、浴槽の壁には見事な富士山画が描かれていた。
鎌倉に移り住んでいる間、その銭湯を残し、2軒の銭湯が町から消えており、
この銭湯にいつまで入れるかなぁと感傷的になったのを覚えている。

庶民文化研究における第一人者の町田忍さんと言えば銭湯富士山背景画研究家としても右にでる人はいない。
全国の銭湯を巡り、貴重な資料を多く残されている。

町田さんによると、全国の銭湯の中で最も多い名前は「松の湯」であるという。次に多い名前は「梅の湯」。
銭湯背景画で一番多いのはいわずとしれた「富士山」である。

この本の発行は1994年、当時日本中にはまだ1万軒の銭湯があると町田さんは調査されている。
しかし、銭湯は日に1軒のペースで廃業しているとも書かれていた。
この本の発行から17年以上が経過していることを考えれば、現存する銭湯は半数以下になっている可能性も高い。

当然、「富士山」の背景絵も同様だろう。
町から消えていく銭湯と「富士山絵」。
そんな消えゆく文化を町田さんはこよなく愛し、
銭湯絵を描いてきた絵師の方々や経営者の方々と交流してきた証がこの一冊の本になっている。

まさに人と人との裸の付き合い方がこの本には満載だ。
銭湯が消え、町には大型のスーパー銭湯が増えた。
しかしそこには町田さんが愛した付き合い方は少なくなったかも知れない。

▼ 町田さんのインタビュー記事はこちら ▼
→ 銭湯富士山画と言えばこの人!町田 忍さん
 

秋の夜長富士山読書月間<その五>「富士見」の謎 一番遠くから富士山が見えるのはどこか? 田代博 著

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タイトル 「富士見」の謎
一番遠くから富士山が見えるのはどこか?
著者 田代 博
発行 祥伝社(2011年刊)

 


日本一の山「富士山」を一番遠くどこから見ることができるのだろう?
そんな疑問にこの本は答えてくれる。

関西在住の人と東京に向かう新幹線に乗り合わせたことがある。
静岡県が近づくと、がぜんソワソワし始め、窓側に私が座っていようものなら、遠慮なく席変えを要求してくる。

実際、富士山と反対側(東京行きの場合は向かって右側のシート)に座っている団体が
富士山側に座っている人たちに「すいません」とことわりを入れる光景に遭遇したこともある。

「富士山撮影」は関西人にとって「新幹線乗車時の一大イベント」である。(もちろん全ての関西人ではありません)
関西人は富士山が見えないから富士山に興味がないというのは全くの誤りであることが、この一大イベントでも明らかだ。
さらに関西ではどこから富士山が見えるのだろうか?
というクエスチョンに、この本は実証実験をもとに解明してくれている。

この本によって「富士山が見える場所」の北限、南限、西限のポイントが解明されるが、
「どこか?」についてはぜひ本書を買ってからのお楽しみにしたいのでここでは書かない。

著者の田代さんから一度直接のご連絡を頂いたことがある。
私の著書での北岳の高さをご訂正いただいたのだ。

私が記述した高さのデータは古く、近年になって再測したそうだ。
田代さんは「北岳の標高は3,193mです。かつては3,192mでしたが、測量をし直し、1m高くなりました。」
とご丁寧に教えてくださったのだ。
すぐにお礼のご連絡をさせていただいた。

さすが「高さ」にこだわる田代さんである。

秋の夜長富士山読書月間<その四>「富士山」田口ランディ 著

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タイトル 富士山
著者 田口ランディ
発行 文藝春秋社(2004年刊)

 

2004年に発表された同作は直木賞候補になり、表紙(写真)のインパクトもあり、
書店に平積みにされ、私も早速購入し、一気に読んだ。
内容はタイトル通り、富士山を題材にした短編になっている。

富士山麓にある新興宗教団体から救出されコンビニで働いている青年にとって、
富士山は「物質であって、物質でない最も孤高の存在」に映る。
その富士山に寄り添い生きたいと青年は願う。(収録タイトル「青い峰」)

また別の短編では、樹海に冒険に出かけた中学生、夜明け、少年たちは富士山を見上げる。
彼らに届いた声は「生きろ」という富士山からのメッセージだった。(収録タイトル「樹海」)

巻末のあとがきが、気に入っている。
「富士山は、不思議な存在です。美しく輝く富士山を見ると、なぜか得をした気分になる。
 きょうは富士山を見たよ、きれいだったよ、と、誰かに伝えたくなる」(以上引用)

これほど富士山を見た時の気持ちを正しく伝えた文章に出会ったことがない。
さらに「とてもありがたく富士山を見上げる」(同引用)と結んでいる。

そう、この短文も、「その通り!」と思わず拍手した。
この「富士山」を読んで以来、こんな風に富士山を書ける田口ランディさんの大フアンになってしまった。

秋の夜長富士山読書月間<その三>「富士山にのぼる」 石川直樹 著

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タイトル 富士山にのぼる
著者 石川直樹
発行 教育画劇(2009年刊)

 

本の帯には「子どもたちへおくる、はじめての写真絵本」とある。
ページをめくると、子どもたちに読みやすいようにと、漢字にはふり仮名が添えられている。

著者の石川直樹氏は1977年生まれ、写真家でありつつ、
七大陸の最高峰登頂を世界最年少で達成した若き冒険家としても知られている人。
そんな冒険家石川さんに先日偶然お会いすることができた。
そこには日焼けの色濃い、精悍な顔をした若者の姿があった。

「石川さん!この本を買いました。」とお声かけさせていただくと、

「今年も2回富士山にのぼりました。」と白い歯を見せて、笑って応えてくれた。

石川さんが富士山に初めてのぼったのは19歳の時、
それ以降、世界の高い山に挑戦する前には富士山にのぼり、コンディションを整えるそうだ。

巻末には石川さんが冬の富士山にのぼる際の、装備一式の一覧が写真と一緒に解説されていて面白い。
きっとこの本を読んだ子どもたちは、自分も冒険家になった気分を味わえるのだろう。

そのひとつの項目にトイレットペーパーがある。
石川さんの解説には「使った紙は、その場にすてずに必ずもち帰る」とある。
子どもの記憶にも間違いなく刻み込まれ、自分が富士山にのぼった時は、ごみをもち帰るんだろうなと思う。

石川さんと「また会いましょう」と挨拶をして別れた後、
せっかく持参した著書にサインを頂くのを忘れたことに気がついた。残念!

 

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