ニュース

暖簾は風に揺れて(連載vol.505)

この連載でも取り上げたことがある富士そば。

立ち食いそばの名店。
その富士そば、名前も“富士”なら暖簾も“富士”。

蕎麦好きの僕としてはかなりヘビーローテーションな一軒。

少し忙しいランチ時間帯、大体この駅前には富士そばがあるな、この街角にはと記憶にすり込まれている。

注文してから店を出るまで15分以上かけたことはない(あまり早食いはよくないけど)。

ある日、街を歩いていたら目に飛び込んだのがこの暖簾。
白い布にくっきり富士が浮かんでいた。
もちろん即店に入り、夏の定番、冷やしキツネを注文した。
小田急の「箱根そば」もかなり好きだか、回数はと言えば、やはり名前に惹かれて富士そばを選んでしまう。

立ち食いそばのルーツは部活の帰り道、チームメイトと家まで空腹が我慢できずに飛び込んで食べたかけそばの大盛り。
200円でお腹一杯になった思い出が立ち食いそばを食べるたびに記憶が蘇る。

当時からの変化といえば、好みのメニューが「かけそば大盛り」から「キツネ大盛り」に変わったことと、注文が食券に変わったことぐらい。

カウンター越しの「はい!かけ一丁」の掛け声が聞こえないのは少し寂しいけど、今日も暖簾に誘われ蕎麦屋の門をくぐる。

 

撮影/本人

撮影地/東銀座

 

夏の風物詩(連載vol.504)

「三大祭り」というキーワードで検索すると色々な「三大」がヒットする。
日本三大祭り(祇園、天神、神田)
東北三大祭り(ねぶた、竿燈(かんとう)、仙台七夕)
三大祇園祭り、(祇園、博多祇園山笠、会津田島祇園)
京都三大奇祭、(鞍の火祭、今宮やすらい祭、太秦の牛祭)
大阪三大祭り、(天神、愛染、住吉)
京都三大祭り(祇園、葵、時代)

そして江戸三大祭り。
江戸時代から伝わる東京の祭りで、神田神社(明神)の「神田祭」、富岡八幡宮の「深川祭」、日枝神社の「山王祭」。東京・日枝神社は、江戸城及び徳川将軍家の産土神として、祭礼にも徳川幕府の保護が与えられていた。
ご縁があり、4年前から「山王祭」に関わらせていただいている。
神酒所の片付けをしたり、神輿が通る沿道のごみ拾いをしたり、何か職場のある京橋に貢献したいと思ったのがきっかけ。
その後、祭り囃子の仲間に入れていただき、太鼓の練習をしている。
「山王祭」は2年に1回。今年が開催の年ということもあり、練習にも熱が入り、太鼓仲間と本祭の6月を目指した。
日本中のお祭りが中止になり、「山王祭」も早々に中止の決定がなされていた。
太鼓仲間とは気丈に2022年を目指そうと励まし合い、この7月から練習を再開している。
今回の写真はその中止になった令和二年の年号が記載された祭りのパンフレットになる。
祭りの関係者に配布される用に制作されたものを記念にと1部頂くことができた。
下町連合の神輿を担ぐ粋な江戸っ子たちの声が聞こえてきそうな躍動感あふれる絵図は岡田親さんによるもの。
岡田さんは江戸町火消錦絵の第一人者。
半纏を着た担ぎ手と一緒に江戸の富士が祭りに華を添える。

撮影 本人

富士トモ 6人目(連載vol.503)

毎朝毎夕の散歩愛好家として、鎌倉の海辺や緑の中を日々満喫している。

 

多少な雨でも散歩に出かける。

最近は便利なアプリもあり、毎日の距離を計測してくれ、その通知を励みにしている。

5月、6月と2カ月続けて走行距離が100キロをオーバーした。

100キロと書くと少し大げさだが、毎日5キロ約1時間を続けていれば、達成できるので、ハードルはあまり高くない。

 

散歩を続けていると同じコース、同じ時間に会う散歩仲間が見つかる。

かと言って名前を名乗るわけでもない。もちろん名刺交換はしない。

挨拶程度の散歩仲間だ。

しかし、ひょんなことから、親しくなる事もある。それが富士山繋がりだった。

 

海辺を歩いていて、やはり富士山が見えるとテンションが上がって、つい携帯電話(カメラ)を富士山に向ける。

 

「あ、おはようございます」

 

「おはようございます」

 

「今日は富士山よく見えていますね」

 

「はい、つい撮影しちゃいます」

 

「どうです、この富士山のアングル」(自慢の写真を見せ合う)

 

「いいですね 」

 

と、こんな短い会話が交わされる。

 

しかし、私はここで一歩踏み込む。

 

「写真を貸してもらえたら嬉しいです」

 

もちろん説明をして、自分の立場を明らかにする。

 

 

日々会っている親近感もあって、大抵が

 

私の写真でよければとなり、FacebookLINEを交換したりして、別れる。

 

前置きが長くなったが、散歩仲間から提供いただきました写真が本日の富士トモの1枚。

 

本人のご希望で名前は伏せるが、仮に鎌倉在住の富士男さんと呼ぼう。

歳は同じか、少し上ぐらい。それ以上の情報はないが、二つはっきりしていることがある。

 

それは早起きで富士山好きなこと。

 

 

撮影 富士男さん

撮影場所 鎌倉市材木座海岸

夏は冷奴(連載vol.502)

夏の食事

三大好物

 

冷麺(冷やし中華)

素麺

冷奴

 

この3つがヘビーローテーションされていれば私は幸せ。

冷奴に関して言えば、毎日でもいいぐらい偏愛している。

妻に付き合ってスーパーマーケットに行くとカゴに大量の豆腐を入れて呆れられる。

 

その冷ややかな視線を無視して私のお気に入りの豆腐が冷蔵庫にストックされている。

 

ご存知の通り、豆腐は1丁、2丁と数える。

丁とは本来偶数を表す。

博打などで使う「半か丁か」の丁の意味。

以前は豆腐1丁といえば豆腐2個分をさし、1個分なら豆腐半丁と言って販売していた。

現在では豆腐1個分を豆腐1丁といい、パック詰めで売られていることが多いので1パック、2パックとも数えるのが定番に変わっている。

 

最近のお気に入りがこちら。

富士山伏流水で作った木綿。

 

絹ごしと木綿。

好みは分かれるところだが、ほぼ毎日豆腐食べて私の比率は、絹ごし7:木綿3ぐらいがおおよその割合。

 

さぁ、夏到来。

冷奴の季節がやってきた。

 

撮影 本人

2020夏(連載vol.501)

富士山が少し遠くに見えた数ヵ月、気持ちが少し滅入りそうな時も、富士山を眺める散歩だけで気持ちが晴れ晴れとした。

改めて、富士山のパワーを感じることができた。空想の旅は心を富士に登らせてくれ、富士の写真集を眺めると気持ちが落ち着く自分がいた。

そんな私を慰めようとしたのか友人からの差し入れは富士山のお菓子。

その背景にはうっすらと頭を出した富士山が見えている。

この日は朝から大雨、富士山はおろか、江ノ島さえ、全く見えない天候。

天気に文句を一切言わないことを信条としている私も、心の片隅に「残念」な文字が浮かんでいる。ところがその後、滝のように降った雨は徐々に小降りになり、この写真を撮影した後には美しい夕焼けと富士山の競演を楽しませてくれた。(その写真はまたいずれ)

 

今年の夏は全ての登下山道が閉鎖となっているため、富士山に登ることはできない。しかし残念に思うことはない。なぜなら、富士山は登らなくとも、「見てよし」「想像してよし」「撮ってよし」の三方よし。(深い意味はありません)

 

私も登れなくても、7月は山中湖や河口湖に住む友人を訪ねる計画を立てている。

新鮮な空気で深呼吸し、雄大な富士を身近に感じ、美味しいコーヒーを飲むのが目的。

 

今年の夏、富士山も登山できなければ私の住む鎌倉の海には夏の風物詩“海の家”が建たない。

しかし、長い目で見れば今年だけの景色を探すこともできる。

さあ夏本番、皆さんも一緒にこの夏限定の富士山を探しましょう。

 

撮影 本人

連載500回記念 旅は人生の道標 (連載vol.500)

皆様のおかげをもちましてついに連載500回を迎える事ができました。
毎回お読みいただき誠にありがとうございます。

私が連載させていただいている223マガジンですが、連載開始当時は「富士山を世界遺産にする国民会議」と言う名称でした。
2013年晴れて世界遺産に登録が決まり、『富士山世界遺産国民会議』に変更されました。

「を」と「にする」と言う平仮名4文字が削除されただけの名称変更でしたが、この4文字には歴々の大勢の方々の汗と涙が凝縮されているます。
もちろん4文字がなくなって、主旨も変わりました。

「世界遺産にするための活動」から「富士山を守っていく手伝い」になり、富士山に対しての一つ一つの行動がさらに大切になりました。

世界遺産登録はもちろん新しい経済も生み出し、その経済圏はまさしく富士山のように大きな裾野を広げていくことでしょう。

攻めだけでなく、災害対策もさらに重要視されていきます。

私は?と言えば、連載500回は3,776メートルを回数に例えるとまだ半分にも至っていない。
現実的にはこのペースで連載3,776回を目指すと、500回に9年かかっていることを考えれば、
連載1,000回時には67歳、2,000回時には85歳を数え、3,000回では100歳を超える。
現実的じゃないけど、気持ちはその高い頂きを目指しています。

今回の写真は9年前に住んでいた片瀬海岸で撮影した1枚と先日(6月17日)に江ノ島の橋の上で撮影した1枚です。

その回のタイトルが「富士山を旅しよう」(2011年3月11日付)でした。

2月からスタートし、自己紹介と本の紹介に続き、連載3回目からこの富士山の旅がスタートしております。

500回目が何合目になるかはわかりませんが、好きな富士山の旅はまだまだ続きます。これからも223マガジンをご贔屓によろしくお願いします。

223マガジン編集長 鈴木重美(鎌倉在住)

6月吉日

連載500回記念 富士湯の旅 (連載vol.499)

この連載がスタートした頃に通った銭湯がすでにいくつも廃業している。

通うと行っても月一回程のペースがセキノヤマなので、銭湯に到着したら廃業だったことや、更地になっていた事もあった。

自宅で入る風呂と何が違うの?

と聞かれても 明確な答えはない。

気持ちいいんだよ、と言う、まるで答えにならない質疑応答を繰り返している。

 

窓の外が明るい時間帯に入る銭湯は極楽だ。

近所に住む常連に交じり、熱い湯にゆっくりと浸かる。

 

カラダを洗う湯船に浸かる一旦着替え場で涼むもう一度湯船に浸かる着替え場でドリンクを買い飲む

 

数十年に及ぶ銭湯ライフでこのルーティンはほぼ100%守られてきた。

 

今でもいくつか行きつけはあれど、富士が描かれていない湯もあり、やはり足が遠のいてしまう。

住まいのある鎌倉材木座にはまだ銭湯がある。

近所と言うこともあり、その清水湯にはよく通っている。

レトロな建物の雰囲気も最高だか、富士山でなく、金魚が描かれているのが、やはり少し残念。

 

一時期自宅の風呂に富士山の写真を貼って、富士見風呂を試みたが、本連載に使う気にはなれず、自ら没企画とした。

 

連載当初でも紹介したガイドがこちら。

 

秋の夜長富士山読書月間<その六>「風呂屋の富士山」 町田忍+大竹誠 共著

 

掲載は2011105日。

 

その冒頭で、

『かつて、私が住んだ町、鎌倉にも実に立派な銭湯があり、浴槽の壁には見事な富士山画が描かれていた。

鎌倉に移り住んでいる間、その銭湯を残し、2軒の銭湯が町から消えており、

この銭湯にいつまで入れるかなぁと感傷的になったのを覚えている』

と書いた。

それから9年の月日は廃業を加速させた。

昭和40年代には18,000軒あまりあった銭湯も2017年には3,900軒、毎年20-30軒のペースでなくなっているそうだ。

 

その銭湯、歴史を遡ると『日蓮御書録』に登場する『湯銭』が1266年であると言われている。

時は鎌倉時代、鎌倉に住む私は少し嬉しい。

 

撮影 本人

連載500回記念 富士山を巡る旅 その二(連載 vol.498)

今月は500回自画自賛記念と称して、私のこの9年間の富士山を巡る旅の記録を振り返っている。(あくまでも自画自賛企画です)

その二は2015年正月の旅。

河口湖の温泉に入って富士山を眺めよう、と友達を誘い、一泊旅行を敢行した。

日の出とともに色を変える富士山を満喫しようという単純な思いつきだった。

旅は道連れ、気ままなスケジュールは河口湖、山中湖に住む友人を訪ねたり、美味しいほうとうを食べたりと冬の湖畔を巡ることができた。

その友人はその頃から、神に傾倒していき、ついに今年2020年に在家出家している。

仏陀の世界に渡るという「得度(とくど)」という表現が正しいのだろうか? 彼とはバリを一緒に旅した時も、神の国バリに深くハマっていたようで、滞在した町でも飲み屋に行く私と、寺院を回る彼とは随分訪ねたい場所が違うような気がしていた。

 

私は相変わらず俗世界のしがらみにまみれて暮らしており、出家しようとは全く思わないが、露天風呂に入っている彼が日の出に染まる富士に手を合わせていた気持ちは十分に理解でき、一緒に合掌したことをよく覚えている。

まあ、そのぐらいにこの時見た富士山は神々しかった。

 

この写真の原稿の日付は2015年1月9日になっている。

その冒頭で「旅は人生の道標(みちしるべ)をモットーにしている私。毎年富士山ツアーを欠かさない」としているが、そのモットーある「毎年富士山ツアーは欠かさない」をしっかり守っている。

 

2015年 正月

撮影は本人

連載500回記念 富士山を巡る旅 その一(連載 vol.497)

2011年2月にスタートしたこの223マガジン。

身近にある富士山の旅を目的にして、9年間に及ぶ旅を続けている。

今月は「連載500回自画自賛記念」と称して、私がこれまでに歩んだ富士山の旅の記録を改めて振り返ってみよう。(お付き合いください)

その旅の始まりは2011年の5月、「富士山一合目からの旅」から始まっている。

ちょうどこの223マガジン企画をスタートするにあたり、この富士山世界遺産国民会議(当時は「富士山を世界遺産にする国民会議」)のメンバーの方から「富士山に行きましょう」と誘われ、向かったのが、この旅の始まり。

そもそも富士山は五合目から登るのが私にとっての常識だったのだが、お誘いいただいたメンバーの方から「鈴木さん、それは現代の“常識”であり、昔は一合目から歩くことしかなかったからね」と言われたのがきっかけだった。

決め台詞になったのは、「私はね、あの熊野古道よりも富士古道のほうが断然良いと思っている」の一言でメンバーに加えていただき、富士山に向かいました。

鈴原天照大神社(すずはらあまてらすおおじんじゃ)から「二合目」を経て
ゴールである「女人天上」(にょにんてんじょう)に到着。
この場所で、みんなで昼食。

9年前のことなので、少し記憶が薄れているのだけど、折り返し地点で、円座になり、みんなで食べたおにぎりの味だけは今でもしっかり覚えている。

毎日90分、8キロ程度のウオーキングが鎌倉での日課なのは、この場所をいつ訪ねてもいいようにという準備。しかし今年は通行規制で行けない。しかし、それはそれ。先月のこの連載でも書いたように、空想だけでも旅は楽しめる。今年の一合目からの旅はこの写真を見て、良しとしよう。来年こそは再び行く計画を密かに胸に秘めて。

写真本人

2011年5月撮影

富士トモ 5人目(連載vol.496)

写真に写る井上誠也くんとは鎌倉「まちの社員食堂」で出会った。

彼がその食堂でアルバイトをしていて仲良くなった。

現役の大学生でありながら、逗子葉山鎌倉で「面白いまちづくりに参画したい!」という趣旨の「ズヨコン代表/革工房“MINTS”」の代表もしている。

小学4年生から逗子で育ち、東日本大震災後、中学2年の時に地元の中高生や大学生で結成されたボランティアグループ「3・11つなぐっぺし」に参加。被災地支援に取り組んできた。活動を通じて芽生えたのは「地元愛」。「海も山もあるけど、何よりここに集まる人が好きなんだと気づいた」という。

自分と比べても意味がないのはわかりきっているが、こんな若いうちから社会活動をしている井上くんを見て、「今の若いもんは凄い!」と正直感動している。

 

そんな井上くんのアッパレ!な富士トモ写真がこちら。

商店街、富士山、そして本人が見事に構成された最高の一枚。

井上くん、また「まちの社員食堂」で会いましょう!

再会を楽しみにしています。

 

写真提供 井上誠也さん

 

鎌倉「まちの社員食堂」

https://kamakura-shashoku.machino.co

supported by