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秋の夜長富士山読書月間<その八> 「富士山に千回登りました」 實川欣伸 著

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タイトル 富士山に千回登りました
著者 實川 欣伸
発行 日本経済新聞出版社(2011年刊)

 


前回の223マガジンNO27号で800回を超える富士山を登られた超人 佐々木茂良氏 著書「まいにち富士山」を紹介した。
今回ご紹介する本のタイトルは、その名も「富士山に千回登りました」である。

著者の實川欣伸さんは富士山以外の冒険にも果敢に挑戦されている。
その偉大な功績はあまりに膨大で、ここではページが足りないので書かない。

2005年に實川さんは定年を迎えられる。
そして、ここからいよいよ前人未到の登頂記録に挑戦開始になる。
2008年7月に400回達成、その後わずか1年、
2009年8月には「田子の浦から村山古道を山頂へ」のルートで700回目達成。

1年で300回、富士山に挑戦している計算だ。先出の佐々木さんではないが、ほぼ毎日富士山に登るペースだ。

そして、ついに目標の富士山1000回登頂の偉業は、
2010年10月10日この村山古道ルートから達成されることになる。

ちなみに實川さん、東京駅から歩いて富士山登頂というマニアックな記録も達成されている。
正直、もうなんだかわからない。
当然、タダ者ではないから、1000回も富士山に登っているのだが、改めてやはりこのセリフで締めくくりたい。

アンビリーバブル!

秋の夜長富士山読書月間<その七>「まいにち富士山」 佐々木茂良 著

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タイトル まいにち富士山
著者 佐々木 茂良
発行 新潮社(2011年刊)

 


富士山好きにはいくつものパターンがある。
頂上を目指す「登り富士」、富士山をモデルに撮影する「撮り富士」、ひたすら眺めるのを愛す「愛で富士」。

私は住む横浜から富士山が見えると、自然と両手を合わせて拝んでしまう。
さしずめ「拝み富士」または「祈り富士」かも知れない。

さて、「登り富士」の方々にとって、究極の本が今年発行されたので紹介しよう。
「富士山に一度も登らぬ馬鹿、三度登る馬鹿」という有名な言葉もあるように、
とにかく富士山に登らねば気が済まない人は多い 。
この本の著者である佐々木茂良さんはきっと何度もこの「三度登る馬鹿」というセリフを周囲から浴びせられたに違いない。

著者は昭和15年生まれ、今年で71歳になる。
64歳で富士山に初登頂して以来、富士山にとりつかれてしまったらしく、「まいにち富士山」に登ることになる。
その回数は819回という。

毎日富士山に登るとは一体どういうペースで登っていらっしゃるのだろう?

本のページをめくる。
著者はおおよそ3時間を切るハイペースで登っているらしい。速すぎる!

しかし、この本は決して無謀な冒険記の類ではない。
毎日富士山に登るなどという無謀な挑戦をして、事故にでも遭った日には周囲に何と言われ、
迷惑をかけるか知れないと細心の注意力で臨んだ著者の「安全に行って帰るまで」を指南した登山記録なのだ。

高山病対策は? 迷ったときの対処法は?
そんな超人の知恵が満載の一冊、ぜひ「三度登りたい馬鹿(もちろん称賛です)」にお勧めしたい。

秋の夜長富士山読書月間<その六>「風呂屋の富士山」 町田忍+大竹誠 共著

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タイトル 風呂屋の富士山
著者 町田忍 + 大竹誠
発行 ファラオ企画(1994年刊)

 

かつて、私が住んだ町、鎌倉にも実に立派な銭湯があり、浴槽の壁には見事な富士山画が描かれていた。
鎌倉に移り住んでいる間、その銭湯を残し、2軒の銭湯が町から消えており、
この銭湯にいつまで入れるかなぁと感傷的になったのを覚えている。

庶民文化研究における第一人者の町田忍さんと言えば銭湯富士山背景画研究家としても右にでる人はいない。
全国の銭湯を巡り、貴重な資料を多く残されている。

町田さんによると、全国の銭湯の中で最も多い名前は「松の湯」であるという。次に多い名前は「梅の湯」。
銭湯背景画で一番多いのはいわずとしれた「富士山」である。

この本の発行は1994年、当時日本中にはまだ1万軒の銭湯があると町田さんは調査されている。
しかし、銭湯は日に1軒のペースで廃業しているとも書かれていた。
この本の発行から17年以上が経過していることを考えれば、現存する銭湯は半数以下になっている可能性も高い。

当然、「富士山」の背景絵も同様だろう。
町から消えていく銭湯と「富士山絵」。
そんな消えゆく文化を町田さんはこよなく愛し、
銭湯絵を描いてきた絵師の方々や経営者の方々と交流してきた証がこの一冊の本になっている。

まさに人と人との裸の付き合い方がこの本には満載だ。
銭湯が消え、町には大型のスーパー銭湯が増えた。
しかしそこには町田さんが愛した付き合い方は少なくなったかも知れない。

▼ 町田さんのインタビュー記事はこちら ▼
→ 銭湯富士山画と言えばこの人!町田 忍さん
 

秋の夜長富士山読書月間<その五>「富士見」の謎 一番遠くから富士山が見えるのはどこか? 田代博 著

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タイトル 「富士見」の謎
一番遠くから富士山が見えるのはどこか?
著者 田代 博
発行 祥伝社(2011年刊)

 


日本一の山「富士山」を一番遠くどこから見ることができるのだろう?
そんな疑問にこの本は答えてくれる。

関西在住の人と東京に向かう新幹線に乗り合わせたことがある。
静岡県が近づくと、がぜんソワソワし始め、窓側に私が座っていようものなら、遠慮なく席変えを要求してくる。

実際、富士山と反対側(東京行きの場合は向かって右側のシート)に座っている団体が
富士山側に座っている人たちに「すいません」とことわりを入れる光景に遭遇したこともある。

「富士山撮影」は関西人にとって「新幹線乗車時の一大イベント」である。(もちろん全ての関西人ではありません)
関西人は富士山が見えないから富士山に興味がないというのは全くの誤りであることが、この一大イベントでも明らかだ。
さらに関西ではどこから富士山が見えるのだろうか?
というクエスチョンに、この本は実証実験をもとに解明してくれている。

この本によって「富士山が見える場所」の北限、南限、西限のポイントが解明されるが、
「どこか?」についてはぜひ本書を買ってからのお楽しみにしたいのでここでは書かない。

著者の田代さんから一度直接のご連絡を頂いたことがある。
私の著書での北岳の高さをご訂正いただいたのだ。

私が記述した高さのデータは古く、近年になって再測したそうだ。
田代さんは「北岳の標高は3,193mです。かつては3,192mでしたが、測量をし直し、1m高くなりました。」
とご丁寧に教えてくださったのだ。
すぐにお礼のご連絡をさせていただいた。

さすが「高さ」にこだわる田代さんである。

秋の夜長富士山読書月間<その四>「富士山」田口ランディ 著

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タイトル 富士山
著者 田口ランディ
発行 文藝春秋社(2004年刊)

 

2004年に発表された同作は直木賞候補になり、表紙(写真)のインパクトもあり、
書店に平積みにされ、私も早速購入し、一気に読んだ。
内容はタイトル通り、富士山を題材にした短編になっている。

富士山麓にある新興宗教団体から救出されコンビニで働いている青年にとって、
富士山は「物質であって、物質でない最も孤高の存在」に映る。
その富士山に寄り添い生きたいと青年は願う。(収録タイトル「青い峰」)

また別の短編では、樹海に冒険に出かけた中学生、夜明け、少年たちは富士山を見上げる。
彼らに届いた声は「生きろ」という富士山からのメッセージだった。(収録タイトル「樹海」)

巻末のあとがきが、気に入っている。
「富士山は、不思議な存在です。美しく輝く富士山を見ると、なぜか得をした気分になる。
 きょうは富士山を見たよ、きれいだったよ、と、誰かに伝えたくなる」(以上引用)

これほど富士山を見た時の気持ちを正しく伝えた文章に出会ったことがない。
さらに「とてもありがたく富士山を見上げる」(同引用)と結んでいる。

そう、この短文も、「その通り!」と思わず拍手した。
この「富士山」を読んで以来、こんな風に富士山を書ける田口ランディさんの大フアンになってしまった。

秋の夜長富士山読書月間<その三>「富士山にのぼる」 石川直樹 著

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タイトル 富士山にのぼる
著者 石川直樹
発行 教育画劇(2009年刊)

 

本の帯には「子どもたちへおくる、はじめての写真絵本」とある。
ページをめくると、子どもたちに読みやすいようにと、漢字にはふり仮名が添えられている。

著者の石川直樹氏は1977年生まれ、写真家でありつつ、
七大陸の最高峰登頂を世界最年少で達成した若き冒険家としても知られている人。
そんな冒険家石川さんに先日偶然お会いすることができた。
そこには日焼けの色濃い、精悍な顔をした若者の姿があった。

「石川さん!この本を買いました。」とお声かけさせていただくと、

「今年も2回富士山にのぼりました。」と白い歯を見せて、笑って応えてくれた。

石川さんが富士山に初めてのぼったのは19歳の時、
それ以降、世界の高い山に挑戦する前には富士山にのぼり、コンディションを整えるそうだ。

巻末には石川さんが冬の富士山にのぼる際の、装備一式の一覧が写真と一緒に解説されていて面白い。
きっとこの本を読んだ子どもたちは、自分も冒険家になった気分を味わえるのだろう。

そのひとつの項目にトイレットペーパーがある。
石川さんの解説には「使った紙は、その場にすてずに必ずもち帰る」とある。
子どもの記憶にも間違いなく刻み込まれ、自分が富士山にのぼった時は、ごみをもち帰るんだろうなと思う。

石川さんと「また会いましょう」と挨拶をして別れた後、
せっかく持参した著書にサインを頂くのを忘れたことに気がついた。残念!

 

秋の夜長富士山読書月間<その二>「富士山―聖と美の山」上垣外憲一 著

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タイトル 富士山  ―聖と美の山
著者 上垣外 憲一
発行 中公新書(2009年刊)

 


富士山本と同じくらい、歴史本が好きだ。
最近では戦国時代にはまっている。特に織田信長を中心に本を読み漁っている。

この本「富士山―聖と美の山」では富士山を文化的側面から、歴史、芸術、など多方面から解説をしてくれている。
この本文中、好きな箇所は、もちろん織田信長の富士山見物のくだりである。

武田勝頼を破った信長は、わざわざ富士山見物に出向いている。
そして富士山を眺め、「ついに日本一の名物を手に入れたわ!」と言ったとか、言わなかったとか。

信長がどこから富士山を眺めたかが、信長の伝記「信長公記」(しんちょうこうき)に記されている。
文中に「大ケ原」とあり、この本の著者上垣外氏は現在の北杜市白州町であると書き添えている。
信長にとって、富士山とは「天下一統」(統一と同じ意)の象徴だったのだろう。
富士山麓で喜びのあまり馬を狂ったように走らせる様子も公記には描かれている。そんな解説が本文にも続く。

信長以外でいえば、聖徳太子、日蓮、足利家、世阿弥、そして秀吉、家光、北斎など
歴史上の人物と富士山との関わりについて、この本は教えてくれる。
まさに富士山と文化を知るための入門書のような一冊だ。

本書最後に上垣外氏は「結語」としてこう締めくくっている。
「富士山の景観の美は日本の独占物ではなくして、世界の人々のものである」

この結語にこそ、富士山が世界遺産に相応しい答えがあるような気がする。
 

秋の夜長富士山読書月間<その一>「富士山頂」新田次郎著

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タイトル

「富士山頂」

著者

新田次郎

発行

文春文庫刊(1974年刊)

 


残暑が厳しいとは言え、朝晩はすっかり秋の気配である。秋の楽しみ方は人それぞれだが、私はもっぱら読書。

この223マガジンでもこれまでに何冊か富士山関連の書籍を紹介させて頂いている。
今回の223マガジンから「秋の夜長富士山読書月間」と称し、連続10回に渡り富士山関連本を紹介したい。

私にとって、富士山 本と言えば、まず思い浮かぶのがこの本。
新田次郎著の「富士山頂」である。

富士山頂への気象レーダー建設という国家的事業を描いた物語である。
当時の記録など、史実を追いながらも、見事なドラマ仕立てに仕上げている。

富士山頂に気象レーダーが完成したのが1964年(昭和39年)。
新田次郎は昭和7年から41年まで中央気象台に勤務。
この小説は務めを辞めた後、執筆されている。
辞めるまでの間、年数回のペースで富士山観測所勤務を経験されており、
レーダー完成までの過程を、体験した本人でなければわからない感慨を持った作品として描いている。

物語はレーダー建設の資金を出す大蔵省、工事の主体者である気象庁、
そして工事を受注する建設会社という3つの立場の人たちが交錯しあう。
さらに富士山を生業とする地元の人たちを巻き込んで展開していく。

1年間で工事をできる期間は、7月と8月の2カ月間という時間との戦いも加わり、
まさに富士山に挑む人たちを描く冒険小説とも言える。
 

富士山切手コレクション その2

2001年3月30日発行の「富士山と宝飾の山梨」の切手である。
山梨県の伝統工芸である宝飾研磨技術を山梨名産の巨峰と見事に融合させた一枚になっている。

山梨県には、原石の加工と貴金属加工が一体化して栄えた歴史があり、その原石の基本であったのが水晶である。
この切手、実はイラストには水晶も描かれている。この写真では見えにくいが、富士山の下部に光るのは水晶だ。

甲斐の武将、武田信玄の財政を支えたひとつが水晶鉱山だったのは有名な話、
その水晶とダイヤモンドをアレンジし、ブドウの王様、巨峰とを一枚の切手に描いたとは、
見事な発想力と画力としかいいようがない。

開運のシンボルである水晶と富士という、これまた、どちらも開運アイテムの組み合わせに、
この切手は使わずに、ずっと切手ブックにしまったままになっている。
気が小さいせいか、使ってしまうと、運まで去っていってしまいそうな気持になるからだ。
どうして、切手を貼って手紙を送った相手の開運を願えないのだろうか?
この切手を眺めるたびに、己の小心者感にさいなまれ、微妙な気持ちになってしまう。

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種類/ 80円郵便切手
意匠/「富士山と宝飾の山梨」
発行日/2001年(平成13年)3月30日
原画作者/市瀬 千津子
※この切手情報は発行当時のものになります。
 

富士山スノードーム

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引き続きスノードームの話題。

スノードームの題材には世界の観光地が多い。
エッフェル塔や自由の女神、ピラミッド、旅の思い出と一緒にスノードームをお土産にするのだろう。

前述したスノードーム美術館がオープンした際、オーストリアのスノードームメーカーPERZY社と
コラボレーションの話が上った。
同社は日本ならではのスノードームを制作しようと話しを持ちかけたらしい。
そこで「最も日本らしい」ということで決まったのが「富士山」であった。

タイトルは「鳴呼!NIPPON」
富士山の前を新幹線が走っている。
実に見事な構図である。

このPERZY社は百年もの間、スノードームを作り続けている。
この会社は今でもひとつずつ手作りを守っており、量産品にはない魅力があるとのこと。
そんな量産品でないため、この「富士山スノードーム」現在は売り切れ中なのだ。
完売と聞くとなおさら欲しくなるのが人情、ぜひ再販をお願いします。

問合せ先
スノードーム美術館オンラインショップ
URL: http://snow.shop-pro.jp/

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