みんなで考えよう

富士山インタビュー

富士山の魅力は懐の深さ。わかってないことがまだまだたくさんありそうな気がします。

富士山の自然保護と自然との共生のための調査研究を続けている渡邊通人さん。富士山の自然の変化を目で、肌で感じてきた渡邊さんに、
富士山の自然ヘの思い、富士山の自然保護のためにこれから何が大切かを語っていただきました。
写真:井坂孝行 / インタビュー・文:木村由理江

富士山の自然の豊かさを初めて感じたキベリタテハとの出会い

−渡邊さんのお住まいは富士山の中と伺いました。

 富士山の北麓、国立公園の普通地域に住んでいます。いつも富士山を感じながら生活できてるわけですから、恵まれているなあと、毎日思っています。小さいころは何も感じませんでしたけどね、当たり前過ぎて(笑)。

−子どものころは富士山を意識することもなかった、と。

 小学校の高学年の時に、担任の先生が富士山の写生に連れて行ってくれたことがあるんですよ。すーっと線を引いて色を塗るだけだからすぐに描けると思っていたのに、なかなか自分がイメージしている通りに描けない。どう見ても絵がお粗末過ぎるんです。富士山を描くのはこんなに難しいんだ、すごい山だな、とその時に思いましたね。

−富士山の自然にも幼いころから触れていたわけですよね。

 保育園のころから父親に連れられてしょっちゅう富士山の中を歩き回っていました。大きかったのは、確か小学校4年生のころ、2合目で縁がクリームイエローで内側がチョコレートブラウン、しかも青い点々のある蝶を見つけたこと。キベリタテハという蝶だったんですが、富士山にこんなにきれいな蝶がいるんだ、と。以来昆虫が大好きになりました。ちょうど昆虫採集が浸透し始めたころで、中学を卒業するまで、夏休みの宿題はずっと蝶の標本作りでした(笑)。高校時代は生物部で、部員みんなで手分けして、3年かけて富士山の蝶の分布図を作りましたけど、びっくりするくらいいろんな種類の蝶がいて、数も多かった。それを日本学生科学賞に応募して、全国で3等賞をいただきました。大学時代も1年間、月に1回、5合目から下まで歩いて昆虫の調査をしていましたね。

富士スバルラインの開通を機に自然保護ヘの意識が芽生える

−富士山の自然保護に興味を持ったきっかけはなんだったのでしょう。

 1964年、私が高校生のころに富士スバルラインができて、自然破壊が問題になった。富士山の自然を考えるようになったのは、そのころからですね。生物部の顧問が問題意識の高い先生でしたし、私たちも自然破壊の写真を撮りに行って、文化祭で発表もしました。いずれは富士山の自然保護の活動をしたいという気持ちがありましたから、大学は当時日本で唯一自然保護学講座があった東京農工大学を選んだんです。卒業後は富士吉田市内の私立高校で理科を教えながら、"甲州昆虫同好会"を作りまして、仲間と県内のあちこちを歩き回って昆虫のことを調べていました。そうすると年々いろんな昆虫の数が減っていくのがわかるんですよ。絶滅危惧種になるのもいたりする。これはなんとかしなきゃいけない、と危機感を持ったころに河口湖町自然共生研究室の室長だった中学の恩師に「私は異動になるから、後任をやってくれ」と言われたんです。

−それで25年間務めていた高校の先生を辞めてこちらにいらしたんですね。

 ちょうどNPOを作って富士山の自然保護を本格的にやりたいと思って高校を辞めた時期とタイミングが合ったんです。14年くらい前ですか。私が本格的に富士山の自然に取り組むことになったのはそこからですね。その時に恩師に「最終的には富士山全体の自然保護もしてもらいたい」とも言われたので、いずれ研究室を発展させて富士山の自然保護の拠点を作ろうと考えましてね。2012年1月に富士山自然保護センターが内閣府からNPO法人の認証をいただいて、自然共生研究室は富士山自然保護センターの一機関に移行しました。

−NPO法人富士山自然保護センターはどんな活動をされているんですか。

 「富士山及び周辺の自然環境等についての調査・研究とその結果の公表と情報提供」、「富士山周辺に住む小・中・高校生に対する自然環境の保護や保全の啓発と推進」、「日本国内及び海外の環境保護団体・大学等の教育機関等との連携と支援」の3つの事業です。富士河口湖町教育委員会が地元の理科の先生方と40年以上にわたって実施している自然観察教室を卒業した子どもたちを"ジュニアレンジャー"として、例えば富士山麓の動植物のより詳しい観察会などを開催し、自然の勉強の仕方を実際に体験しながらさらに学んでもらったりもしています。また、「富士山自然保護大賞ジュニア」といって、富士山麓にある174校の小・中・高等学校の児童・生徒を対象にして、自由研究・ポスター・写真の作品を公募し、優秀作品を表彰しています。最優秀賞は環境大臣賞で、今年4回目を迎えました。こうした活動に参加した子たちがいつか、地元で富士山の自然を保護する活動に携わってくれたら嬉しいんですけどね。

−富士山の自然を守るためには、何が大事なのでしょうか。

 これまでの調査でわかった成果を、『富士山の自然』という2冊にまとめました。去年7月に出したパート1「いまの北側の自然」では現在の状況を中心に、今年の4月に出したパート2の「北側の自然のこれから」では絶滅危惧種を主に紹介していますが、一言で言ってしまうと、富士山も里山が大切だ、ということになるでしょうね。

富士山の自然と絶滅危惧種の保護のために大切なのは"里山"

−里山、ですか。

 富士山の自然というと、人の手の入っていない原生的な自然がほとんどだと思う方が多いと思いますが、原生的な自然が残っているのは、3合目以上の高山帯や亜高山帯、精進口登山道の両側、大室山、青木ヶ原などの国立公園特別保護地区くらいで、ほとんどが裾野に広がる里山的自然です。原生的な自然は人が手を加えなければ狭い意味での自然保護はできるし、絶滅危惧種は少ないんです。絶滅危惧種の多くは里山にいるので、里山を守ることが大切なんです。

−里山というのは人間の生活とかかわりの深い自然、ということですよね。

 人が住んでいる周りの草地や水田や畑、雑木林や湖の近くとか、人の手が加わることで維持されてきた自然環境です。昭和30年くらいまで、河口湖周辺には養蚕のための桑畑がたくさんあったんです。桑畑の桑は消毒をしないので、私が小学生のころは、今、絶滅危惧種になっている植物のキキョウや、ゴマシジミなどの蝶とかヨタカやサンコウチョウなどの鳥も普通にいました。あのころは、森があって、桑畑があって、雑木林も草地も畑も点々とあって、とてもいい里山だったんですよ。それが昭和30年代の高度経済成長期にゴルフ場が次々できた。地元の産業も変わり、桑畑は人工の松林になって、そのまま森になってしまいました。それを伐採して草地や草原にしたりするとよかったんですけどね。

−いろんな環境があることで絶滅危惧種が守られる、ということでしょうか。

 そうです。とくに草地や草原を維持するのは非常に大事なんです。草を刈ったり、火を入れたりしないと草原はそのうち林になって、森林になっていってしまう。そうすると草原を好む動植物は行き場を失って、絶滅せざるを得なくなる。今は、日本各地で草原が減っていますから、富士山の裾野に広がる草原は、とても貴重です。実は自衛隊の演習場でもある広い草原には、絶滅危惧のいろんな動植物が、たくさん残っているんですよ。

−演習場に、ですか。意外です。

 演習場は春に地元が野焼きをし、春と秋には自衛隊が道路の周辺の草刈りをしていますからね。時々戦車が入って開けた環境になったところに、絶滅危惧種ミヤマシジミが新しく分布を広げたりするんです。日本各地の自衛隊の演習場でも同じようなことが報告されていますので、自衛隊がいろんな絶滅危惧の動植物を守っている、と言えるかもしれないですよ(笑)。

−里山を守るためにはどうするといいとお考えですか。

 自然と共生することです。昔の人たちは生活のために水田を作ったり、牧草地を作ったり、雑木林を作ったりして、意識せずに共生していた。今と昔では生活様式や産業の構造が変わってきてるから、致し方ない面もありますが、富士山の自然を守りながら、林業にしても酪農にしても農業にしても、富士山でしかできないものを考えて、そこで暮らす人々の生活にプラスになるような策を講じて、野生の絶滅危惧種の動植物と共存できるようにする。それが私たちの目指しているところですね。それをしなければ富士山の里山の自然はなくなってしまいますし、それは地元に住んでいる人たちにもマイナスになるはずなんですよね。おそらく富士山で起こっていることは、日本各地で起こっていることの縮図だと思います。富士山の里山を守るだけでなく、日本中の里山を守ることにつながっていくといいんですけどね。

−渡邊さんが考える富士山の一番の魅力を教えてください。

 世界中の人を引きつける魅力があるところですね。去年、アメリカのルイス&クラーク大学の学生と一緒に富士山の調査をしましたが、先生たちも学生たちも、富士山を見ただけで「すごい!」と。霊山とまでは言いませんが、何か厳かな感じがある。おそらくそれは自然の美しさから来ているんだと思います。生物多様性の高さ、地元の人たちの生活や歴史・・。いろんなものが反映された姿の美しさに、見る人が引きつけられるんだと思います。あと富士山ってすごく不思議な山なんですよ。新富士火山ができ上がってまだ1万年くらいしか経ってない新しい火山なので、高山性の動植物はほとんどいないと言われています。でもまったくいないわけじゃなくて、植物もいくつかあるし、まだ見てませんが、高山性の昆虫もいるらしい。まだまだわからないことがいっぱいあるんです。富士山は私たちが思っている以上に懐の深い山なんだと思います。もっともっと調査していきたいですね。

渡邊通人
わたなべみちひと

1953年 山梨県南都留郡鳴沢村生まれ 東京農工大学農学部林学科自然保護学(動物)専攻を卒業後、富士吉田市内の私立高校の理科の教師に。同時に甲州昆虫同好会の活動も始める。2001年、中学の恩師のあとを引き継ぎ河口湖町自然共生研究室の室長になり、その後、高校の生物部の顧問だった先生のあとを継いで河口湖フィールドセンターの館長を兼任した時期も。現在は富士山自然保護センター内自然共生研究室(http://www.mfi.or.jp/mfncc/)の室長に専任。これまでの自然共生研究室の研究成果は『富士山の自然 Part.1 いまの北側の自然』、『富士山の自然 Part.2 北側の自然のこれから』(いずれも価格は本体900円+税)や「平成24~26年度事業報告書」にまとめられている。「平成24~26年度事業報告書」に関する問い合わせは富士山自然保護センターまで(TEL&FAX 0555-20-3510)。

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役

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