−富士山世界遺産課の成り立ちについて教えてください。
世界遺産の登録前に富士宮市教育委員会文化課にあった富士山文化課が、2013年の登録を機に名称と組織を変更して富士宮市役所企画部富士山世界遺産課になりました。課長以下、企画係と土木技師、建築技師など技術職ばかりの計画推進係がそれぞれ3人ずつ、計7人で動いています。具体的には、世界遺産である富士山にふさわしい街づくりのための用地取得や整備、富士山が世界文化遺産であることや登録の理由である“信仰の対象と芸術の源泉”であることを市民のみなさんに広く知っていただくための活動をしています。静岡県富士山世界遺産課や、静岡県、山梨県の両県で構成する富士山世界文化遺産協議会と連携した富士山保全のための取り組み、報道や刊行物への取材対応、イベントの開催や小中学校への出前講座などですね。重要なのは子どものころからの刷り込みだと思うので、小学校高学年から中学生までを対象にした富士山と構成資産に関する冊子も作成しました。ガイドさんだけでなく市民の誰もが、外から富士宮に来た人に富士山や構成資産に関するいろんな話ができるように、また市外から友達が遊びに来たらごく自然に「ちょっと世界遺産の構成資産を回ってみよう」と誘うようになったら嬉しいですね。Twitterもその啓発活動の一環です。
−Twitterを利用しようと思ったのは?
長く広報にいたこともあり、若い人が旅行でも食事でも必要な情報はスマホで集めているのは知っていましたから、やるなら訴求効果の高いSNSだなと思ったのがそもそものきっかけです。富士山はいつでも誰でもきれいに撮れるので、最初はインスタグラムも考えましたが、市内で広告宣伝などを手掛ける業者さんから「なにより手軽だし、表示回数、リツイート数、リンクのクリック数など効果が目に見えやすいから」とTwitterを勧められて、なるほど、と。多言語にも対応しているし、世界に発信できるという点でもTwitterでよかったと思っています。
−どんなことを意識してツイートされているのでしょう?
著作権や肖像権のことを気にするくらいで、それ以外はあまり意識してはいないです。“富士山世界遺産課”のアカウントではありますが、庁内の他のどの課のSNSより投稿の頻度が高いという自負もありますので、富士山世界遺産に関することだけでなく、富士宮という地域のよさも市民目線で発信しています。“最低でも1日1ツイート”は維持しながら、富士山のきれいな写真が撮れた時とか、仕事のこと以外でも日常でふと何かを思った時に、土日祝日、早朝深夜に関係なく自然体でつぶやいています。そもそもTwitterってそういうものなのかな、と思っているので。
-“中の人”になったことで内藤さんの日常に何か変化はあったのでしょうか。
以前配属されていた広報課で“中の人”をやった経験もありますし、写真を撮ったり文章を書くことは抵抗なくやれていますが、“富士山世界遺産課富士宮市役所”の中の人である自分に“1日1ツイート”を課したことで、日常的に富士山や構成資産について考えるようになりましたし、自分の心の声に敏感になった気がします。例えば“よかった”、“きれいだ”と感じた時に、何をどういいと感じたのか、どこがどうきれいだと感じたのか突き詰めるようになりました。自分と同じようにいいね、きれいだねとみなさんに感じてもらえる写真が撮れているかどうか、それほど自信はないんですけどね(苦笑)。とはいえ画像は訴求力がとても高いので富士山の写真を載せると反応も非常に多い。世界の宝である富士山の情報発信の一端を担っていると思っていますから、それは大きな励みになっています。
−富士山が世界遺産に登録されたことで富士宮市にはどんな変化がありましたか。
以前から富士山中心の街づくりを進めてきましたが、登録後は“世界遺産富士山のまち・富士宮”というキャッチフレーズにふさわしい品格のある街づくりをしていきましょうという機運が庁舎の中で高まっているのを感じます。構成資産の整備も進んでいて、例えば白糸ノ滝は、イコモスからの指摘を踏まえて滝壺の近くにあった売店を撤去し、橋を景観に合うものに掛け替え、エントランス部分を整備しました。他には富士山と市内の構成資産を総合的にガイダンスできるような構成資産案内所も新たに作りました。来年で登録から10周年を迎えますが、次の10年に向けて、富士宮の中心市街地である静岡県富士山世界遺産センター周辺から富士山がもっとよく見えるようにしたいと考えています。いずれ富士山を眺めながらゆっくり歩いて楽しめる街になるはずですので、楽しみにしていてください。
-富士宮市内にある構成資産、富士山本宮浅間大社、山宮浅間神社、村山浅間神社、人穴富士講遺跡、白糸ノ滝の中で一番のお気に入りを教えてください。
う〜ん・・。強いてひとつ挙げるとすれば、西暦110年ごろに富士山の噴火を鎮めるために作られたといわれている山宮浅間神社でしょうか。富士山本宮浅間大社の元宮です。本殿はなく、石段を登った先にある遥拝所から真っ正面に富士山が見える。神仏習合だった昔、そこに神職やお坊さんが整然と並んで富士山を拝んでいたんだなというのを実感できるし、富士山の霊力も感じられます。「ここに来ると空気が違う」と言われる方も多いです。あと村山浅間神社もぜひ足を運んでいただきたいですね。樹齢1000年を超える大杉の御神木や富士山で厳しい修行をし、最後は即身成仏になった末代上人が氏神さまとして祀られているお社がありますし、遠くに駿河湾も見えて、伊豆大島に流罪になった役行者が夜毎走って海を渡り、村山を経て富士山頂に登っていたという伝説が、なるほどと思えるんですよ。あっ、人穴富士講遺跡の、富士講信者が建てた232基の碑塔群も・・。やっぱりひとつ選ぶのは難しいですね(苦笑)。
-富士山に登られたことは?
3回あります。1回目は2003年の静岡国体の炬火を富士山頂で採火する際に、広報課の仕事で行きました。みんなはブルドーザーでしたけど、僕だけ歩いて登らせてもらいました。あとの2回は、広報課に戻ってきた2016年と2017年。夏に市役所の富士山支局を開設しようということになり、九合目の万年雪山荘に広報課の職員が交代で駐在してTwitterを含めいろんな発信をした時です。仕事以外で登りたい気持ちはあるんですけど、なかなか機会がなくて・・。きっかけがあればいつでも登るつもりでいます。
−富士山にまつわる思い出を教えてください。
直近の思い出は、今年のお正月に富士山から昇る初日の出を3回見たことですね。最初に市内北部にある自宅で低い位置の稜線から顔を覗かせた初日の出を見て、次にもう少し北の朝霧高原に移動して中腹に近い稜線から出る初日の出を、さらにもっと北の根原に移動して少し高い稜線から昇る初日の出を見ました。去年の元日から始めたんですが、富士宮に住んでいるからこそできることだと思うので、しばらく続けようと思っています。
−富士宮市に住んでいるからこその楽しみですね。他にも何かありませんか。
富士山の雪解けのころに、富士吉田の方から山肌に残る残雪が鳥の形に見える“農鳥”というのがありますが、富士宮から見える残雪も何かに見立てられたらおもしろいだろうなと思って、雪の時期は目を凝らして山腹を見ています。たまに観音さまや富士山に馴染みのあるかぐや姫に見立てられそうな雪の形を見つけると、嬉しいですよ(ニコニコ)。富士宮に限らず、富士山周辺に住んでいる人ならではの楽しみ方だと思います。
−内藤さんが思う富士山の魅力は?
今も昔も人々を敬虔な気持ちにさせるところじゃないでしょうか。富士山が文化遺産になったのは、富士山に登ることで霊力をいただきたい、念願を成就させたいと願った修験道や富士講の人たちが長く大切に富士山を信仰してきた実績が認められたからですが、今も人々は、弱い自分に打ち勝ちたいとか願いを叶えたいと強く思って富士山に登っています。富士山の姿に手を合わせる人も少なくないですしね。形は変わっても、昔も今も思いは変わっていない。敬いの気持ちを持ち続け、富士山や富士山の神を祀る神社など先人が残してくれた信仰遺跡を大切にし続け、そしてそれを未来につなげていくことが、僕たちに課せられた役割であり、僕たちがそういう気持ちを持ち続ける限り、富士山は世界文化遺産であり続けるんだと思います。あともうひとつ忘れたくないのは、世界遺産登録によって焦点が当てられた構成遺産を長く守ってきた地元の人たちです。構成資産がきれいに維持されていたことが登録の後押しになってもいると思いますから、地元の人たちの信仰心や地元を大切に思う心には本当に敬意を表したいです。そういった地元の人たちの声をもっと聞くには、土日祝日に開いている案内所に行くのが一番なので、時間がある時にはなるべく各案内所に足を運ぶようにしています。
−休日返上で富士山三昧ですね。
そうですね(苦笑)。でも楽しいし、勉強になるし、富士山を守る役にも立つ。そうやってたえず富士山のことを考えてないと、つぶやけないですよ。
−印象に残っている富士山、心に残る富士山は?
東日本大震災があった時の富士山です。被災地では大変なことになっていて、報道でそれに触れた僕も途方に暮れるような気持ちになりましたが、目の前の富士山はどっしり構えてそこにいた。きっとなんとかなる、みんなで乗り切れるはずだと思ったことを憶えています。東日本大震災の4日後の3月15日に富士宮で最大震度6強の揺れを感じた時も、富士山がなんともなければ大丈夫だ、と。僕は別の街に行ってもつい、富士山は見えないかと探してしまう癖があるんですが、日本のランドマークである富士山がこんなに身近にずっとあるのは、誇らしいことだと思います。県外出身の職員の中には、富士山があるからという理由で富士宮市役所を選んだ人も多いみたいです。富士山って本当にすごいんですよね(笑顔)。
ないとうたけまさ 1970年 富士宮市生まれ 市内の高校を卒業後、神奈川大学法学部へ。1992年、富士宮市役所入庁。主に福祉、広報畑を歩み2018年4月から現職。小学校時代は地元のスポーツ少年団でスピードスケートを楽しみ、中学時代はテニス部、高校時代は陸上部で円盤投げ、大学時代は柔道とスポーツに親しむ。地元に戻り、柔道で肩を怪我して以降、高校時代から興味があった長距離走に。かつては“走る広報”とも呼ばれ、富士登山駅伝を走ったことも。フルマラソンベストタイムは2時間42分。興味があるのは、食べること、きれいなもの、かわいらしいもの。
富士山世界遺産課公式Twitter:https://twitter.com/fujinomiya_223