みんなで考えよう

富士山インタビュー

富士山初登頂は2006年。大人になってあんなに苦しかったのは初めてでした(笑)

「ダイビングのライセンスを持っている登山ガイドはいるみたいですけど、海と山、両方のガイドを現役でやっている人にはまだ会ったことがないですね」と話す三浦早苗さん。
城ヶ崎海岸を拠点に、伊豆の海から富士山頂まで、“活動エリアの標高差日本一”を誇るガイドさんです。
三浦さんのフィールドが海から山へ広がった経緯、自然への想い、これからの季節の富士山の楽しみ方などをうかがいました。
写真:井坂孝行/インタビュー&文:木村由理江

素晴らしい海があるのは、豊かな山や森のおかげだと気がつきました

−会社を辞めてダイビングのインストラクターになった経緯から教えてください。

 OLをしていた当時はバブルの真っ只中で、社内旅行の行き先が2年続けてハワイだったんですよ。2年目のハワイ旅行を前に「去年は観光を楽しんだから今年は何をしよう」と考えていたら、友達が「ダイビングをしてきたら?」と。学生時代から一度やってみたいと思っていたので、いいきっかけだとライセンスを取得し、ハワイで初めてのファンダイブをしました。海の中には見たことのない生き物や地形や景色がいっぱいで、もう楽しくて楽しくて。そこから月に1、2回は伊豆に、ボーナスが出たらグアムやサイパン、それからハワイでアメリカ人に薦められた沖縄に潜りに行くようになったんです。ただ泳ぎは得意ではなかったので楽しさの中に不安もあり、その不安を取り除きたくて間隔を空けずにダイビングの回数を重ね、資格のレベルをアップしていきました。

−その時点でいずれはインストラクターになろうと思っていたんですか。

 いや。その時は畏れ多くてそんなこと考えもしませんでした(笑)。ただ勤め先で女性が認められることの難しさや限界を感じ、転職するなら自分の好きなことを仕事にしたいと思うようになり・・。潜りに行っていた渡嘉敷島で活躍する女性ガイドさんの姿に、「女性でもできる仕事なんだ!」と気づかされたことがなにより大きかったですね。ダイビングのガイドができるダイブマスターの資格取得中は、お手伝いした初心者の方に「ありがとう」と言ってもらえるとすごく嬉しくてやり甲斐を感じたし、励みにもなりました。資格が取れた25歳で会社を辞め、憧れていた渡嘉敷島の女性ガイドさんの後釜として、半ば押しかける形で働き始めたのが最初でした。

−インストラクターの資格を取得したのはそのあとなんですね。

 渡嘉敷島で1年間ガイドをしてからです。その後、沖縄本島のダイビングショップに4年間勤めました。今もそうですけど、私はダイビングのたびに得られる新たな気づきをもとに少しずつ上達していくことに喜びや楽しさを感じる人間だったので、私の講習を受けた人の“その後”がいつもすごく気になっていたんですね。上達を見届けたいと思っていたというか。でもほとんどが旅行者の沖縄ではそれが叶わない。東京のダイビングショップなら定期的にお客さんと一緒にいろんなところに潜りに行けるし、不安や疑問も解消してあげられるし、人間関係も深められるんじゃないかと思って東京に移りました。山登りもダイビングも奥は深いですから、今でも上達につながる気づきが得られると嬉しいし、ガイドをする時はいつも、その日1日で何か新しい発見や気づきをお客さんに得てもらいたいと思っています。

-山に興味を持つようになったのはいつ頃ですか。

 お客さんと一緒に行くツアーの最終日は、陸のレジャーを楽しむことが多いんですよ。ダイビングで体内にたまった残留窒素があると、飛行機や高所への移動で血液中に気泡ができる“減圧症”を起こしてしまう危険があるので。それで、知床や屋久島の森の中を歩いたりカヤックに乗ったりするんですが、ガイドさんに案内していただく森の中には新しい発見がいっぱいで、「素晴らしい海があるのは豊かな森のおかげ、海と山や森はつながってるんだ!」と気づきました。「だったら海だけでなく、森や山のガイドもやってみたい」と思うようになり、2011年に登山ガイドの資格を取ったんです。伊豆天城山周辺をフィールドにしていましたが、縁あって富士山の登山ガイドの方に声をかけられ、夏は富士吉田市公認の富士山登山案内人組合に登録するようになりました。

頂上は自分が決める”という気持ちは、海でも山でも大事なことだと思います

−初めて富士山に登ったのはいつですか。

 2006年です。屋久島に一緒に行ったお客さんたちと「次はみんなで富士山に登ろう!」と盛り上がり、その下見としてひとりでガイドツアーに参加したんですが、大人になってあんなに苦しかったのは初めてでしたね(苦笑)。すごくゆっくり登っているのに苦しくて苦しくて。でも一歩一歩歩みを止めなければ必ず頂上に着くんですよ。登頂した時には達成感と感動で涙が流れました。ダイビングで達成感を味わうことはほとんどありませんからね。

-どうしてですか。

 海の中という特別な環境なので、折り返すタイミングがどこになるかは空気の消費量次第。“ここが頂上”と言えるようなものはないんです。強いて言えば“生きて帰ること”が頂上(目標)です。最近の登山事故の多さを見ると、山でも“自分の頂上は自分で決める”という考えは大事なことだと思います。

-海と山、両方のガイドをやっているからこそ感じることが多そうですね。

 ダイビングも登山も大切なのは無事に帰ってくることですよね。ダイバーの安全を確保するために、ダイビングはライセンスの取得が義務付けられていますし、“バディシステム”と言って、ライセンスがあっても常に2人一組で行動します。その点、富士山では一目で初心者だとわかる簡単な装備で、ガイドなしで登っている人が多い。しかも私たちガイドには考えられないようなハイペースで登って、結果的に高山病で倒れてしまう人も少なくない。2022年の夏はとくに事故が多かったですから、装備を十分に整え、自分の体力を過信せず登ってほしいなと改めて思います。登頂することにこだわらず、体調や天候に応じて無理せず引き返す勇気も、忘れずにいてほしいですね。

-海と山、両方の自然に触れて思うことは?

 海と山のつながりをより感じるようになりました。例えばこの辺りだと、天城山の豊かなブナの森が蓄えた栄養が川を下って相模湾や駿河湾に流れ込むことでいい漁場が生まれているし、大室山の溶岩が作った城ヶ崎海岸は、ゴツゴツした岩場が魚たちのいい住処になり、海藻の生育にもいい影響を与えています。自分の好きなことをして、それを仕事にしてきたことで今の私があります。仕事のフィールドである海や山など自然の魅力や怖さを自分が関わる人たちに伝えることが、その人たちに「自然を守ろう」、「限りある地球の資源を大切にしよう」と気づいてもらうための種まきになっていたら、地球への恩返しになるんじゃないかと思っています。

-富士山の登山ガイドを始めて、富士山の印象は変わりましたか。

 小さい頃から富士山を見ていたので、姿が見えるだけで嬉しく安心感がありましたけど、仕事のフィールドになったことでより身近になりましたし、さらに大切にしたいと思うようになりました。海外の有名な山はそれなりの入山料を払わないといけないし、ガイドなしで登ることはできない。ところが日本の象徴である富士山は“保全協力金”という任意の寄付はありますが、無料で入山できて、ガイドをつけずに登ることができる。今のままで富士山の環境を守り、登山者に安全に楽しんでもらうことがこの先もできるのかな、とよく思います。

1時間半くらいで登れる愛鷹山の黒岳からの富士山が、
どーんと大きくて形もきれいなんですよ

−これからは富士山を眺めて楽しむ季節。三浦さんも策定に関わっている“富士山ロングトレイル”はその姿を楽しむだけでなく、歴史や文化にも触れられる登山や散策のコースになっているとか。

 みなさんがよくご存知の三国山や越前岳など50を超える山の登山道と村山浅間神社や白糸の滝などの世界遺産の構成資産にも通じる一般道を結んだ、総距離は約170キロメートルのコースです。上級者向けの鎖場がある山もあれば、バスを降りて少し登っただけで河口湖越しの富士山が見られる初心者向けの山もあって、それぞれの経験や脚力、その日の体力や日程に応じてルートを選んで楽しんでいただけるコースになっています。

−富士山が単独峰であるからこそ実現したコースとも言えるかもしれないですね。

 そうですね。富士山はどこから見るかで表情が全然違いますから、それがまたおもしろいんですよ。私がご案内したお客さまは「今度は反対側の山も歩いてみたいわ」とおっしゃっていましたが、山頂から見える山は富士山以外も気になるし、そこからどんな富士山が見えるのかなと興味が湧くみたいですね。いい山なのにあまり知られてない山がたくさんありますから、ぜひ楽しんでいただきたいです。国立公園なので新たな設備の設置は簡単にできませんが、もう少しトイレが増えたりテント場ができたりするとより魅力的なコースになるんじゃないかなと思います。

−富士山を眺めるならここ、という三浦さんのお薦めを教えてください。

 私が静岡側からの富士山を見慣れていることもありますが、越前岳の手前にある標高1000メートルちょっとの黒岳から見る富士山がどーんと大きくて、形もとてもきれいなのでお薦めです。1時間半くらいで登れますし、山頂に広がった草地でお昼ご飯をのんびり食べて帰ってくるのは、入門編としてもとてもいいと思います。経験者はぜひ、そこから縦走していただきたいです。

−海と山両方のガイド。楽しそうだけどご苦労もあるのでは?

 どちらも好きなことなので苦労というのはないですね。ただ・・。富士山に登る前日にダイビングをすることはもちろんありませんけど、直近のダイビングでたまった残留窒素がしっかり排出されているかどうかは、いつも気にしています。万が一私が富士山で減圧症になったりしたら、「言ったでしょ。だからダイビングと登山が両立できるわけないんだよ」とダイビング業界の人に笑われちゃいますからね(笑)。

三浦早苗
みうらさなえ

みうらさなえ 1968年 神奈川県大和市生まれ 会社勤めをしていた21歳でダイビングの、25歳でダイブマスターのライセンスを取得。その後、退職し渡嘉敷島でダイビングのガイドを始める。30歳で都内に戻りダイビングショップに勤務。2005年、新たにオープンした東伊豆店の店長として伊豆に移り住む。2011年、登山ガイドの資格を取得し、2012年、城ヶ崎海岸を拠点に独立。その後、富士吉田市公認富士山登山案内人組合に登録。PADIマスタースクーバダイバートレーナー、PADI EFRインストラクター、日本赤十字救急法救急員、日本山岳ガイド協会認定 登山ガイドステージⅡ、伊豆半島ジオパーク推進協議会認定 ジオガイド。

ぴっころHP
https://www.sts-pikkoro.com

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家
小山真人静岡大学 教授 理学博士
勝俣克教富士屋ホテル 河口湖アネックス 富士ビューホテル支配人
漆畑信昭柿田川みどりのトラスト、柿田川自然保護の会各会長
日野原健司太田記念美術館 主席学芸員
渡井一信富士宮市郷土資料館館長
大高康正静岡県富士山世界遺産センター学芸課准教授
渡辺貴彦仮名書家
望月将悟静岡市消防局山岳救助隊員・トレイルランナー
成瀬亮富士山写真家
田部井進也一般社団法人田部井淳子基金代表理事、
クライミングジム&ヨガスタジオ「PLAY」経営
齋藤繁群馬大学大学院医学系研究科教授、医師、日本山岳会理事
吉本充宏山梨県富士山科学研究所 火山防災研究部 主任研究員
柿下木冠書家・公益財団法人独立書人団常務理事
菅田潤子富士山文化舎理事『富士山事記』企画編集担当
安藤智恵子国際地域開発コーディネーター
田中章義歌人
千葉達雄ウルトラトレイル・マウントフジ実行委員会事務局長、
NPO法人富士トレイルランナーズ倶楽部事務局長
松島仁静岡県富士山世界遺産センター 学芸課 教授(美術史)
大鴈丸一志・奈津子夫妻御師のいえ 大鴈丸 fugaku×hitsukiオーナー
有坂蓉子美術家・富士塚研究家
小川壮太プロトレイルランナー、甲州アルプスオートルートチャレンジ実行委員会実行委員長
飯田龍治アマチュアカメラマン
篠原武ふじさんミュージアム学芸員
吉田直嗣陶芸家
春山慶彦株式会社ヤマップ代表
中野光将清瀬市郷土博物館学芸員
久保田賢次山岳科学研究者
鈴木千紘・佐藤優之介看護師・2014年参加, 大学生・2015と2016年参加
松岡秀夫・美喜子さん夫妻「田んぼのなかのドミノハウス」住人
三浦亜希富士河口湖観光総合案内所勤務
石澤弘範富士山ガイド・海抜一万尺 東洋館スタッフ
大庭康嗣富士山裾野自転車倶楽部部長
杉本悠樹富士河口湖町教育委員会生涯学習課文化財係 主査・学芸員
松井由美子英語通訳案内士・国内旅程管理主任者
涌嶋優スカイランナー、富士空界-Fuji SKY-部長、日本スカイランニング協会 ユース委員会 委員長・静岡県マネージャー
岩崎仁合同会社ルーツ&フルーツ「富士山ネイチャーツアーズ」代表
門脇茉海公益財団法人日本交通公社研究員
渡邉明博低山フォトグラファー・山岳写真ASA会長
藤村翔富士市市民部文化振興課 富士市埋蔵文化財調査室 学芸員
勝俣竜哉御殿場市教育委員会社会教育課文化スタッフ統括
前田友和山梨自由研究家
杉山浩平東京大学大学院総合文化研究科 特任研究員 博士(歴史学)
天野和明山岳ガイド、富士山吉田口ガイド、甲州市観光大使、石井スポーツ登山学校校長
井上卓哉富士市市民部文化振興課文化財担当主幹
齋藤天道富士箱根伊豆国立公園管理事務所 富士五湖管理官事務所 国立公園管理官
齋藤暖生東京大学附属演習林 富士癒しの森研究所所長
池川利雄ノースフットトレックガイズ代表、富士山登山ガイド
松本圭二・高村利太朗山中湖おもてなしの会副会長, 山中湖おもてなしの会会員
関口陽子富士山フォトグラファー
猪熊隆之山岳気象予報士・中央大学山岳部監督
髙杉直嗣2021年御殿場口登山道維持工事現場代理人
羽田徳永富士山吉田口登山道馬返し大文司屋六代目
内藤武正富士宮市役所企画部富士山世界遺産課主幹兼企画係長
河野清夏フジヤマミュージアム学芸員
中村修七合目日の出館7代目・富士山吉田口旅館組合長・写真家
野沢藤司河口湖ステラシアター、河口湖円形ホール館長
三浦早苗ダイビング&トレッキングぴっころ代表
田部井政伸一般社団法人田部井淳子基金代表理事
橋都彰夫半蔵坊館長・わらじ館館長
上小澤翔吾富士登山競走実行委員会事務局
杉村知穂富士宮市教育委員会教育部文化課
河野格登山ガイド

supported by