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富士山インタビュー

富士山は人を育てる山。だからこそ“日本の象徴”なんだと思います

“スカイランニング”は、麓の町や村、谷や海から山頂までのタイムを競う山岳競技。
新しいスポーツかと思いきや、日本で最初のレースは1913年に金栗四三氏が発起人となって
御殿場市で開催した現在の富士登山駅伝競走です。
日本スカイランニング協会(2013年設立)のHPによると、
現在、世界各地で200以上の公式戦が、日本では20以上の公認レースが開催されているそうで、
これからさらに人気の高まるスポーツといえそうです。
このスカイランニングに6年前に魅了された涌嶋優さんは、
研究職の傍、自らを鍛えるだけでなく、
若い選手の育成にも精力的に取り組みながら、普及にも努めています。
背筋をピンと伸ばし冬の木立の中を駆け抜ける颯爽とした姿は、
スカイランニングの未来を双肩に担う涌嶋さんの人柄も物語っているようでした。
写真:飯田昂寛/取材・文:木村由理江

「一緒に山を走ろう」と先輩に誘われて初めて走ったのが富士山でした

−どんな経緯でスカイランニングに出会ったんですか。

 中学時代に野球部と掛け持ちで駅伝をやっていた時に、自己ベストを出した試合で自分が抜かれたことで負けてしまいまして(苦笑)。それが悔しくて駅伝一本に絞ったんですが、成長期の貧血などが重なって、結局、高校卒業までほとんど走れなかった。大学駅伝や実業団駅伝にも憧れましたけど、自分はこの先、特別なことが何もない人生を歩んでいくことになるんだろうな、と諦めていました。ところが配属された今の研究所は駅伝が盛んだったこともあり、もう一度真剣に走ってみよう、と思っていた矢先、トレイルランニングをやっている先輩から「一緒に山を走ってみないか」と。連れてこられたのが御殿場口で、そこから宝永山山頂を目指しました。平地では自分の方が速いのに、山に入ると先輩に全く太刀打ちできない。駅伝とは違う、走り以外の技術や戦略が勝負を分けるスポーツだ、これはおもしろそうだ、とそそられました。最初はトレイルランニングとスカイランニングの区別ができませんでしたが、調べていくうちに自分が体感したのはスカイランニングだったと知ることになるんです。

−トレイルランニングとスカイランニング、どんな違いがあるんですか。

 トレイルランニングは“山を走るスポーツ”と日本では捉えられていますが、本来は不整地を走るもので、陸上競技のカテゴリーです。スカイランニングは山岳競技で、必ず山頂を踏む。その“山頂を踏む”という点が自分にとって何よりも魅力でした。初めて宝永山を駆け登り、山頂にたどり着いた時の達成感と空の青さは、今も心に残っています。実はそれが初めての富士山でもあったんですよ。

−初めて富士山に足を踏み入れた時の印象は?

 何度かテレビで見ていた、大勢の登山客がゴツゴツした岩場を登るイメージしかなかったので、富士山自然休養林の緑の濃さや木漏れ陽の美しさ、澄んだ空気の気持ちよさにまず驚きました。リスや鹿とも目が合って、自分は歓迎されているな、とも感じたし。沖縄には映画『ジュラシック・パーク』に出てくるような亜熱帯林が多かったので、“本当の森とはこういうものか!”と、その時初めて知りました。道沿いに古い神社があるのも新鮮で、自然だけでなく歴史や文化にもすっかり魅せられました。

−トレーニングも富士山でよくされるそうですね。

 今日もこのあと、この水ヶ塚公園周辺を走る予定ですが、一年を通して富士山の山域でトレーニングしていますし、夏はほとんど富士山に入り浸っています(笑)。駆け登った山頂で、お鉢を回ったりしながら2、3時間うろうろして下りてくるというトレーニングも、毎夏20回程度やっています。とくに富士宮口の駐車場から剣ヶ峰の山頂までの距離はちょうど5kmで、その間に標高1376m登ることができる。これは、自分がメインでやっているバーティカルキロメーターという種目の、5km以内で1000mを登るという基準を満たすコースで、かつ標高2400m以上の高地でもある。自分にとっては最高のトレーニング環境なんですよ。タイム? 全力で登ると70分から75分ですね。

−そんな短時間で!?

 (笑)。あと、一番距離が長くて累積標高差もある御殿場口から登ったりもします。比較的登山者が少ないので、御殿場口は、ランナーがとても多いです。御殿場口の醍醐味は下りの大砂走りです。経験したことのないスピードが出るし、山中湖や箱根や愛鷹山、天気が良ければ駿河湾までパノラマで見える。本当に空を飛んでいるような経験ができますからね。

−2012年からは8月第一日曜日の富士登山駅伝に、2014年からは7月下旬の富士登山競走に、毎年のように出場されてもいますね。

 自分は密かに“富士山ウィーク”と呼んでいますが、両方に出るのが毎年の楽しみですし、出ることで富士山の夏が来たな、と実感できます。自分がマネージャーをしているユース日本代表の世界選手権遠征と重なることもあって、なかなか両方に出るのが難しくなってきていますけど、富士山を全力で駆け登って駆け下りないとどうしても気がすまないようで、両方に出られない時には結局、一人でそれをやっています(苦笑)。

数年以内に富士山と周辺山域でスカイランニングのレースを開催したい

−富士山やスカイランニングと出会って変わったことはありますか。

 人生そのものが大きく変わりました。自分と同じように富士山での活動を通して人生を豊かにしてほしいという願いを込めて、富士空界-Fuji SKY-というスカイランニングのクラブチームも作りましたし、富士山でのトレーニングによる肉体的な疲労をケアしに行った治療院で今の妻にも出会いましたし、富士山で世界一のスカイランナーになる、富士山で世界に誇れるレースを作りたい、という夢も生まれた。人間的にもずいぶん大らかになったと思います。スカイランニングを通して富士山やその山域の豊かな自然、そこで暮らす人々と触れ合うことで、人や自然に対する敬意が深まったからだと思います。富士山でトレーニングしていると、毎回何かしら学ぶもの、得るものがあります。富士山は、ただ眺めているだけの人、そこに足を踏み入れる人、みんなを育てる山なんだろうと思います。だからこそ、日本の心とか日本の象徴と言われているんでしょうね。

−その富士山で、世界に誇れるスカイランニングのレースをやる、というのは、涌嶋さん流の恩返しかもしれないですね。

 日本スカイランニング発祥の地である御殿場にレースがないのは寂しいですし、海外のレースで出会ったほとんどの人に「富士山でレースをやってくれよ」と言われるくらい富士山は世界の人にとっても特別な山で、世界中のスカイランナーが富士山でのレースを夢見ていますからね。国立公園内ですから、いろんな難関があるのは覚悟していますが、静岡県のスカイランニングを担う者として、実現のためにこれからどう動いていくといいか、計画しているところです。周辺の山域でのレースは2年以内、富士山でのレースは、規模は小さくて構わないので、5年以内が目標です。そのレースは、これから日本にスカイランニングを広めるためのモデルケースになるようなものにしたいとも考えています。

−というと?

 スカイランニングはヨーロッパでは非常に人気のあるスポーツで、地域のビジネスとしてもちゃんと成り立っていて、例えばワールドシリーズのレースは、開催する町や村、地域全体で支えるシステムになっています。レースに訪れるたくさんの選手や観客のための特別な宿泊プランや地域の魅力を伝える観光プログラムが用意されていますし、そこで得た利益が地域を潤すだけでなく、登山道の整備や、自然環境の保護に活用されている。すごくいいサイクルで自然と人々が共生できている。それを考えると、スカイランニング はとても美しいスポーツだと自分は思います。そういうレースが富士山でできたらいいし、そういうサイクルが日本中に広まり、スカイランニングが日本に定着したらすごく嬉しいですね。そうしたら、スカイランニングを日本の子どもたちが憧れるスポーツにする、という別の夢も叶うでしょうからね。

自研鑽を重ねて日本を代表するスカイランナーになりたい

−初めてご自分の目で富士山を見たのはいつですか。

 高校卒業後に就職し、希望していた静岡の研究所に配属された20歳の時です。想像以上に大きかったし、それまであまり意識したことのなかった宝永火口の存在感がすごくて、自然の猛威を感じました。こっちに住んで8年近くになりますが、毎日富士山はチェックしますし、いつ見ても「いいな」と思います。見飽きることはないですね。

−富士山があるから静岡の研究所を希望した、ということではないんですよね。

 それはないです(笑)。自分はいろんなことを考えるのが好きですし、常に最先端の情報や技術に触れて自分でも新しい何かを作りたい、という気持ちがとても強いんですよ。そういう自分の欲求を満たしてくれる職場は、今の研究所以外ないな、と思っていました。趣味でスキューバダイビングもしているので、伊豆というダイビングスポットがあり、かつ富士山もある静岡は環境的に素晴らしいだろうな、とは思っていましたけどね。

−じゃあ、ここで根を張りそうですね。

 張りますね。富士山がないともう生きていけない気がするので(笑)。

−どこから見る富士山が好きですか。

 沼津アルプスの小鷲頭山から見る富士山です。富士山の手前に、沖縄にいたころから馴染みのある海と愛鷹山と宝永山があり、そこに連なる箱根も見える。僕の好きなものがすべてそこに詰まった、欲張りないい景色なんですよ。あと御殿場市内から見る富士山も好きです。クラブチームのロゴにもしていますが、富士山と宝永山の下に双子山と森が見えて、富士山の成り立ちがよく表れているところが気に入っています。

−富士山で好きな場所は?

 絞りきるのは難しいですが・・。ひとつは剣ヶ峰の馬の背。山頂に至る最後の苦しい急登で、もうすぐ山頂に着くというワクワクと、もう終わってしまうという惜しさを感じますし、遠くにはきれいな駿河湾、目の前には急斜面とお鉢があって、登りきったらどんな景色だろうとドキドキもしますし、空気が薄いのでいつもとは違う身体感覚になったりする。いろんな刺激がいっぺんに入ってきて、自分が自分じゃなくなるような感覚が好きですね(笑)。もうひとつは宝永第二火口の底。しばらくそこで寝転んで、持っていったサンドイッチを食べて帰ってくることがたまにあります。ぐるりと見える火口の縁に人影が見えると、マグマはこういう気持ちで人間を見てるのかなと想像したり、いつもと違う視点で物事を見られておもしろいです。富士山を構成する火山と森林に包まれていることで、ああ、富士山にいる、と実感できますしね。

−最後に、2020年に目指しているレースを教えてください。

 一戦だけでいいのでワールドシリーズTOP10に入れたらいいなと思っていて、5月3日に中国の四川省である“YADING SKYRUN”を狙っています。距離は41kmと自分のメイン種目のバーティカルキロメーターよりかなり長く、最高標高が5000m超えとハードルも高いんですけどね。それに向けてのトレーニングをこの冬から始めたところです。スカイランナーとしてもまだまだこれからなので、研鑽を重ねて日本を代表するスカイランナーになりたいです。

涌嶋優
わくしますぐる

1992年 東京都墨田区生まれ 生後3ヶ月で千葉県に、8歳から母親の出身地の沖縄県に移る。沖縄工業高等学校卒業後、愛知の自動車メーカーに就職し、現在、静岡県内の研究所に勤務。21歳でスカイランニングと出会い、約1年間のトレーニングを経て23歳でレースデビュー。2年目の2016年にはアジア選手権のコンバインド部門で3位入賞を果たし、以降、多くの好成績を残している。座右の銘は“二兎を得たくば二兎を追え”。「夢に優先順位はつけられない、何ひとつ我慢せず、犠牲にせず、すべてを欲張って生きるんだ、と思っています(笑)。そのためにも学び続け考え続けて、最短の時間で最高の結果を出せる、完全な自分を目指す」と話す。コーヒーが好きで、おしゃれなカフェでコーヒーとスイーツを味わうのも趣味のひとつ。

日本スカイランニング協会HP:
http://skyrunning.jp/

富士空界-Fuji SKY-HP:
https://www.fujisky223.com/

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家
小山真人静岡大学 教授 理学博士
勝俣克教富士屋ホテル 河口湖アネックス 富士ビューホテル支配人
漆畑信昭柿田川みどりのトラスト、柿田川自然保護の会各会長
日野原健司太田記念美術館 主席学芸員
渡井一信富士宮市郷土資料館館長
大高康正静岡県富士山世界遺産センター学芸課准教授
渡辺貴彦仮名書家
望月将悟静岡市消防局山岳救助隊員・トレイルランナー
成瀬亮富士山写真家
田部井進也一般社団法人田部井淳子基金代表理事、
クライミングジム&ヨガスタジオ「PLAY」経営
齋藤繁群馬大学大学院医学系研究科教授、医師、日本山岳会理事
吉本充宏山梨県富士山科学研究所 火山防災研究部 主任研究員
柿下木冠書家・公益財団法人独立書人団常務理事
菅田潤子富士山文化舎理事『富士山事記』企画編集担当
安藤智恵子国際地域開発コーディネーター
田中章義歌人
千葉達雄ウルトラトレイル・マウントフジ実行委員会事務局長、
NPO法人富士トレイルランナーズ倶楽部事務局長
松島仁静岡県富士山世界遺産センター 学芸課 教授(美術史)
大鴈丸一志・奈津子夫妻御師のいえ 大鴈丸 fugaku×hitsukiオーナー
有坂蓉子美術家・富士塚研究家
小川壮太プロトレイルランナー、甲州アルプスオートルートチャレンジ実行委員会実行委員長
飯田龍治アマチュアカメラマン
篠原武ふじさんミュージアム学芸員
吉田直嗣陶芸家
春山慶彦株式会社ヤマップ代表
中野光将清瀬市郷土博物館学芸員
久保田賢次山岳科学研究者
鈴木千紘・佐藤優之介看護師・2014年参加, 大学生・2015と2016年参加
松岡秀夫・美喜子さん夫妻「田んぼのなかのドミノハウス」住人
三浦亜希富士河口湖観光総合案内所勤務
石澤弘範富士山ガイド・海抜一万尺 東洋館スタッフ
大庭康嗣富士山裾野自転車倶楽部部長
杉本悠樹富士河口湖町教育委員会生涯学習課文化財係 主査・学芸員
松井由美子英語通訳案内士・国内旅程管理主任者
涌嶋優スカイランナー、富士空界-Fuji SKY-部長、日本スカイランニング協会 ユース委員会 委員長・静岡県マネージャー
岩崎仁合同会社ルーツ&フルーツ「富士山ネイチャーツアーズ」代表
門脇茉海公益財団法人日本交通公社研究員
渡邉明博低山フォトグラファー・山岳写真ASA会長
藤村翔富士市市民部文化振興課 富士市埋蔵文化財調査室 学芸員
勝俣竜哉御殿場市教育委員会社会教育課文化スタッフ統括
前田友和山梨自由研究家
杉山浩平東京大学大学院総合文化研究科 特任研究員 博士(歴史学)
天野和明山岳ガイド、富士山吉田口ガイド、甲州市観光大使、石井スポーツ登山学校校長
井上卓哉富士市市民部文化振興課文化財担当主幹
齋藤天道富士箱根伊豆国立公園管理事務所 富士五湖管理官事務所 国立公園管理官
齋藤暖生東京大学附属演習林 富士癒しの森研究所所長
池川利雄ノースフットトレックガイズ代表、富士山登山ガイド
松本圭二・高村利太朗山中湖おもてなしの会副会長, 山中湖おもてなしの会会員
関口陽子富士山フォトグラファー
猪熊隆之山岳気象予報士・中央大学山岳部監督
髙杉直嗣2021年御殿場口登山道維持工事現場代理人
羽田徳永富士山吉田口登山道馬返し大文司屋六代目
内藤武正富士宮市役所企画部富士山世界遺産課主幹兼企画係長
河野清夏フジヤマミュージアム学芸員
中村修七合目日の出館7代目・富士山吉田口旅館組合長・写真家
野沢藤司河口湖ステラシアター、河口湖円形ホール館長
三浦早苗ダイビング&トレッキングぴっころ代表
田部井政伸一般社団法人田部井淳子基金代表理事
橋都彰夫半蔵坊館長・わらじ館館長
上小澤翔吾富士登山競走実行委員会事務局
杉村知穂富士宮市教育委員会教育部文化課
河野格登山ガイド

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