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富士山インタビュー

『富士山縁起』にはかぐや姫が帰ったのは富士山頂と書かれています

昨年12月に富士宮市にオープンした静岡県富士山世界遺産センター。
逆さ富士をイメージさせるユニークな外観、水面に映り込んだ時に現れる美しい姿、温もりを感じさせる富士ひのきの木格子、
螺旋のスロープを登りながら富士山登山を擬似体験できる内部など建物も展示も魅力的です。
同センターの准教授の大高康正さんに、富士山信仰の歴史について伺いました。
写真:飯田昂寛/取材・文:木村由理江

今も富士山で山伏修行をしている方々がいます

−富士山信仰の歴史はどこまで遡ることができるのでしょう。

 縄文時代くらいまで遡ることができると言われています。富士山はひときわ高い上に、当時は噴火活動が大変に活発で、噴煙を上げたり、溶岩が流れてくる荒ぶる山、大いに力を持った存在として畏れられて、麓から遥拝していたと考えられます。記録のない時代ですから、富士山を正面に見る場所に石を並べた配石遺構があるというようなところから、考えていくしかないんですけどね。そして火山活動が一段落した平安の初め以降、山伏などの修験者たちが山に入って修行する場所や登山道を開き、それが元になって室町時代の15世紀くらいには一般の庶民も数多く登るようになっていたようです。

−浅間大社ができたのはもっと前ですよね。

 9世紀初めに山の方から移って来るという伝承がありますね。浅間大社は激しい噴火が鎮まることを祈念して設けられたので、修験者や庶民が登るのはもっとあとの話です。噴火は神の怒りと考えられていて、9世紀中頃の記録で、朝廷は富士山の神様である浅間(あさま)の神に高い位を与えており、鎮めようとしていたことがわかります。麓に住んでいた庶民はそれぞれの地域単位で富士山を祀っていただろうと思いますが、富士山の周りに浅間神社をつくり、神職を常駐させて祈りを捧げるようになったのは9世紀以降のようです。

−修験者が富士山を修行の地に選んだのには理由があるんですか。

 修験者たちはそれぞれに拠点や活動範囲があり、富士山は、伊豆山や箱根の修験者が開いたと言われています。伊豆山と箱根と富士山の修験者にはつながりを感じさせる共通の通字を名前に持つ人が多く、それぞれの由緒や伝説を記したそれぞれの『縁起』を見ると共通するような話があったりするので、そう考えられているわけです。実際、伊豆山も箱根も、山頂の修行場などから雄大な富士山が見えるポイントがありますから、目の前に見える富士山を修行の場としたいと思うのは自然なことだという気がします。

−富士山で修行することで、修験者に箔がついたりしたのでしょうか。

 どうでしょう。室町時代以降、山伏は全国組織になっていきます。例えば京都の聖護院を本寺とした本山派の山伏が集って大峰山で修行をする時に、自分の所属をお互いに言い合うような機会はあったと思うので、富士山で修行をしているとなれば、一目置かれるようなことはあったんじゃないかと思います。

−今も富士山で山伏修行している人はいらっしゃるんですか。

 表口と言われていた大宮・村山口登山道(現・富士宮口登山道)は、修験者が開き、管理していた登山道ですが、神仏分離の影響を受けたり、交通路の発達でルートが変更になったりして、その活動拠点は廃れてしまいました。今、富士山で山伏修行をしている方々がいらっしゃいますけど、流れは一度絶えてしまっていますから、昔と同様の修行を山中でされているわけではないですね。また江戸で栄えた富士講の先達には、富士山頂に3回行くと"御中道"という、富士山中腹をほぼ真横に一周回る修行が許されていたようですが、そのルートも大沢崩れの崩壊が進んで通行止め区間となっているため、今は回れなくなっています。

観光登山にも富士山の信仰に通じるものがあると思います

−一般の庶民が富士山に登り始めたのは室町時代、とおっしゃいましたね。

 はい。古代から富士山の神様は女性だ、という話は度々出てきますが、鎌倉時代終わり頃にはつくられていたとされる『富士山縁起』によると、富士山の神様はかぐや姫だ、という話が出てきます。かぐや姫が最後に帰るのは月ではなくて富士山の山頂だ、と。そしてかぐや姫が、送って来た養父のおじいさんと養母のおばあさん、里の人々とお別れする中宮(ちゅうぐう)という場所で「私に会いたければ富士山の山頂に来ていいよ」と言っています。富士山の神様であるかぐや姫が、一般の庶民が富士山に登ることを許可した、という解釈ができますし、これ以降、神の領域である富士山に人々が入ることができるようになった、庶民の登山を誘うようになっていったと考えられます。

−その当時から女人禁制だったんですか。

 『富士山縁起』の中でも、"おばあさんと会えるのは中宮で"と注記されています。頂上に会いに来ていいよと言ってはいるけれど、女性は中宮までだときっちり示しているのですね。

−なるほど。当時の人は何を求めて登っていたのでしょう。

 基本的には神様、仏様がおわす聖なる空間である山頂が目的地であり、その空間へ足を踏み入れること、またそこで祈願を行うことが目的だったと思います。

−当時からすでに火口は大日如来とみなされ、また各峰々に名前がついていたのですか。また峰々には、大日如来を中心に、本来あるべき配置で仏様の名前がつけられていたりしたのですか。

 修験者が仏教的な思想のもとで、どこの峰にはどの仏が、と考えていきました。ただ、噴火口に鎮座する中心仏が大日如来である、というのは揺るぎませんが、峰々に鎮座する仏様については諸説あります。それぞれの法則はあるようですが、仏教の曼荼羅の世界観で統一した見解があったわけではないようです。

−夜間登山をして、山頂で日の出を迎える、というのも当初から?

 参詣曼荼羅と呼んでいる登山案内を記す宗教画を見ると、登っている人物の図像は御室大日堂(おむろだいにちどう)という中腹辺り以降でみな、松明を持っていますから、夜行登山をしていることにはなりますね。今のように朝日を頂上で見たかどうかははっきりわかっていません。江戸時代の富士講信者の日記を見ると、九合目にある日御子(ひのみこ)を祀っているところで朝日を拝んでいます。今はご来光と言われますが、当時はご来迎と言っていました。極楽浄土から阿弥陀様がこちらへ迎えに来てくれるという考え方です。ブロッケン現象によって、自分たちの姿が映ったものを阿弥陀様ととらえたわけです。それで、山頂は特別な場所であり、厳しい場所だけれどもなんとか行ってみたい、となったんだと思います。

−今も夏にはたくさんの方が富士山に登ります。それはどうご覧になりますか。

 今は観光登山の方がほとんどですから、昔と全く同様の信仰心を持って登る人々は少なくなっているとは思いますが、実際に登ると、山頂は寒いし、風は強いし、空気は薄いし、高山病になって頭痛になったりする。そういう険しい状況の中、なんとか山頂にたどり着いて見る風景に感動するというのは、かつて富士山を信仰登山していた人々と共通する要素はあるかもしれないですね。中には明確に願いや祈りを持って登られる方もいるでしょうけど、仮にそうではなくても、生きていればそれぞれ悩みや思いがあるわけですから、苦しい思いをして登って、ご来光なり、眼下に広がる景色を見た時に感じたことが、神仏からの何かしらの示しととらえられることもあるわけです。それが登る人の感動や満足につながるんだと思います。

夏の開山期は登山を通して人々が富士山の神や仏と交信できる時期

−熱海のご出身だそうですが、幼い頃に富士山との関わりは?

 熱海は坂の街ですので山の上まで行かないと富士山は見えませんが、自分にとって富士山は眺める山でしたね。最初に登ったのは中学の学校行事です。六合目まで行きました。その後全国各地の聖地や霊場、寺社への参詣史を研究するようになりましたが、絵画や古文書・古記録を見たり読んだりしただけではイメージできないことを、現地に行って確かめたくなるんですよ。それで富士山頂にも行きました。これまでに4回登っています。

−寺社参詣、巡礼に対する興味はいつ頃から?

 大学院時代の途中で研究テーマを変更した頃からでしょうか。庶民は歩くかカゴに乗るかしか移動手段がなかった時代に、なぜ身辺の危険をかえりみず、聖地や霊場へと人々は行かなければならなかったのか。信仰を切り口にすることで、当時の人々の思想や精神を知ることができ、加えて社会の組織、仕組みや構造などまで明らかにできるのではないかと考えました。博士論文も無事書くことができました。

−富士山の魅力はどんなところにあると思いますか。

 姿の美しさ、また連なった連峰ではなくて、独立峰でひときわ大きく見えるところも特徴になっているんだろうとは思いますが・・。全国各地に聖地・霊場とされてきた場所はありますが、その中でも富士山の山頂は行くのが容易ではない部類になると思います。その困難を乗り越えてでも行こうという、その魅力の根源を探すのが私の研究の目的であり、その答えは決してひとつではないだろう、というところも私にとっての魅力ですね。

−古い資料に残る記述で、印象的なのはどんなものですか。

 昔の人が富士山の神様をどういった姿でとらえていたかを知り得るものとして、夢の中に現れた姿が参考にできます。南北朝時代の今川氏一族の今川了俊が記した『難太平記』の中に、"浅間神社で戦勝祈願を行い、夢の中に武者の格好をして馬に乗った女性の姿で神様が現れた"という話が出てきます。武者の格好をして、戦勝へと誘ってくれてはいるけれど、その姿は男性ではなくて女性だったというのがとても印象に残っています。

−どんな富士山が一番好きですか。

 見た目でいうと、雪をかぶっている時期の富士山が一番きれいだと思いますが、個人的に気になるのは夏の雪のない時期の富士山です。夏は富士山が開山されている時期ですが、今も昔も富士山の神様が山頂へ「来ていいよ」と言ってくれている時期なわけです。開山期は人々が登山を通して、富士山の山頂におわす神や仏と交信できる期間になるわけですから、この時期の富士山がやっぱり気になりますね。

大高康正
おおたかやすまさ

1973年生 熱海市出身。大学、大学院修士課程まで東京、その後京都・奈良など関西で延べ10年過ごしながら、奈良で博士課程に進み寺社参詣史、参詣曼荼羅の研究をテーマとする。富士市立博物館の学芸員、元興寺文化財研究所研究員などを経て、静岡県富士山世界遺産センター准教授に。専門は日本中世史、社会史。『参詣曼荼羅の研究』、『富士山信仰と修験道』などの著書がある。趣味は寺社巡り、路地散策。

静岡県富士山世界遺産センター公式HP https://mtfuji-whc.jp/

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家
小山真人静岡大学 教授 理学博士
勝俣克教富士屋ホテル 河口湖アネックス 富士ビューホテル支配人
漆畑信昭柿田川みどりのトラスト、柿田川自然保護の会各会長
日野原健司太田記念美術館 主席学芸員
渡井一信富士宮市郷土資料館館長
大高康正静岡県富士山世界遺産センター学芸課准教授
渡辺貴彦仮名書家
望月将悟静岡市消防局山岳救助隊員・トレイルランナー
成瀬亮富士山写真家
田部井進也一般社団法人田部井淳子基金代表理事、
クライミングジム&ヨガスタジオ「PLAY」経営
齋藤繁群馬大学大学院医学系研究科教授、医師、日本山岳会理事
吉本充宏山梨県富士山科学研究所 火山防災研究部 主任研究員
柿下木冠書家・公益財団法人独立書人団常務理事
菅田潤子富士山文化舎理事『富士山事記』企画編集担当
安藤智恵子国際地域開発コーディネーター
田中章義歌人
千葉達雄ウルトラトレイル・マウントフジ実行委員会事務局長、
NPO法人富士トレイルランナーズ倶楽部事務局長
松島仁静岡県富士山世界遺産センター 学芸課 教授(美術史)

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