−田近さんはいろんな形で富士山と御殿場市に関わっているそうですね。
事務局長をしている富士山ツーリズム御殿場実行委員会では、富士山の開山期に御殿場口の新5合目で開催されるマウントフジ トレイルステーションの企画・運営管理、2011年から始まったUTMF(ウルトラトレイル・マウントフジ)の御殿場口太郎坊エイドステーションの運営、今、御殿場で生活しているJFA アカデミー福島の子どもたちとのサッカー教室への協力、地元や近隣の子どもたちを対象にした環境教育登山や体験会などを行っています。あと、私が代表を務めるWingtipでは、今年、御殿場で開催したアウトドアイベントのACO CHILLを始めとするフェスやアウトドア事業の運営、御殿場市観光協会のアドバイザーを、個人では御殿場のNPO法人土に還る木森づくりの会の顧問をしています。
−富士山ツーリズム御殿場実行委員会の大きな活動のひとつが、今年も御殿場口新5合目で開催されるマウントフジ トレイルステーション(以下トレステ)。トレステの設置を提案・推進したのは田近さんとお聞きしました。
御殿場口の新5合目は駐車場があるだけで、建物はほとんどないんですよ。急に雷が鳴り出しても、バスを待っている人たちが避難できる場所もなかった。そういう時にみんなが駆け込めたり、登山者同士が情報を交換し合ったり、同時に御殿場口を特徴づけられる施設があるといいと考えたんです。昔から登山道で商売をされている方たちがいらっしゃるので営業行為はせず、安全登山の啓発、環境保全の啓発、富士山や御殿場に関するさまざまな情報発信、子どもたちへの教育、の4本を柱に、2013年に9日間だけトライアルで開設したのが最初です。去年は開山期を通して開催しましたが、一昨年のトライアルに来てくれた人たちが顔を見せてくれたり、UTMFのエイドステーションのボランティアにも参加してくれたり。つながりができたのは嬉しかったです。
−今年も開山期の7月10日〜9月6日、毎日朝6時から午後5時まで開設されるそうですね。
はい、去年に引き続き富士山登頂証明書の発行や満月トレッキングや御殿場口での星空観察会も開催します。新しいこともいろいろ計画中ですが、去年の反省も踏まえ、今年は安全登山の啓発により力を注いでいこうと考えています。例えばヘルメットの装着とか。作業用のヘルメットをかぶる気にはなれないでしょうけど、安全性の規格を満たしたファッション性の高いヘルメットもあるんですよ。そういったものを紹介するだけでなく、メーカー側への提案みたいなことまでやっていけたらな、と考えています。装着してください、と推奨するだけでなく、楽しんでつけてもらう方法を考えていくのも、トレステの役割かな、と。スタッフは観光業とは関係のない人たちばかりなので、それぞれの枠にとらわれない自由な発想を尊重しながら活動していきたいし、トレステを登山者に「行ってみたい」、「また来たいな」と思ってもらえる場所にしていきたいですね。
−田近さんは何をきっかけに地元・御殿場市に深く関わるようになったのでしょう。
東京の専門学校を出て旅行会社や広告代理店で仕事をして2011年に地元に戻った時に、御殿場の町はもっと盛り上がるんじゃないか、と思ったんです。誰もその旗を振らないなら自分が旗を振ろうかな、と。ただ、地元に戻ってしばらくは、富士山麓に滞留しているスコリアと呼ばれる火山噴出物の流出を抑えるための森林整備の事業に関わっていました。森林関係のNPO法人の簡単な事務を頼まれたのに、気がついたらチェーンソー作業者の資格まで取ってました(苦笑)。そちらが一段落したころ、御殿場市がスポーツイベントなどへの参加者と開催地周辺の観光を融合させるスポーツツーリズムを提唱し始めていたので、市役所に直接、御殿場の観光プロモーションのアイディアを話しに行ったことが、現在の活動につながっています。
−御殿場市を知ってもらうために、何が大事だと考えていますか。
新しいものを作るんじゃなくて、すでに御殿場にある自然や施設などをもっと活用し、アピールするといいだろうと考えています。御殿場のアウトレットショップは有名ですが、以前都内などでアンケートをしてわかったのは、富士山が間近に見えることはあまり知られていないし、御殿場口があることはもっと知られていない、ということ。富士山の登山口は日本に4つしかなくて、そのひとつが御殿場口です。その御殿場口の存在をもっとアピールするといいと思うし、地元の人間としてそれを伝えていく義務も責任もあると思います。まあ、あまり知られていないのには、それなりに理由もあるんですけどね。
−というと?
観光登山にあまり向いてないというか・・。まず他の登山道の登り口は標高が2000メートルから2400メートルなのに御殿場口は1450メートルなので山頂までの距離が長いんですよ。しかもスコリアの堆積が多い場所が続くので、木がほとんどないし、足下が砂地みたいで登りにくいところがある。道のりとしてはかなり厳しいと思います。でも下山道としてはかなり楽しめる、と私は思っているんです。柔らかいスコリア層が衝撃を吸収するので膝に負担がかからないし、仮に転んだとしてもほとんど痛くない。7合目から5合目までは広いスコリア層を駆けるように下りてこられます。あれはかなり気持ちがいいですよ。当然、御殿場口からの富士登山をお勧めする立場なわけですが(苦笑)、御殿場口への富士下山もぜひお勧めしたいですね。他にも御殿場口には自然休養林や宝永山や双子山もあって、登頂以外にトレッキングやハイキングも楽しめます。御殿場口を起点にした富士山の楽しみ方を紹介することが大事だと思います。
−子どものころは毎日、どんなふうに富士山を眺めていたんですか。
見えるのが当たり前でしたから、とくに何も。御殿場は山間部で天気予報が当てにならないので、富士山にかかる雲を見て、天気を予想したりしてました。生活の一部でしたね。ただ、高校を卒業して地元を出てからは、帰ってくる度に富士山の大きさを感じて、改めて富士山はすごい山なんだ、御殿場っていいところだ、と思うようになりました。一度地元を離れたことで、富士山と地元の魅力がわかったんです。
−富士山にはこれまで何回くらい登られていますか。
山頂までは20回くらい。双子山や宝永山や休養林も入れると・・、数えきれないですね(笑)。
−初登頂はいつですか。
30歳くらいの時です。将来的な不安要素を取り除くために両膝を手術すると決めた時に、お医者さんに「激しい運動はできなくなると思う」と言われたんです。それまでサーフィンばかりやっていて山には縁がなかったので、地元だし、一度登っておこう、と。かなり辛いと聞いてもいたので、その辛さもちょっと体験してみたかったですしね。それで一人で、朝4時くらいに須走口を出発して、お鉢(火口)を回って午後3時に帰ってきました。頂上は雲がかかっていて景色は何も見えませんでしたけど、達成感はすごかったです。下山途中で、ほぼ真上に虹が見えたのも印象的でしたね。手術の後、しばらくブランクはありましたけど、少しずつ山登りを始めました。外科病棟で自分よりもずっとハードな状況の人たちを見ていたら、このまま運動を諦めるのは絶対に嫌だ、という強い気持ちが湧いてきたんです。筋力をキープしつつ、膝に負担をかけないことを意識して、運動を楽しんでいます。
−田近さんが考える富士山の一番の魅力を教えてください。
歴史と文化、です。私も最近調べ始めたんですが、とにかくおもしろいです。例えば、1707年の宝永山の噴火で大きな被害を受けた御殿場は、当時管轄していた小田原藩に見捨てられてしまうんですが、災害対策の責任者に任じられた関東郡代の 伊奈半左衛門が飢餓に苦しむ人々を救うために、独断で幕府の米蔵を開けた、という話があったりします。結局、その郡代は切腹させられるんですが、そうやって復興に関わった人たちがいたから、今の御殿場があるんだな、と思うと地元に対する愛着がさらに湧いてくるんですよ。今も御殿場市内のあちこちに飾られているわらじや特産のわさびも、富士山とつながりがある。そういう話をトレステに来てくれる人たちにすると、すごく喜んでくれます。噴火の時に焼けた木がまだ、炭のようになって残ってるんですよ、と話すと、「見つけましたよ」と教えてくれたりしますしね。歴史や文化を知ることで、富士山や御殿場の景色も、ひと味違って見えてくるんじゃないか、楽しめるんじゃないかと思います。できればそれを来てくれる人たちにPRするだけでなく、地元の人たちにももっと知ってもらって、愛郷心を持ってもらえたらいいな、という気持ちも、実は私の中には強くあります。そのためにも富士山と御殿場の町を、もっともっと盛り上げて行きたいですね。
1979年9月21日 静岡県御殿場市生まれ 東京エアトラベル専門学校卒業後、旅行会社、広告代理店に勤務し、31歳を機に独立。2011年以降、地元に戻り、御殿場を盛り上げる活動に携わる。地元の広告代理店Wingtipの代表であり、また富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長兼アドバイザーやNPO法人の顧問なども務める。