−山梨に関する自由研究を始めたきっかけを教えてください。
2007年に“夢甲斐塾”という学びの会に参加したことがそもそものきっかけです。松下政経塾の副塾長も務められた、当時の塾長だった上甲晃先生が僕ら塾生に最初にされた甲府城のオベリスクに関する質問に、答えられなかったんですよ。関西からいらしていた上甲先生がご存知のことを、山梨で生まれ育った自分が知らなかったのが悔しくて、山梨についてもっと自分でしっかり調べていかないとだめだ、と思い知らされたというか。その後、2013年1月から“山梨トリビア”の投稿を始めました。
−トリビアの数は今、何個ですか。
トリビアの数は2700個を超えています。最初は100個投稿したら終わろうかな、と思っていたんですけど、おもしろいね、がんばってね、とみなさん言ってくださるので、いまだに続いています。
−とはいえ調べるのは大変なのでは?
最初の頃は図書館とかインターネットでがんばって調べていましたけど、投稿を続けていると「前田くん、こんなの知ってる?」って教えてくださる方がたくさん出てくるんですよ。それを自分で調べるとさらに知らないことが増えていくので、ネタには困らないですし、最近は歯磨きをするような感じで日常的に調べています。できるだけ健康に長生きをして、“山梨トリビア”の1万個超えを目指したいですね。
−山梨を研究し続け、発信することで目指しているのはどんなことですか。
僕は専門家ではないですから、どんどん脇道に逸れながら、そのなかで新しい発見をしていくというスタンスなんですよ。そのスタンスで一生学び続けたい、と思っています。今はインターネットが使える時代ですから、明治時代とかと違って学んだことを多くの人と瞬時に共有できる。その共有が、僕の人生が終わった後もずっと先まで繋がっていくことが理想です。僕自身、同じように山梨について学び、研究した先達からバトンを受け取ったと勝手に思っているので、誰かにバトンを受け継いで、それが何百年後かにまで続いていけばいいな、という意識でやっています。
−富士山に関するトリビアをいくつか教えてください。
反響が大きかったのは、“富士山麓がディズニーランドの候補地だった”というトリビアですね。ご存知のように今は千葉の浦安にありますが、富士スピードウェイのある静岡県の小山町などに誘致しようという動きもあったんです。最終的に、首都圏からのアクセスの良さなど、いろいろな要素を総合的に判断して浦安が選ばれたそうです。ミッキーの背景に富士山が見えていたらすごくインパクトがあったでしょうけど、環境負荷を考えたら、誘致合戦に負けたことも悪くはなかったのかな、と個人的には思っています。
−そんな経緯があったなんて知りませんでした。
他に、僕がおもしろいなと思ったトリビアは・・。日本各地にご当地富士があるのは、みなさん、ご存知だと思いますが、調べてみたら世界各地にご当地富士や富士山に似た山があるんですよ。僕が調べただけでも88座。なかでも印象的なのをいくつか紹介しようと思います。まずは“グアテマラ富士”と呼ばれているアグア山。形が似ているだけでなく標高も3760mと富士山と16mしか違わない。ネットで検索をすると、アグア山の麓に町が広がり、さらに手前に十字架が立っている画像があって、新倉山浅間公園からの構図によく似ています。富士吉田とグアテマラがパラレルワールドになっているような感覚になる不思議な画像でした。
−姿形以外にも類似点があるんですね。
そうなんです。“チリ富士”と呼ばれているオソルノ山も近くに湖があって、画像によっては富士五湖を入れ込んだ写真か、静岡県の清水辺りから写した写真のようにも見えます。標高は2660mと富士山より1000mくらい低いんですけどね。それからチリとボリビアの国境にあるリカンカブール山。形がきれいなうえに、近くにラグナベルデという、明るい青緑色の水をたたえた湖があって、手前に湖を入れ込んだ画像は非常に印象的ですし、どこか山梨から見た富士山に似ています。そしてアラスカにあるシシャルディン山。地球上で最も美しい円錐形の山と言われていて、富士山以上に形が整っていますが、形が整いすぎているのと雪で覆われて真っ白なせいか、ちょっと情緒に欠けるというか。
−整いすぎてない富士山の方が、情緒ある、と?
はい。そういうのは、富士山のことだけを調べるのではなく、富士山以外のことも調べて、対比して初めて見えてくることですね。山梨について学ぶなかでも言えることですけど、幅広く調べていくことの大切さを感じます。最後に紹介するのは、僕が一番好きな、トルコにある小アララト山。アララト山は、聖書のなかでノアの方舟がたどり着いたとされる山です。僕がネットで見つけた画像は隣国のアルメニアから撮ったもので、大小二つのアララト山の手前に葡萄畑が写っているんですよ。アルメニアがあるコーカサス地方は、葡萄の原産地なんですね。その画像を山梨の人に見せると、「これ、勝沼じゃない?」って(笑)。調べてみると世界中のいろんなところに富士山があり、山梨に似た風景がある。すごくおもしろいし、不思議な感覚になりますね。
-調べてみるものですね〜。富士山に絡んで、最近、前田さんが興味を持っているものがあったら教えてください。
今、読んでいる『神皇記(じんのうき)』という、1921(大正10)年に書かれた宮下文書(みやしたもんじょ)と呼ばれる文献のダイジェスト版です。これには日本の神話である『古事記』や『日本書紀』とはだいぶ違うことが書いてあって非常におもしろいですよ。例えば、日本の神話に最初に登場する天之御中主神より前に神々がいたとか、天つ神の都である高天原は富士山の麓一帯にあったとか。他にも、木花咲耶姫は、夫である瓊瓊杵尊に貞節を疑われたことにショックを受け、火照命、火須勢理命、火遠理命の3人の皇子を産んだ後に、鹿に飛び乗って富士山頂まで駆け上り火口に飛び込んだ、と書いてあって、これも、一般的に浅間神社で語られている話とは違います。宮下文書は一時、大ベストセラーになるものの、その後、“偽書”とレッテルを貼られてしまうんですけどね・・。世界にはいろんな有名な山がありますが、富士山は伝説とか神話がとても多い。その分厚さは世界トップクラスだと思いますし、富士山だからこその分厚さだと思います。
−前田さんは富士山頂で結婚式を挙げられたそうですね。
2010年8月、ちょうど10年前ですね。僕は都留市出身で、子どもの頃から初詣は北口本宮冨士浅間神社でしたし、母が宮崎の高千穂出身だったこともあって、富士山とか木花咲耶姫にはずっと親近感を感じていたので、結婚の誓いは富士山の神様の前でできたらいいな、と思ったんですよ。できればたくさんの親戚の前で式を挙げる気恥ずかしさから逃れたい、という気持ちもあって(笑)、妻と相談して山頂の奥宮で式を挙げることに決めました。妻はそれまで富士山に登ったことがなかったので、事前にちゃんと高所順応して行ってきました。二人だけの結婚式でしたけど、とても思い出深いものになりましたね。
−富士山頂で結婚式を挙げたことは、お二人にどんな影響を与えていますか。
奥宮で式を挙げたご利益なのかどうかわからないですけど、結婚してから今まで一度も喧嘩をしたことがないですね(笑)。高山病や悪天候で結婚式が流れてしまうかもしれないというリスクを背負いながら、二人で協力して山頂まで登り、山小屋で一泊した翌朝、ご来光を見てから結婚式を挙げて帰ってくるという、その一連の共同作業は、この先、修羅場になった時に効いてくるのかもしれないです。もし喧嘩をしたら、富士山を見て頭を冷やします(笑)。
−これまで富士山に登った回数は?
結婚式を含めて10回弱です。毎回景色が違って、一回たりとも同じ登山がないのがおもしろいですね。大変なこともいろいろありますが、自分自身のことを振り返る時間や深く考えるきっかけが得られるから、行って帰ってくるだけで世界が違って見える。県外に出なくてもすごく貴重な旅ができるという感覚がありますね。実は結婚から10年経った今年、久しぶりに登ろうと思ってたんですよ。コロナの影響で難しくなってしまい、残念です。
−富士山はどんな存在ですか。
僕にとっては、“身近にいる友だちのような神様”ですね。小さい頃からずっと見ていて愛着があるので、崇める、という感じではないというか。地元の八幡神社を“八幡さん”と呼んだりする感覚に近いです。いつも見られているので、悪いことはできないな、とも思っています(笑)。
1980年 山梨県都留市生まれ 都留市の高校を卒業後、山梨大学教育人間科学部生涯学習課程芸術運営コースへ進学。大学1年の夏には、五合目のおみやげ屋さんで住み込みのアルバイトも。2007年から地元・山梨に関する自由研究を始め、2013年1月以来、毎日自身のFacebookに“山梨トリビア”を投稿。山梨の歴史や歴史的人物を紹介するナビゲーターなど、山梨自由研究家として幅広く活躍。2017年11月以来、読売新聞山梨版コラム「ホームルーム」を月一で担当している。グラフィックデザイナーであり、中高生を対象にした家庭教師でもある。
前田友和氏Facebook:https://www.facebook.com/tomopop2
取材協力:甲斐市立竜王図書館
(HP:https://kai.library2.city.kai.yamanashi.jp/)
「『へぇ~!』がとまらない! みんなが知らない山梨トリビア」甲斐市立図書館展示案内(WEB版)
パート1
https://youtu.be/FH7XPCH1NQM
パート2
https://youtu.be/ueCEhxmqK7c
パート3
https://youtu.be/DZtmip8fdRg