−影山工房の創設は1953年。富士市ご出身のお父さんが富士宮市を選んだ理由を、何かお聞きになっていますか。
すぐそばに農業用水が流れていたこの土地を、富士宮市出身の母の知り合いから譲ってもらえたからだと思います。糸染めには水をよく使いますから、農業用水がそばにあるのは都合がよかったんでしょう。その後、市の水道が完備されて、使う水も水道に切り替えましたけれど、昔も今も富士宮市の水源はすべて湧水で、水道の消毒も最小限に抑えられている。きれいな水が1年中、断水することなく使えるのは、富士山の恩恵だと思いますね。
−富士山の湧水は少し硬めだと聞きました。染織に何か影響はあるのでしょうか。
植物染料だけで染める人にとっては影響があるみたいです。私は植物染料と化学染料を併用しているので、あまり大きな違いは感じていません。仮に何か影響があったとしても、そこにある水で、何とか工夫してやっていくしかないですよね。
−影山さんはいつ頃から機織りを始めたのでしょう?
最初には機を織ったのは小学校6年生の夏休みです。うちは紬を織っていましたが、父が「お前、やってみるか」と、木綿の糸を機にかけてくれたんです。当時、仕事を手伝いに来てくれていた近所のおばさんに時々手伝ってもらいながら、着物1着分、つまり1反を織りました。機織りは家業なので、小学校2年生くらいから、お小遣い目当てで糸を機にかける準備なんかを手伝っていました。だからやり方は何となくわかっていたんでしょうね。高校に入学してからは、夏、冬、春の長い休みになると家で売り物の反物を織ってました。アルバイト、みたいなものですね(笑)。
−その頃からもう家業を継ごうと?
多感で無責任な年代でしたし、親も何も言わなかったから、当時は家を継ぐという重圧はなかったですね。高校ではコンピューターの勉強をしましたが、自分には合わないのがわかって、じゃあ何をしようか、と考えた時に、家業があった、ということです。他にやりたいこともなかったので、継ぐと決めて、奈良にある美術系の短大の染織コースに進学しました。卒業後、実家に戻ってからはもうずっとこの仕事をしています。
−どんなところにおもしろ味を感じているのでしょう。
この仕事に限らないでしょうけど、誰に命令されるわけでもなく、自分で考えて、自分で手がけて、自分で直接お客さんに手渡す、というところだと思います。どんな仕事もそうですけど、お客さんに喜んでもらうための仕事ですから、お客さんの感想がダイレクトに返ってくるというあたりが醍醐味であり、一番おもしろいところですよね。あとは具体的に形になったデザインが、最初に思い描いたイメージと一致した時や、糸で感じた素材の質感をしっかりと布に活かせた時も嬉しいですけどね。
−機織り中はどんなことを考えているんですか。
いろんなことです。例えば、今夜のおかずは何かなとか、趣味のこととか(笑)。慣れないうちは、どうしても織るという行為に集中してしまうんですが、何も考えなくても体が機械のように動くようになってくると、目はセンサーの役目をしながら、頭が自由に他のことを考えられるようになってくるんです。そのくらい淡々とやる方が、いい布が織れる気がします。
−2016年12月の影山さんの展覧会には、"男に贈る手織りの布"というサブタイトルがついていましたが、"男性のための布"をとくに意識されているんですか。
女性の着物姿も素敵ですけれど、男性の着物姿にずっと魅力を感じていたんですよ。男性が身につけるものは男が作った方がやっぱりしっくりくるんじゃないかな、と思っていた頃に、たまたま男の着物に関わる人たちと知り合いになったことが"男の着物"と謳って仕事をするきっかけになりました。どんな布が自分で作れるのか、またどんなお客さんがそれを求めてくれるのか、楽しみでしたしね。着物と羽織と帯、それぞれの色と素材をどう組み合わせるとおもしろいか、いろんな提案をしていきたいし、それによって着る人がより"いい男"になってくれたら楽しいな、と思っています。
−絹、木綿、麻だけでなく、羊毛、カシミヤ、蓮など様々な素材の糸を使われているとも聞きました。
紬を織っていたのでずっと絹糸にしか触っていなかったんですが、30歳くらいの頃に、他の繊維に目を向けるきっかけがあったんです。ひとつは、世の中の着物離れが進み、着物や帯だけでは織物の仕事が成り立たなくなってきて、じゃあ何を作ったらいいんだろうか、と考えた時に、テーブルマットや暖簾やタピストリーのような、普段の生活で使える布を作ったらどうだろうか、と思ったこと。もうひとつは、同じ頃、静岡市に住む染色家の美しい藍色に出会い、この藍色が使えるなら木綿や麻を織ってみたい、と思ったこと。その染色家の甕で糸を染めさせてもらえるようになって、綿や麻の仕事が本格的に始まりました。カシミヤや羊毛や蓮を素材にした糸を使うようになったのは、そのあとですね。
−その流れでカシミヤや羊毛や蓮などを素材にした糸も?
そうです。それぞれの繊維の魅力をどうやったら布に活かせるか試してみたかったし、自分の可能性にも興味があったので、手にとっておもしろいと思った素材は、手当たり次第に手掛けてみて、これならいろんな人に喜んでもらえると確信したものを仕事として残しています。その中にカシミヤや羊毛があったり、偶然出会った蓮の糸があったり・・。触った瞬間に、この柔らかさならマフラーにしたい、というようなイメージが浮かばなければ、どんなに珍しい素材でも、手はつけませんけどね。
−どんな布を作りたいと、いつも思っているんですか。
布は出来上がった時が一番きれいで、あとはどんどんボロに向かっていくものなんですよ。その過程は使い方や布の素材によっても違いますけれど、その過程をなるべく楽しめるような布を作りたいな、とずっと思っています。例えばジーンズは、もう捨てようかな、と思うくらいの時が一番気持ちよく身につけられますよね。そういう感覚で使える布、です。藍染の暖簾なんかも、日に焼けて色褪せる過程がきれいなんですよ、アクが抜けて色が澄んで・・。なるべくしっかりとしていて、長持ちする中でちゃんと機能を果たせて、最後まで使い心地のいい布にしたい、というのはいつも意識しています。
−影山さんは富士山を見て育ったわけですよね。
裏に出れば、そこにありますからね。「我が家の築山です」と言っています(笑)。具体的に富士山のどこが好きか、なんて意識はしてないでしょうけど、地元の人はみんな、富士山が大好きだと思います。見えなくても富士山がそこにあってくれることが、シンプルにありがたいし嬉しいな、と感じているんじゃないかな。動かない、どこにも行かない、というのは、ものすごい安心感ですよ。これが人だとしたら、いつかふっとどこかに行ってしまうかもしれないわけですから(笑)。そういう安心感は、地元の人はみんな持っていると思います。だからみんなの心の拠り所になっているんだと思います。
−富士山には何度も登られているんですか。
頂上までは、小学校6年生の夏以降4回、登りました。鳥観察をするようになってからは、夏は森林限界の五合目まで行ったり、春秋冬は中腹のブナ林を歩いたり・・。たくさんの鳥が住める自然があるのはすごいなあと、行くたびに思います。直径1メートルとか幹まわりが7メートル近い木が何本もあって、この辺りの麓の雑木林とはスケールが全く違うんですよ。神社のご神木として守られてきたわけではなく、自然の中でそれだけ育ってきた木には独特の迫力がある。そういう気の写真を、よく撮っていた時期もありましたね。
−最近は登っていないんですか。
最後に登ったのは40歳の時です。私の父は80歳くらいまで一人で登っていましたけどね。お盆に頂上の浅間大社の奥宮でお祭りがあるんですよ。呼ばれるわけじゃないけれど、父は神主さんとも親しかったので、行くと歓迎してくれる。今年も登れた、というのが父の元気の源だったようですよ。
−これから富士山にはこうなってほしい、と思うようなことはありますか。
まるで流行りもののように富士登山に人が押し寄せるような状況をテレビで見ると、もうちょっと普通に接してほしいな、という気持ちにはなりますね。心が富士山に呼ばれたら登ればいいのに、と。まあ、みなさん、「呼ばれたんだ」と言うのかもしれないですけどね。すでにある道路をなくしてでも自然を守るような、自然遺産として登録されたならよかったのに、といまだに思うことがあります。
−これまでに富士山から何かインスパイアされたことはありますか。
織物は縦糸と横糸でデザインを作るので、かなり特殊な技法を使わないと布に絵は描けないんだけれども、20年前くらいのある朝、ある技法を使ったらば冬と夏の富士山が、連続模様で一緒に織れるな、と思いついたんです。それで「冬富士と夏富士」という暖簾を作りました。それは自分でも気に入っていて、色を変えて「赤富士と夕焼けの富士」など幾つかのパターンを作ってますね。
−一番のお気に入りの富士山は?
雪の富士山もきれいだけど、溶岩の塊がどっしりそこにあると感じさせる夏の富士山が好きです。あの揺るぎなさは、ひとつのお手本でもありますよね。ものの考え方や仕事の方向性も、簡単に動かないのは望ましいことだな、と感じます。
1956年1月 富士宮市生まれ 小学生の頃から家業の機織りを手伝う。高校卒業後は、「このチャンスを逃したら関西で暮らすことはない」と考え奈良にある美術系の短大へ。卒業後は自宅に戻り、機織り職人の道を歩み始める。2013年からは、60年にわたり工房で培われてきた織物の技術を次世代に伝えるための講座「影山工房公開講座」も開催。趣味は鳥を見ることと写真を撮ることと釣りなどの野遊び。日本野鳥の会南富士支部の支部長も務める。
HP http://kageyamakobo.soragoto.net