−中島さんが最初に富士山レンジャーに応募したのは2013年。応募したきっかけはなんだったんですか。
2012年夏に、山梨に住む友達が教えてくれた富士山安全登山誘導員の仕事をしたのがきっかけです。きつい傾斜と疲労で登山者の方がいつも渋滞する9合目の鳥居の先の岩場で、「ストックは危ないからしまってください」とか「そこは止まらないで上がってください」と深夜12時から朝8時まで誘導していたんですが、そこにたどり着く頃にはみなさん、ぎりぎりの状態になっているんですよ。女性で言えばお産みたいなもので、誰もカッコつけられない。たくさんの人が、必死になって同じ目標にチャレンジしている姿を見て、人間ってすごいなと感じたし、すごい山だなと思ったら、富士山への興味ともっと富士山のお手伝いがしたいという気持ちがムクムクと湧いてきて・・。富士山レンジャーという仕事があると知ったのもその時です。以前、動物園の飼育員をしていた頃から自然保護レンジャーには憧れを持っていたので、試験があると聞いた時には「受けるしかない」と思いました。
−試験の内容は、どんなものなんですか。
一次の筆記試験は一般教養と自然公園の法律、基本的な登山の知識や植物に関する問題が半々くらい。採用は2人と聞いていたし、試験もすごく難しかったので、半分以上諦めてました。だから一次試験合格の通知が家に届いた時には「信じられない!」と大泣きしました(笑)。私はしゃべるのがすごく苦手なんですけど、二次の面接では緊張しながら必死にしゃべりました。「体力だけは誰にも負けないつもりです」とアピールしたのを覚えています。
−富士山レンジャーの仕事の内容を教えてください。
主に山梨県側の富士北麓地域のパトロールで、自然公園での利用のルールとマナーの啓発、車両乗り入れ禁止エリアの監視や不法投棄の監視をしています。富士山の自然と環境保全を伝える環境学習会も学校や企業などで行っています。
−パトロールの地域はかなり広いですよね。
決まった休みがあるわけではないので、交代で休日を取りながら、通常2班に分かれて車でパトロールしていますが、全域を回るにはほぼ1週間かかります。開山期の約2カ月間には5合目や山頂までの登下山道で安全登山の指導や巡視もします。体力がないとできない仕事ですね。開山期に一番重要なのは、安全登山の啓発と自然公園のルールを知っていただくことです。枯れたもの、地面に落ちているものなら拾って帰って構わないだろうと思われる方が多いようなので、自然公園では落葉落種や溶岩など一切持ち帰ってはいけないことになっている、というルールを説明させていただいています。
−中島さんは小さい頃から山が好きなお父さんとよく山に行っていたそうですね。
名古屋に住んでいた5歳くらいから、週末は父と鈴鹿山系や北アルプスの山に行っていました。私が小児喘息気味だったので、山登りは健康にいいだろうと、父が私を連れて行くようになったんだと思います。小学校に入ってからは、朝5時くらいに起こされて、住んでいた団地の周りを3周くらいしてから、ごはんを食べて学校に行く毎日でした。父には「北アルプスの山に行くためのトレーニングだよ」と言われてました。
−最初から山が好きだったんですか。
負けず嫌いなんです。最初は山に行くたびに半べそかいてましたけど、毎週金曜日に父に「明日も山に行くか?」と訊かれると「行く」って(苦笑)。だんだん辛いことより楽しいことが多くなって、「北アルプスの山に登りたい」と自分でも思うようになりました。それで小学校2年生の時に、槍ヶ岳(標高3180メートル)に登ったんです。
−小学校2年生で!? 登れるものなのでしょうか。
ほとんどの荷物を父が持ってくれて、身軽だったから登れたんでしょうけど、その時の達成感はすごかったですね。山で会う大人が「偉いね、こんなところまで歩いて来て」と誉めてくれて、お菓子をくれる。それが楽しかったですね。山に登るだけじゃなく、人にも会いに行っていた気がします。3歳と6歳年下の弟がいて、父は姉弟3人同じように山に連れて行ってたはずですけど、登り続けているのは私だけ。たまに弟たちに会うと、「お姉ちゃん、まだ山に登ってるの?」と言われます(笑)。
−富士山に最初に登ったのはいつですか。
高校に入る前に、父と一緒に5合目の少し上くらいまで行きました。父は4つの登山道全部から登ったことがあると言っていたから、多分、何度も登っていたんでしょうけど、「登ると富士山に迷惑がかかるから」と自分から誘ってはくれなかったですね。今から20年以上前ですから、登山マナーが浸透してなくて、富士山はきれいじゃなかったんです。その時に私が思ったのは、富士山は自分が馴染みのある南アルプスや北アルプスの山とは全然違うな、ということ。木や植物が少なかったので、正直、あまり興味は湧きませんでした。
−では富士山に初めて登頂したのはいつだったのでしょう。
2012年です。富士山安全登山誘導員のレクチャーでした。注意点やアドバイスを聞きながらでしたけど、未知の世界に行く、みたいなワクワクが止まらなくて。「本当に楽しそうだね」って周りの人にも言われました(笑)。吉田口の山頂で、強い風に吹かれながら大きなお鉢を見渡した時には自分を小さく感じたし、これが日本一の場所か、すごいな、と思いましたね。
−レンジャーの仕事をする上で心がけていることはどんなことでしょう。
いくつかあります。一つは、常に平常心を保つこと。たとえどんな場面でも感情的にならずに冷静に対応したい、と思っています。もう一つは、体力の維持・管理です。普段は時間を見つけて走ったり、近くの坂道を繰り返しダッシュで上ったり(笑)。そして、常に周りから見られているのを忘れないことですね。模範になる行動を、いつも心がけています。
−仲間と岳心会という山岳会を新たに作って、いろんな勉強をしているとも聞いています。
山梨県内の希少動植物や山での安全管理の勉強、登山のスキルアップやレスキュー関連の訓練をしています。
−レンジャーの仕事をしていてよかったと思うのはどんな時ですか。
一番は自然の中で生き生きと過ごす野生の鳥や動物に間近で会えること。それから、大好きな山に登れること。富士山だけじゃなく、周辺の山に仕事で登れるなんて、こんなすてきなことはないなって思います(笑)。どの山からも富士山が見渡せて、本当に素晴らしい景色が見えますからね。
−どこからの景色が、一番好きですか。
パノラマ台から見る富士山です。裾に樹海が広がっていて、その先にドンと富士山があって・・。人工物を視界に入れないようにすると、樹海ができあがったと言われる約1000年の、溶岩流が流れているところが想像できる気がして、ワクワクします。
−仕事で行き詰まるとはないんですか。
もっとこうすればよかったのかな、と後から悩むことはよくあります。そういう時は、プライベートで南アルプスとか北アルプスとか八ヶ岳に登りに行きます。自然と向き合っていると謙虚な気持ちが芽生えてきて、いい気分転換になります。結局、山、なんですけどね(笑)。
−中島さんが思う富士山の魅力は?
見るだけで元気がもらえること、そして登る人にとっては、極限の状態で自然と一体になれることだと思います。登頂した方が、生まれ変われた気がするとか、心が洗われたとおっしゃるのは、厳しい試練を乗り越えるからだと思います。あの高さとあの形が変わらない限り、永遠に続く魅力ではないでしょうか。
−登山経験豊富な人でも、富士山登頂では必ず越えなきゃいけない何かに出会うんですね。
人にはそれぞれ限界がありますから、富士山に限らず、目標の立て方一つで、チャレンジの要素は生まれると思います。
−中島さんは限界を越えるのが好きなんですね。
(笑)。限界を越えた先には必ずステップアップした自分がいるのを知っていますし、チャレンジすることが楽しいし、チャレンジしてる自分が好きなんでしょうね。同じ山でも前より難しいルートを選んだり、行程をハードにして、それをクリアしていくことと季節ごとの植物が、今の山登りの楽しみになっています。
−最後に改めて、富士山をどんなふうに楽しんで欲しいか、教えてください。
3776メートルの富士山は観光気分で登れる山ではないので、そのための体力作り、しっかりとした登山装備が必要だということをまずわかっていただきたいです。十分な準備があってこそ、富士山の魅力をより深く味わえるはずなので。本当の意味で富士山が好きな人が増えれば、自然環境や環境保全につながる意識ももっと高まるだろうとも思うし。もう一つ忘れていただきたくないのは、富士山は活火山だということ。落石だけでなく、万が一の噴火に備えて、ヘルメットを装備に加えていただきたいし、登山計画書を作成していただきたいです。(公益社団法人)日本山岳ガイド協会と民間企業が運営する"山と自然ネットワーク コンパス"(http://www.mt-compass.com/)のシステムを使うと、パソコンやスマートフォンで簡単に登山計画書を作成、提出できます。ぜひ、利用してください。
東京都葛飾区生まれ 父親の転勤で名古屋、千葉、栃木を経て、東京都羽村市へ。5歳から父親と一緒に山登りを始める。小学校の頃から毎日のように顔を出していた地元の羽村市動物公園で、20代から10年以上飼育員を務めるが、怪我を機に退職。アウトドアメーカーでアルバイトしていた2012年、富士山安全登山誘導員に。その後、山梨県内の山で行われた登山道調査に参加し、2013年から富士山レンジャーの一員に。仲間と立ち上げた山岳会・岳心会の副会長でもある。