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富士山インタビュー

歩いて登ることができない人たちにも、富士山からのご来光を見せてあげたい

2022年夏、富士山御殿場口2590mに開業した半蔵坊。
3090mのわらじ館館長・橋都彰夫さんが、約20年間休業していた山小屋を所有者から受け継いで新たに始めた山小屋です。
1440mの新五合目から山頂までの距離の長さと登山道の過酷さ、道中に山小屋が少ないことなどから
玄人向けのルートと敬遠されがちだった御殿場口が、これで少し身近なものになりそうです。
半蔵坊開業を決めた経緯、また山小屋営業への想いなどを橋都さんに伺いました。
写真:飯田昂寛/インタビュー・文:木村由理江

6時間トイレがない状況を、なんとかするしかないと思ったんです

−御殿場口新六合目の山小屋の所有者が引き受け手を探していると知って手を挙げたのはどんな思いから?

 静岡県側では、昭和40年代(1965〜1974)に五合目に至る道路ができるまで、富士登山のメインは御殿場口だったんですよ。僕が子どもの頃は、夏になると御殿場の駅前にあった長い足洗い場は下山してきた人たちでいつも混雑してたし、お土産屋さんはどこも賑わっていた。本当に栄えていたんです。御殿場口の山小屋も20軒以上ありましたからね。ところが今は4本の登山口で登山者が一番少なくて、他の登山口にはある旅行会社のツアーが1本もない。山小屋も5軒以下になっています。このまま放っておいたら、せっかく始めたわらじ館の営業自体も難しくなりかねない。そうならないためには、新五合目を出たら6時間トイレがないという御殿場口の状況をなんとかするしかないな、と。それには今、半蔵坊になっている建物しかなかったんです。状況が改善できたらツアーも呼べるし、御殿場口を登る人たちにとっても悪いことじゃないはずですからね。

−とはいえ約20年使われていなかった山小屋。開業にこぎつけるまでの経緯がHPで公開されていますが、大変だったようですね。

 便所は雪崩で跡形もなくすっ飛んじゃっていたし、残っていた母屋には屋根を突き破って100キロぐらいの石が転がり込んでいて、大量の砂が積もっていました。2トンくらいあったのかな。崩れた周囲も直さなきゃいけないので、まずはユンボ(小型ショベルカーなどの建設機械)の免許を取ることから始めました。一通り片付けた後に屋根をつけて、県の補助金で8割出してもらってバイオトイレを設置して・・。本当は残りの2割も環境省の補助金でなんとかなるはずでしたけど、結局申請が間に合わなかったという(苦笑)。それでなんとか2022年の夏にやっとオープンできました。

−2023年、半蔵坊2年目のシーズンを迎えます。半蔵坊をどんなふうに活用して欲しいですか。

 トイレや休憩でどんどん利用して欲しいのはもちろん、御殿場口を1泊で頂上まで行くのはかなり難しいから、2泊くらいかけてのんびり登りたいという人にも来て欲しいですね。半蔵坊からちょっと上がったところに江戸時代に修行者が歩いた“御中道”というのがまだ残っているから、そういうところを辿ってみるのもおもしろいと思う。せっかく登るんだから、大勢の人が見ている景色じゃなく、自分なりの富士山の楽しみ方を見つけて欲しいです。それは富士山に限らず、どの山にも言えることですけどね。

予約の取れない山小屋になりたいんですよ、現実は厳しいけど(苦笑)

−橋都さんは元警察官。何がきっかけで2011年に山小屋をやろうと考えたのでしょう?

 健康改善のために40歳から歩き始めたんですよ。箱根を歩いて越えたという話をしたらフルマラソンを勧めてくれる人がいて、同じ頃に山もやってみようか、と。そしたら山がおもしろくてね。山の上にいつもいたいと思うようになった。2010年、同級会で会ったわらじ館の所有者の同級生に何の気なしに「あの山小屋どうしてるの?」って聞いたら、「俺も仕事があるし親父が死んでからは富士登山駅伝前後の1週間しか開けてない」って。その時に「よかったら来年、手伝ってよ」と言われたものの、すっかり忘れていました。そしたら2011年6月の初旬、「手伝ってくれる?」って同級生が電話をくれたんですよ。話しながらふと、「公務員だから手伝うとなると面倒な手続きがある。だったら辞めてそのまま山小屋をやっちゃおうかな」って。ちょっと飲んでいたから翌朝改めて考えようと思って寝たら、朝5時前に目が覚めた。1時間くらい一人で考えて、起きてきた女房に「俺、仕事辞めるよ」って。その日のうちに辞表も出しました。「仕事辞めちゃったから俺が山小屋をやるよ」と言ったら同級生も「いいよ」って。ほとんど衝動的ですね(笑)。

−初めての山小屋業に困惑したり戸惑うことはありませんでしたか。

 カレーが作れればなんとかなると思っていたし、戸惑うことはなかったですよ。高校は商業科だから商売的な頭がないわけじゃないし、刑事をやっていたから初対面の人と接することも全然平気でしたしね。警察官の仕事もそうでしたけど、山小屋の仕事も毎日違って刺激があっておもしろいなと思ってました。とくに1年目はね。

−思い描いていた理想の山小屋像のようなものはありますか。

 予約の取れない山小屋になりたいんですよ。現実は厳しいんだけど(苦笑)。富士山の山小屋は、人気のある登山口の頂上に近い方から埋まっていくんですよ。それを考えると御殿場口のわらじ館は富士山の山小屋で一番最後。だからわらじ館に泊まりたいというお客さんを増やすには何ができるか、いろいろ考えました。例えば? カレーの食べ放題かな。標高が高いと沸点が低くてすぐに冷めてしまう。だからできるだけ暖かいまま出せるように工夫しています。半蔵坊でもカレーじゃつまらないから、ホットプレートで焼いた餃子をホットプレートごと出してますよ。

−コンサートもやっていると聞きました。

 アコースティックユニットwaccaのコンサートは2019年からやっています。他にも富士登山駅伝の日に和太鼓奏者に和太鼓を叩いてもらったりね。今年はコンサートの他にもうひとつ、おもしろいことを考えています。去年わらじ館に寄ってくれたお客さんとの出会いがきっかけになった企画です。詳細が発表になるのをぜひ楽しみにしていてください。富士山でご来光に感動するのは当たり前のことだから、他に何かおもしろいことができないかといつも考えています。お客さんを楽しませたいだけでなく、従業員も自分も楽しみたいんですよ。

高3の夏の初めての富士登山では、たくさんの流れ星に感動しました

−3歳から御殿場で育った橋都さんが富士山に最初に登ったのはいつですか。

 高校3年の夏ですね。吹奏楽部の仲間と午前中の練習が終わって昼食を食べている時に、「暇だな〜。富士山にでも登る?」という話になって。OBが車を出してくれたんですが、まだ舗装前だった須走口の馬返しあたりでオーバーヒートしてしまって「お前ら、ここから歩いて行け!」って。そこから7人で登りました。当時はそんな知識はなかったけど、ちょうど8月の16、17日だったから多分ペルセウス座流星群の日だったんでしょう、ものすごくたくさん流れ星が見えて、本当に感動しました。犬が星を見るようなものだったとは思うんだけど(苦笑)。その後も何度か静岡県警の訓練で登ったり家族と一緒に登たりしましたけど、あの感動は忘れられないですね。その時一緒に登った仲間が今、HPを作ってくれたり、両方の小屋で出しているどら焼きや強力餅を作ってる菓子屋だったりするんですよ。本当にみんなに助けがあるから小屋がやれているんだと思います。

−御殿場口の魅力も教えてください。

 難しいルートなのは確かなんですよ。山頂までの距離が長いこともあるけれど、砂利のような地面だから歩くたびに足元が崩れてなかなか先へ進めないし、体力も消耗する。宝永の噴火の影響で草木がないから日陰もないし、景色が広大すぎて変化に乏しいから歩いても歩いても前に進んでいる気がしない。登山というより“修行”と思って登ってくる人がほとんどですよ。ただ、富士山の大きさ、裾野の広さを感じられるのは確か。それに本当に静かだしね。万人受けはしないけど、魅力がわかる人にはたまらないルートですよ。

−橋都さんは山の何に魅了されたのでしょう?

 僕は森林限界から上が好きなんですよ。北アルプスでも南アルプスでも、登る時は森林限界を超えて稜線に出るわけだけど、あの時になんとも言えない喜びがありますね。この上にいつもいたいなと本当に思う。だから帰りに森林限界に入っていくのが辛くて辛くて(苦笑)。どうして? やっぱり森林限界から上は、“現実”じゃないからでしょうね。富士山の3000m以上には神様が住んでると言うけど、やっぱり人がいる世界じゃないですよ。だからこそすごい景色も見られるし・・。そうだ、大事なことを言い忘れてました。

−なんでしょう?

 僕は2014年に大怪我をして、今は杖なしでは歩けない状態なんですよ。起きてしまったことはしょうがないし、それでまた違った視点で人生が見られるようになったから、悪いことばかりじゃないと思ってますけどね。リハビリには1年半くらいかかったんですが、その時にたくさんのハンディのある子どもたちと出会って、そういう子どもたちや歩いて登ることのできない人たちにも、なんとかあの富士山の景色やご来光を見せてあげたいと思うようになったんですよ。そのハードルを下げるためにも、半蔵坊はどうしても開けたかった。御殿場口は頂上直下以外どこからでもご来光が見られますから、なんとか半蔵坊まで来させてあげられる方法はないか、今、考え中です。あと、診療所もやりたいんですよ。なかなか話は進まないけど、一応行政にはいろいろ働きかけているところです。診療所があれば、ハンディのある人も登りやすくなりますからね。なんとかそれを実現したいですね。

橋都彰夫
はしづめあきお

はしづめあきお 1958年 山形県山形市生まれ 自衛官だった父親の転勤で3歳から御殿場市で育つ。地元高校の商業科を卒業後、静岡県警に奉職。交番、機動隊、パトカー乗務、監察、暴力団対策、銃器対策、看守など様々な業務を経て2011年6月に退職。同年夏から御殿場口のわらじ館の館長に。高校時代は吹奏楽部に所属しユーフォニウムを担当。2014年、冬の長野で雪下ろし中に四肢を骨折する大怪我を負うが、その後、杖をついて東海道を京都まで歩いたことも。2020年には閉山にも関わらず登ってくる登山者の緊急事態に備え、ボランティアの“富士山見守り隊”として約2ヶ月、わらじ館に仲間と交代で滞在した。

わらじ館HP http://warazikan.main.jp
半蔵坊HP http://hanzobo.main.jp

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家
小山真人静岡大学 教授 理学博士
勝俣克教富士屋ホテル 河口湖アネックス 富士ビューホテル支配人
漆畑信昭柿田川みどりのトラスト、柿田川自然保護の会各会長
日野原健司太田記念美術館 主席学芸員
渡井一信富士宮市郷土資料館館長
大高康正静岡県富士山世界遺産センター学芸課准教授
渡辺貴彦仮名書家
望月将悟静岡市消防局山岳救助隊員・トレイルランナー
成瀬亮富士山写真家
田部井進也一般社団法人田部井淳子基金代表理事、
クライミングジム&ヨガスタジオ「PLAY」経営
齋藤繁群馬大学大学院医学系研究科教授、医師、日本山岳会理事
吉本充宏山梨県富士山科学研究所 火山防災研究部 主任研究員
柿下木冠書家・公益財団法人独立書人団常務理事
菅田潤子富士山文化舎理事『富士山事記』企画編集担当
安藤智恵子国際地域開発コーディネーター
田中章義歌人
千葉達雄ウルトラトレイル・マウントフジ実行委員会事務局長、
NPO法人富士トレイルランナーズ倶楽部事務局長
松島仁静岡県富士山世界遺産センター 学芸課 教授(美術史)
大鴈丸一志・奈津子夫妻御師のいえ 大鴈丸 fugaku×hitsukiオーナー
有坂蓉子美術家・富士塚研究家
小川壮太プロトレイルランナー、甲州アルプスオートルートチャレンジ実行委員会実行委員長
飯田龍治アマチュアカメラマン
篠原武ふじさんミュージアム学芸員
吉田直嗣陶芸家
春山慶彦株式会社ヤマップ代表
中野光将清瀬市郷土博物館学芸員
久保田賢次山岳科学研究者
鈴木千紘・佐藤優之介看護師・2014年参加, 大学生・2015と2016年参加
松岡秀夫・美喜子さん夫妻「田んぼのなかのドミノハウス」住人
三浦亜希富士河口湖観光総合案内所勤務
石澤弘範富士山ガイド・海抜一万尺 東洋館スタッフ
大庭康嗣富士山裾野自転車倶楽部部長
杉本悠樹富士河口湖町教育委員会生涯学習課文化財係 主査・学芸員
松井由美子英語通訳案内士・国内旅程管理主任者
涌嶋優スカイランナー、富士空界-Fuji SKY-部長、日本スカイランニング協会 ユース委員会 委員長・静岡県マネージャー
岩崎仁合同会社ルーツ&フルーツ「富士山ネイチャーツアーズ」代表
門脇茉海公益財団法人日本交通公社研究員
渡邉明博低山フォトグラファー・山岳写真ASA会長
藤村翔富士市市民部文化振興課 富士市埋蔵文化財調査室 学芸員
勝俣竜哉御殿場市教育委員会社会教育課文化スタッフ統括
前田友和山梨自由研究家
杉山浩平東京大学大学院総合文化研究科 特任研究員 博士(歴史学)
天野和明山岳ガイド、富士山吉田口ガイド、甲州市観光大使、石井スポーツ登山学校校長
井上卓哉富士市市民部文化振興課文化財担当主幹
齋藤天道富士箱根伊豆国立公園管理事務所 富士五湖管理官事務所 国立公園管理官
齋藤暖生東京大学附属演習林 富士癒しの森研究所所長
池川利雄ノースフットトレックガイズ代表、富士山登山ガイド
松本圭二・高村利太朗山中湖おもてなしの会副会長, 山中湖おもてなしの会会員
関口陽子富士山フォトグラファー
猪熊隆之山岳気象予報士・中央大学山岳部監督
髙杉直嗣2021年御殿場口登山道維持工事現場代理人
羽田徳永富士山吉田口登山道馬返し大文司屋六代目
内藤武正富士宮市役所企画部富士山世界遺産課主幹兼企画係長
河野清夏フジヤマミュージアム学芸員
中村修七合目日の出館7代目・富士山吉田口旅館組合長・写真家
野沢藤司河口湖ステラシアター、河口湖円形ホール館長
三浦早苗ダイビング&トレッキングぴっころ代表
田部井政伸一般社団法人田部井淳子基金代表理事
橋都彰夫半蔵坊館長・わらじ館館長
上小澤翔吾富士登山競走実行委員会事務局
杉村知穂富士宮市教育委員会教育部文化課
河野格登山ガイド

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