−成蹊気象観測所の歴史について教えてください。
宮下さん 1924年に尋常科理化の先生として赴任してこられた加藤藤吉先生が、翌1925年に、気象観測法に則った精密な観測を生徒たちと始められたのが最初です。しかし最初の1年はいわば練習期間。正式な観測を始めたのは1926年1月1日からで、公式記録である年報も1926年から出しています。その後、戦争中に東京管区気象台から吉祥寺観測所の指定を受け、1959年に成蹊学園に所属する私立の気象観測所として設立されました。加藤先生は、自然のものを精密に観測することは理科教育にとってとても大事なことだと考えておられて、気象庁の観測と同じくらいの精密さを90年前に徹底された。だからこそ気象庁の記録と照らし合わせられるし、記録をもとにきちんと分析もできるし、その分析に信憑性が出てくる。様々なところからデータ提供の要請があるのも、精密だからだと思います。1日も欠かすことなくずっと観測が続けてこられた理由も、そこにあるんじゃないでしょうか。戦前から気象観測をされていた学校は他にもありますが、正式な観測所として今も残っているのは少ないと思います。毎日の観測記録をつけた野帳も、1926年のものからずっと残っているんですよ。
−それは貴重ですね。富士山が見えるかどうかという視程観測を始められたのは1963年と伺いました。
宮下さん 当時完成した4階建ての新校舎の屋上の見渡しがよかったことがきっかけだったようです。どのくらい遠くまで見えるかという視程観測は、気象観測の項目のひとつでもありましたから。都心方向と郊外方向の視程を比較する目的で、まだできて間もなかった東京タワーと富士山、あとは校歌の歌詞にある秩父連峰を、毎朝見ていたようですね。現在は、高井戸の煙突、新宿副都心の高層ビル、東京タワーと東京スカイツリー、秩父連峰、筑波山と富士山を見ています。順に、約5キロ、約10キロ、約15キロ、約50キロ、約80キロ離れていますから、何が見えるかで何キロまで見えているかがわかります。ただ、ほぼ同じ距離でも、日によって東京タワーは見えるのに東京スカイツリーは見えなかったりします。排気ガス等が多い都心を挟むから、空中の排気ガスの量の違いもあるのかもしれないですね。
−観測は、毎日どのようにされているんですか。
宮下さん 気象庁の気象観測法に則り、1日1回、朝9時に気温、湿度、気圧、雨量、視程他、各種観測を行っています。基本的には、所長の私と働きながら大学に通っている助手さんの2人体制で観測しています。私は授業があるので、平日の朝の観測は助手さんにお任せで、休みの日の観測を私と助手さんと交代で行っています。去年から、東京理科大で化学の勉強中の松本涼也さんに助手をお願いしていますが、毎日なので、大変だと思いますよ。天気の悪い日もありますからね。
松本さん でも楽しんでやっています(笑)。毎朝観測に持っていくのは、野帳の記録用紙とカメラです。見えても見えていなくても、富士山に向けて写真を毎朝撮ることになっているんです。あと、筑波山が見えた時は筑波山も撮ります。全部の観測が終わったら、廊下の掲示板に結果を書き込んでいます。
宮下さん 生徒たちは廊下を通るときに、その掲示板を見てくれてますね。興味も持ってくれていると思いますよ。
−こちらの生徒さんは他の学校の生徒さんに比べて気象に興味があるかもしれないですね。
宮下さん 中学1年の生徒たちは今も、理科の勉強の一環でお昼休みに天気調べをしているんですよ。当番制で1年に1度は自分に順番が回ってきて、百葉箱を開けて気温や気圧や湿度を測り、風速を記録するんです。実際に自分たちで1年間ずっと測っていくと、夏が暑くて冬が寒い、という当たり前のことだけでなく、雨の日は気圧が低いとか気圧が低いと雨が降るというのを実体験で見られる。卒業してから、他の学校ではしてないことをしていたんだな、と気づく生徒は多いみたいですね。
−富士山の視程日数は53年の間にどう変わってきているのでしょう?
宮下さん 観測を開始した1963年から去年までの集計をグラフにしたものを見ていただくとよくわかりますが、基本的には、どの目標も視程できる日がだんだん増えています。富士山はほぼ3倍になってますね。観測を始めた最初の10年くらいは、東京は公害がかなりひどい時期だったんですよ。しかしその後、公害防止の対策がいろいろとられてスモッグの原因が減った。それがよく見えるようになった原因だと思います。あとヒートアイランド現象が続いていて、とくに都心の乾燥化が進んでいることで霧やもやが出にくくなっているのが原因だと考えられています。以前は、東京から見える富士山のほとんどは雪を頂いた冬の富士山でしたが、最近は、夏の間も黒々とした富士山が見える回数が増えてきています。それもやっぱり、夏の湿度が下がってきているからだと思います。毎日しつこく見ていると、そういう変化もわかりますね。
−そこが毎日視程観測をしているおもしろさでしょうか。
宮下さん あとは、1年の集計をした時に結果がわかる、ということじゃないでしょうか。「ああ、去年より多かった」とか「だんだん日数が増えているんだ」とか。日常的にただ見ているだけではわからないものが、毎日積み重ねていると見えてくる。それが実は環境や私たちの暮らしとどこかで関係があったりする。そういう気づきにつながるのが、毎日調査し、集計することのおもしろさだと思います。時々、一般の方からお手紙をいただくことがあるんですよ。通勤の途中や朝のお散歩の時に富士山が見えたかどうかを手帳にメモしたり記録するのを趣味にされている方が結構いらして、私どもの結果と比べて「うちはこうです」と教えてくださるんです。富士山に限らず、同じようなことをされている方はぜひ、毎年集計して、比較していただくといいと思います。
−宮下さんと松本さんが考える富士山の魅力を教えてください。
宮下さん 父が転勤族で引っ越しが多かったんですが、住んでいるのは一番東京が長いんですよ。でも、富士山を見るようになったのは成蹊学園に赴任してきてから。富士山とはかれこれ20数年のおつきあいですけど、やはり魅力は、あの形の美しさかなと思います。見えるとやっぱり嬉しいですからね。
松本さん 僕は3年前に岡山から出てきたんですけど、初めて本物の富士山を見たのは、ここで観測を始めてからだった気がします。形がきれいで、すごいなあ、と思いました。見える日も見えない日もありますけど、見えたら嬉しいし、きれいに見えるとなお嬉しいです。毎日視程できるのは楽しいですね。
−これからの時期は、東京だけでなく遠くから富士山を見るのに最適だと考えていいですか。
宮下さん 東京から富士山が見える日数が一番多いのは12月と1月ですからね。毎日見ていると富士山の雪が深くなっていったり、また春が近づくにつれてだんだん雪が溶けていったり、季節の変化がわかっておもしろいと思います。成蹊気象観測所のツイッターでは、「今日は寒かった」というようなお天気トピックス的なことを流していて、富士山がよく見える日は、ちょっと望遠でクローズアップして撮った写真をアップしたりもしています。今、富士山と東京タワーの定点カメラを設置しようと準備しているので、近いうちに校舎の屋上からの富士山と東京タワーを常時見ていただけるような形になると思います。ぜひ成蹊気象観測所のHPやツイッターを見ていただきたいですね。
1960年生まれ 成蹊気象観測所所長、成蹊中学・高等学校理科教諭。早稲田大学資源工学科修士課程修了後、地熱開発の仕事を経て教師に。専門は地質学及び鉱床学で、岩の出ているところを求めて国内各地はもちろん、アパラチア山脈等海外にも。自然科学の教育普及活動やデジタル教材の開発にも精力的。著書に「ゼミナール地球科学入門」(日本評論社)がある。
1995年 岡山県生まれ 成蹊気象観測所助手。東京理科大学在学中、専門は化学。
成蹊気象観測所HP http://www.seikei.ac.jp/obs/index-j.htm
成蹊気象観測所ツイッター https://twitter.com/obsseikei
成蹊学園HP http://www.seikei.ac.jp/