−3つの肩書きを持つに至った経緯から教えてください。
最初に始めたのは音楽です。高校生くらいからセミプロでやってました。高校2年生の頃に突然医者になろうと思ってからも、森鴎外(医者・作家)や手塚治虫(医者・漫画家)のように、医者とミュージシャンを並行してできたらいいと思って、学生時代も音楽をやりながら医学の勉強をしていたんですよ。ただ24歳で外科医になると決めてから10年間は、外科医の修行に専念しました。音楽を再開したのは、少し時間に余裕ができて、日曜には家に帰れるようになった32、3歳から。ところがその間に僕はすごいメタボになっていたんです。ほぼ病院に泊まり込むような生活が続いてましたから、ストレス発散は食べることだけ。しかも質は求められないから量で満たすしかない。気がついたら29歳の時に93キロまで体重が増えてました(笑)。
−今の体型からは想像もつきませんね。
で、大学の医局から長野県の諏訪中央病院に出向していた32歳の時に、毎年秋に行われている諏訪湖マラソン(ハーフマラソン)に誘われたんです。病院のスタッフがたくさん出るから、一緒に出ようって。「こんなに太ってるんだから無理だよ」って断っていたんですけど、結局、少しだけ練習して走ったら、ギリギリ完走できた。肉体的にはボロボロになったけど、すごく爽やかな体験でした。そこで、走る世界の人になろうって自分の中のスイッチがパッと入ったんです。34歳の時にフルマラソンを初めて完走してからは、さらに走ることが楽しくなって、気がついたら体重は減ってました。それ以降、医者と音楽と走ることを3つ並行してやっています。比重はどれも同じ。その3つのバランスがとれているのが一番いいのかな、と思いますね。
−富士河口湖町に移って来られたのは、何がきっかけだったんですか。
2年くらい東京で生活した後、自然の豊かなところに住んで走ろう、医者もやろう、音楽もやろうという発想になった時に、いただいたお誘いの中に富士河口湖町の病院があったんです。富士山のことはほとんど意識しなかったんですけど、病院を見に来た時に周辺を車で走ったら、湖を取り囲む山や森がきれいで、なんだか北欧の風景だな、と。空気もすごく気持ちよくて、自分はこの土地に呼ばれているような気がしたんですよ。それで2002年に移住して来ました。
−山中を走るトレイルランを知ったのは、こちらに住み始めて1年後くらいだそうですね。
富士河口湖町に住んでいる、モデルでアウトドア関連の仕事もしている木村東吉さんと知り合って、毎朝5時半に集合して2人でバトルして走っていたら、ある日、東吉さんが「山を走ろうぜ」って。まだ日本でトレイルランなんて誰もやってない時代でしたけど、すっかり虜になりました。山道は起伏に富んでいるから状況も見える景色も刻一刻と変わる。ぜいぜい言いながら坂を登って、一瞬視界が開けた途端、ジェットコースターのように走り降りる爽快感といったらないし、朝の森に陽が差し込んで来た時の、まるで天使が降りて来たかのような風景も素晴らしいし。本当に気持ちがいいんですよ。
−トレイルランのレースのプロデュースをするようになったきっかけは?
いろんなレースやマラソンに出ているうちに、2007年くらいから雑誌『ランナーズ』で連載を始めることになったんですよ。そこで、トレイルランのことを書いているうちに、プロデュースの話が来たんです。最初にプロデュースしたのが2007年に始まった富士山麓トレイルラン。翌年、依頼を受けて九州にレースを作った後、富士河口湖町から、本栖湖・精進湖エリアに人が集まるレースを作って欲しいと言われて、2009年に青木ヶ原樹海を利用した富士山原始林トレイルランを立ち上げました。樹海は世界で一番美しい森だと僕は思っているので、そんなエリアでレースを企画してくれと言われて嬉しかったですね。
−その後、2012年に始まったウルトラトレイル・マウントフジ(UTMF)のプロデュースに関わることになったわけですね。
トレイルランは北米とヨーロッパではすごく盛んで、ヨーロッパにはモンブランの周りをぐるっと1周走る、ウルトラトレイル・デュ・モンブランというレースがあるんですね。この姉妹レースをアジアに作りたい、ヨーロッパのモンブランに対抗しうる山はアジアでは富士山しかなかろう、ということになって、富士山の周りでレースを作っていた僕に声がかかったみたいです(笑)。
−ハードなレースなんですか。
ハードですよ(笑)。今年も9月23日から25日の開催が決まっていますが、5回目になる今回の距離は約165キロ、累積標高差約7500メートル。これは大体ヒマラヤ山脈に登るくらいの標高ですね。それを制限時間46時間以内に走りきるわけですからね。2014年から、ウルトラトレイル・ワールドツアーという世界選手権に相当するレースの1つになったので、世界中からもトレイルランの選手が集まって来ています。参加者は2400人で、去年はそのうち500人が外国人選手でした。
−コースは決まっているんですか。
今の段階ではまだフィックスはされてないですね。自然環境や野生動植物の保護にも配慮しながら、毎年新たにコースを考え、申請し、許可をもらっています。富士山の自然環境の素晴らしさを伝えたいという思いもあるので、湖畔、森、登山道、歩道、林道などを通りながら富士山麓をぐるっと1周できるようにしています。あと、コースに入っている11市町村全部にUTMFの実行委員会に入っていただいていて、手をつないでいただいているんですよ。
−県をまたいで横のつながりが! それはいいお話ですね。
ええ。で、各市町村にエイドステーションを1カ所ずつ設けて、食べ物やマッサージなどを提供してもらっているんですが、それぞれにご当地グルメを出してもらっているんですよ。だからレースではあるけれど選手たちが、それぞれの土地のものを食べて、それぞれの土地の人に出会うという、自分の足で11市町村を旅するような感覚になっているといいな、と勝手に思っています。将来的に160キロのコースがフィックスされたら、一般の人が、例えば1日に20キロずつ歩いてそのコースを1周できるようになるといいな、とも思いますね。富士山はどこから見るかで表情が全く違ってくるから歩いても楽しいし、それぞれの市町村も活性化するでしょうからね。
−福田さんが考える富士山のオススメの場所はどこですか。
5合目から頂上を目指すのもいいと思いますが、実は富士山は5合目までが素晴らしいんですよ。旧道の細い登山道の両側は手つかずの原生林だし、江戸時代の頃にできた古い神社や石碑や禊場があったりする。それを見ながら一歩一歩登ってると、ああ、ここは本当に神様がいる場所だな、というのがひしひしと感じられます。あと、樹海ですね。樹海にはネガティブなイメージがありますけど、遊歩道に沿って歩いていれば迷うこともないし、ちゃんと携帯電話もつながるし磁石も働きますよ(笑)。樹海は西暦864年の貞観の大噴火の時に流れた溶岩の上にできている特別な森なので、だからこその多彩な植生も見られるし、本当にきれいな森です。ぜひ、みなさんに来ていただきたいですね。
−改めて福田さんが考える富士山の魅力を教えてください。
僕は何しろ富士山の持つ自然が好きなんですよ。そこには目に見えないけれど神様がいるのをすごく感じるから、トレーニングそのものはきつくても、富士山を走るのは嬉しくてしょうがないんです(笑)。平日の夕方、鹿の遠吠えが聞こえる中を1人で黙々と走ってると、大自然の中にいるなあと思えるし、自分の存在なんてちっぽけなものだと実感できる。押しつぶされそうなこともいろいろありますが、富士山がちゃんと見守ってくれていて勇気をくれる。だから頑張れるのかなって勝手に思っています。僕にとっての富士山は眺めるものではなくて、そこに体を持って行って、エネルギーをもらう場所なんですね。だから2005年に家を建てる時も、あえて富士山ではなく湖が見える場所を選びました。この町にいると、どこからでも富士山は見えるし、移住して最初の3年は、正面に富士山が見えるところに住んでいて、富士山は美しすぎてむしろ疲れる、と感じていたので。
−去年生まれた男女の双子のお子さんは、これから富士山の懐に抱かれた環境で、富士山を見ながら育っていくわけですね。
自分がどこか1カ所に長く留まるとは思っていなかったんですが、48歳で思いがけず結婚して、50歳で子どもが生まれたら、やっぱりここで子どもを育てたいな、と思うようになりました。富士山とこの湖と森の自然に思いっきり親しんで育ってもらいたいんですよね。まだ幼すぎて何もわからないと思うけど、週末はなるべく子どもたちを連れて山に登ったり、いろんな空気に触れさせたいなと思っています。
1965年2月24日 東京生まれ 名前の由来は六角形の雪の結晶。聖マリアンナ医科大学大学院修了。医学博士。外科医として1000例以上の手術を執刀。現在は富士河口湖町の「介護老人保健施設はまなす」施設長を務める。高校時代から始めた音楽活動を、現在も継続中。また多くのレースに出場し、自らも6本のレースをプロデュースしている。現在、雑誌『ランナーズ』で「シンガー&ランニング・ドクター福田六花の50歳からの"子育て奮闘記"」を連載中。さらに富士山GoGoFMの「Be with U」(日曜日12:30〜13:00)ではパーソナリティと選曲、構成を担当。4月10日に開催されるグアムインターナショナルマラソン2016にゲストランナーとして出場予定。著書に『走れ! 六花ーメタボなドクターは、こうして「ランナー」になったー』(ランナーズ)、『耳鳴り・不眠・高血圧に効く「純正律」CDブック(「完璧な和音」が自律神経を整える)』(マキノ出版)、鏑木毅氏との共著『富士山1周レースができるまで〜ウルトラトレイル・マウントフジの舞台裏』(山と渓谷社)等がある。