−齋藤さんは埼玉県立浦和高校から北海道大学農学部へ進学されていますね。高校時代にはすでに“レンジャー”を目指していたのですか。
レンジャーという仕事を知ったのは大学でどの研究室に入るかを考えていた時ですが、中学校くらいからなんとなく、自然環境に関わる仕事がしたいとは思っていました。子どもの頃は田んぼの中でよく遊んでいましたし、植物が好きだったことが原体験としてあるかもしれません。
−自然がそこなわれていくことに危機感を感じてもいたのでしょうか。
中学校の時に、温暖化でホッキョクグマの生息域が減少していてかわいそうだ、という話を聞いて、それは“かわいそう”とか感情的に捉えるべきことなのかな、と考えたことがありましたから、その頃から“問題意識”みたいなものはあったのかもしれませんね。その後、大学でいろいろ研究していく中で、自然環境を保全したり活用するような仕事をしたい、同じような想いでいる人たちと一緒にその地域をよりよくしていきたいと思うようになっていったんだと思います。
−登山客も訪れず、イベントも軒並み中止になった2020年夏の富士山はどんな様子だったのでしょう。
国立公園管理官として富士山に携わって3年半くらいですが、登山客がまったくいない富士山はとても新鮮でした。いつも以上に神聖な感じもしましたしね。ただ登山道の保全作業や山小屋のメンテナンスに関わる人たちは、今年も山に入っていました。私も2回ほど、箱根や沼津の管理官事務所で富士山に関わっているレンジャーやアクティブ・レンジャーと数人で、環境省で管理している“お鉢巡り”と呼ばれる富士山頂周回線歩道の状況調査や(環境配慮型の)公衆トイレの確認をしに山頂まで行きました。
−登山客がいなかったからこそできたこともあったりしますか。
地域をよく知る地元の方たちにお願いしているグリーンワーカーという清掃事業がありますが、普段登山者がいる時には清掃できない落石などの危険がある場所も、今年は山小屋の方たちの尽力によりいつも以上に清掃できたと思います。
−登山客が訪れなかったことで、多少なりとも自然が回復されるような兆しはないですか。
とくに変化したという話は聞きません。同じようなことを他でも訊かれましたけど、1シーズンという短期間にほとんど人が入らなかった、ということだけではなかなか変化が起きないと思います。逆にいえば、我々がコロナのことで大騒ぎしていても、富士山そのもののありよう、自然の景色は変わらない。富士山は何が起きてもずっしり構えていて、何が起きてもブレないですよね。人間の存在はちっぽけでしかないと改めて感じました。
−新型コロナウイルス感染症の拡大は、齋藤さんたちの仕事にどんな影響を与えていますか。
富士五湖管理官事務所では、私とアクティブ・レンジャーと事務補佐員の3人体制で富士箱根伊豆国立公園富士山地域の山梨県側を担当していて、日々の仕事の半分くらいは、国立公園内の自然や景観を保護するための規制に係る行為や観光開発の事業のためになされる申請の調整などで占められています。今年は申請が少なかった一方、新型コロナウイルス感染症の拡大の影響を受けているエコツアー事業者の方々を支援するための補助金に関する事業が増えました。来年以降に向けた受け入れ態勢を整えつつ、地元の方たちとのいい協力体制を作りながら、文化遺産の文脈も踏まえた、これまでにない富士山の活用の仕方、楽しみ方を見つけ、提案していくために何ができるか、日々考えているところです。富士登山は山頂に行くのがすべてではないし、国立公園内の自然や景観を生かしたアクティビティなど、麓にはまだまだポテンシャルがあるわけですからね。
−そういえば先日ニュースで、地元のガイドの方たちが進めているという“富士山ロングトレイル構想”が紹介されていました。いろいろなスポットを巡りながら富士山麓を一周するなんて、楽しそうだと思っていました。
私もいろいろお話は聞いていて、環境省としてどういう形で協力できるか、現在模索しているところです。長い距離を歩くコースは外国人観光客に喜ばれるでしょうし、そのコースをいくつかに区切ることでまた新たなニーズも広がりますよね。今まであまり観光客が訪れなかった地域が広く知られるきっかけになると期待しています。
−この夏、富士登山オフィシャルサイトの“2020年の富士山の楽しみ方”で紹介されていた御中道と腰切塚と富士山自然休養林も、楽しそうでした。
五合目の御中道は今、環境省で整備していて、植物や自然に関する標識などの設置も進めています。整備が完了すると、今まで以上に散策しながら富士山のことを知っていただけるようになると思うので、ぜひ、足を運んでいただきたいです。ここから先は私の個人的なアイディアですが、いきなり準備不足のまま富士山に登ってしんどい思いをして登山が嫌いになってしまう人が多いのはすごく残念なので、例えば春先から夏にかけて、富士山が見える山に少しずつランクを上げながら登ることで身体を慣らし、最終目標として富士山に登る、みたいなプランニングがあってもいいんじゃないか、と思ったりもしています。そこに、動力船を入れないように規制している本栖湖や西湖でカヌーに乗りながら富士山を眺めたり、温泉や食事といった楽しみが加わってもいいんじゃないかとか。現在も利用者の相当な割合を占めている首都圏、中部圏の人たちが自然に触れ合うきっかけの場所として、富士箱根伊豆国立公園がもっと盛り上がっていくといいなというのは、富士五湖管理官事務所に2年半いて、すごく感じています。
−多くの人が自然と親しんで欲しいと思われているんですね。
根底にはそういう想いがあると思います。山が生活の物資源になっていた昔と違って、今は山に入ることが本当に少なくなったし、山や自然を守ることにコストをかけることをしないから、どんどん自然が失われていってしまっている。それは国立公園に限らず全国どこでも起きていることですよね。でもせっかくの自然を活用しないのはもったいないことだと、私は常々思っているし、単純にすべての人の自然に対する意識があと5%くらい高まるだけで、自然に限らず、いろんな物事がもっといいように変わる気がします。きっと国としてもよくなることにつながるんじゃないかと、国の職員という立場でも、なんとなく思いますしね。“登山はしんどい思いをしなきゃダメだ”という考えもあるのかもしれませんが、気軽に登ってきれいな景色を眺めながらカップラーメンを食べるとおいしい、というところから始まっていいと私は思っていますし、自然との触れ合い方、国立公園の使われ方にも、これからもっとグラデーションがつけられるといいんじゃないか、と思いますね。
−山に登るようになったのはいつ頃から?
大学に入ってからです。最初の本格的な登山は利尻山だったんですが、えらく感動して、もっと山に行かなきゃ、と思うようになりました。利尻山は海の上の独立峰なので、山頂に立ったら360度海。ここでしか見られない景色なんだ、と実感したんです。その後は、大学の研究フィールドだった大雪山にも調査で頻繁に登っていました。大町桂月(1869-1925)という歌人が、“富士山に登って、山岳の高さを語れ。大雪山に登って、山岳の大(おおい)さを語れ”(紀行文「層雲峡より大雪山へ」の冒頭)と書いていますが、結果的に私は両方の山に携われた。人生の巡り合わせとしておもしろいな、と思ったりもします。
−山登りの魅力はなんですか。
強いていえば“絶景”でしょうか。山の上に行かないと出合えないものが絶対にあるわけだし、なかなか見られないものを見たい、という想いが根底にあるのかもしれないです。ダイビングのライセンスを取ったのも、潜らないと見えないものを見たかったから。旅行が好きなのも、同じような理由かもしれないですね。
−最初に富士山に登ったのは?
入省した年の夏です。環境省の国立公園課に配属になったからには、日本で一番大きい御社(おやしろ)である伊勢神宮と日本で一番高い富士山に行かなきゃいけない、と勝手に決めていました(苦笑)。伊勢神宮にはゴールデンウイークに行きました。富士山には富士山本宮浅間大社でお参りをした後に富士宮口から1人で登りましたが、雨で景色が見えなかったこともあって、正直そこまで特別な感慨はありませんでした。2度目は翌年、箱根の事務所に異動になってからです。御殿場口から登りましたが、星のきれいさに感動しましたし、ご来光の時の山頂の人の多さに衝撃を受けました。3000m以上の場所にあれだけの数の、しかも多様な人たちがいる。非常に特殊な場所なんだなと、仕事目線で実感しました。
−その後も何度も登られているわけですが、どんなところにおもしろさを感じますか。
その日の気象条件によって、山頂から見える麓の景色や山頂から見える山が違うのがおもしろいです。富士山の偉大さは登ることでも感じられますが、その姿を麓や違う山から眺めることでも実感できる。私は登るのも見るのも好きですね。
−具体的にどこから見るのが好きか、教えてください。
近くから見るのも迫力はありますが、むしろ南アルプスくらいから見るのが、一番スケール感が際立っていいんじゃないかと思うこともあります。山が連なった向こうにドーンと富士山が見えると、単純にテンションが上がりますよね(笑)。もう少し近場から見るとしたら、大平山の辺りとか御坂の大石峠と新道峠の間くらいの稜線からでしょうか。手前に湖、奥に富士山がきれいに見えて、おすすめです。以前、秩父多摩甲斐国立公園のレンジャーから、自分たちの管理している地域のいい風景を集めようとするとどうしても富士山が絡んで困る、と言われたりしました。富士山はそれくらいアイコニックなものなんですよね。
1992年 埼玉県生まれ 県立浦和高校卒業後、北海道大学農学部に進学。卒業論文のタイトルは「国立公園における登山者への情報提供の方法と内容、利用者意識に関する研究~大雪山国立公園表大雪地区を事例として~」。2016年、環境省に入省。自然観光局国立公園課を経て、1年後の2017年度は箱根にある箱根自然環境事務所(現:富士箱根伊豆国立公園管理事務所)に配属。2018年から現職。趣味は山登りで、天気がいい休日はもっぱら山へ。一方雨の日は自宅でゲーム三昧。おいしいものが好きで、「吉田のうどんは一通り制覇した」とも。最近は自炊も増え「自粛期間中はカレーを極めた」とのこと。今年になって伸ばしたひげは山小屋関係者に好評で、しばらくこの風貌の予定。
富士登山オフィシャルサイトHP:http://www.fujisan-climb.jp
撮影協力:環境省生物多様性センター(http://www.biodic.go.jp)