−2018年大会からUTMFのコースを変えた理由は?
一番の理由は、天候に左右されない、持続可能な大会にするためです。2016年大会は非常に天候が悪く、最終的にUTMFのコースを短縮、92キロメートルのSTYは中止するという道をとりました。日本での数少ない国際大会であるUTMFを目指して数年前から準備を重ねてきた参加選手も、1500人のボランティアも、みんな、涙を飲みました。それで2016年大会後に、雨が降ってもやれる大会にしよう、と話し合いを始めたわけです。一周にこだわりたい気持ちはありましたが、あらゆる状況を想定して何重にも迂回路を用意するのが難しい場所もあり、コースを変えることにしました。今回の変更でコースではなくなる自治体の方には、事情を話して納得していただきました。ある程度コースを確定することで安全面、環境面は確保して、参加選手により素晴らしい経験をして帰ってもらえるように大会の質をもっと上げていきたい、という思いもありました。
−また2019年大会から寄付エントリー部門を創設して環境事業の強化を図るそうですね。大会とは別の寄付やサポートを受けながら進める環境事業ということですが、具体的にはどんなことをやっていこうと?
今考えているのは、コースに限らず、僕らが“トレイル”と呼んでいる山道=歩道の管理と整備活動の強化、そのための新たな仕組み作りです。歩道は本来、歩道管理者が責任を持って管理すべきとされています。国立公園内の歩道管理者は一義的にはほとんどが行政ですが、中には歩道管理者が不明確なところもたくさんあるんですよ。だからと言って我々が整備できるかというと、環境省に整備の許可申請をする資格がないので手出しができない。また管理者が明確な場合も、資金や高齢化の問題などがある。結局、歩道の整備は行き届いてないのが現状です。その山積する課題を乗り越え、我々のNPOがリーダーシップをとって、資金や労力を負担しながら管理や整備をしていける仕組みを作っていきたい、と考えています。UTMFや我々のNPOにはこれまでの経緯と実績がありますから、きっと実現できると思っています。
−歩道が整備されると、どんないいことがあるのでしょう。
富士山周辺にはいい森や林がたくさんあって、その中を走ったり歩いたりできる環境を、自然に配慮した形で整えていこうというのが目的ですから、もっと富士山周辺の自然が楽しめるようになると思います。そうすれば年に1回の大会のためだけでなく、年間を通してアウトドアやトレイルランニングを愛好する人たちが富士山周辺に来るようなるでしょうし、トレイルランナーの存在が当たり前になることで、トレイルランニングやウルトラトレイルのカルチャーが富士山周辺に根付くんじゃないかと期待しています。それがまた、自然環境を守り、地元を愛することにつながっていきますからね。NPOなので僕はいずれ誰かにバトンを渡すわけですが、大会が成熟すれば商業化が進むのは必然でしょうけど、ウルトラトレイルというエンターテインメントをやっていることだけではなく、このNPOの核に、環境を守り、整備していく役目を担い、ウルトラトレイルのカルチャーを富士山周辺に根付かせるんだという哲学があることも、しっかり残していきたいですね。
−千葉さんが考えるウルトラトレイルレースの魅力は? 特別な人にしかできない気がしますけど。
そんなことはないですよ、100メートルを10秒切って走れ、という話ではないので。もちろん、お金とか時間とか家族とか犠牲にするものはたくさんあるし、努力も必要です。でもしっかり準備して一つ一つ積み重ねていけば、絶対に無理だとしか思えない100マイルを、2、3年後には完走できるんです。勉強でも運動でも頑張れば純粋に結果を出せた子どもの頃と違って、大人になるとどんなに努力しても如何ともしがたいことがたくさんありますよね。だからこそレースを通して人間の、そして自分自身の可能性を感じられるのは素晴らしいと思います。あと、自然を感じながら走っていると、“自分たちも生き物なんだ”という実感が得られる。それも貴重な体験だと思います。
−それは確かにおもしろそうですね。走るのは無理でも、ボランティアで運営の手伝いをしてみたくなります。レースを見て楽しむ人たちはいるんですか。
フランス・イタリア・スイスを巡るUTMBという、世界のトップ選手が集まる100マイルレースがあるんですよ。ヨーロッパの最高峰であるモンブランを取り巻く山岳地帯を走るウルトラトレイルレースで、評価も人気も非常に高い。その大会に行くと毎年レースが進化していて驚かされます。今年から日本語の生中継も始まりましたが、明るいうちはトップ選手をずっとカメラでフォローしていたりしますからね。今までは不可能と考えられていた“見るコンテンツ”としてのウルトラトレイルが可能になってきつつあるのを感じます。イメージとしては箱根駅伝ですね。日本人は箱根駅伝が好きだから、実際にテレビのコンテンツになったら、結構楽しんでもらえるんじゃないかと思います。レースが行われるのは地方の山の中が多いので、交通網も宿泊のキャパシティも十分ではないので現地にたくさんの人に見に来てもらうのは難しいのが現状です。でもレースに参加した友達や知り合いや強い選手をGPSで追えたり、映像で見てもらえるような段階になってきているので、UTMFでも今後はその辺をしっかりやっていきたいと思っています。
−千葉さんが総合プロデュースを手がける、2013年に始まった“伊豆トレイルジャーニー”について教えてください。
約70キロメートルを14時間で走破するという、ちょっと制限時間が厳しいレースですが、火山活動の影響を受けているので地形は様々ですし、馬酔木の森があったりブナの林があったり、生態系も多様性に富んでいるので、旅をしている感をたっぷり味わえるコースだと思います。将来的にはルートをさらに延ばして、泊まりながら伊豆半島を縦断するようなロングトレイルを作るのが夢です。富士山観光をした外国人の方々に伊豆半島で一週間楽しんでもらえるような長期滞在のコンテンツを提案するなど、持続可能な観光のモデルケースが作れたらいいな、とも思っています。
−どんな経緯で“伊豆トレイルジャーニー”をプロデュースすることになったのですか?
僕は大学を卒業するまでずっと陸上をやっていたんですよ。バイトもまともにしたことがなかったので、最初の就職先ではミスが多くて本当に迷惑をかけました(苦笑)。その後、地元の沼津観光協会で働いていた時に“伊豆アドベンチャーレース”を運営している人の話を聞く機会があって、レースに参加したんですよ。とてもおもしろかったので翌年から毎年、ボランティアで運営を手伝っていたら、主催者の一人だった白石康次郎の単独世界一周ヨットレース「ファイブ・オーシャンズ」(白石さんは2位)のサポートをやらないか、と声をかけられましてね。その後、白石をサポートしていた時に知り合った海外在住のコーディネーターの方に、2009年のUTMBで日本人過去最高位の3位になってプロに転向したトレイルランナーの鏑木毅を紹介され、意気投合したんです。僕は沼津観光協会出身ですし、鏑木はもともと県庁職員ですから、どちらも“地域振興”に興味があったんですね。それで鏑木が「絶対に伊豆でもトレランをやるといい、俺も手伝うよ」と。たまたまホストシティである松崎町の当時の町長も積極的で、条件がこんなに揃うことはないなと思い、自分で会社を立ち上げて、第1回伊豆トレイルジャーニーを開催しました。簡単な道のりではありませんでしたけど、一度、伊豆を成功させたら他のレースから声がかかるようになり、2015年からUTMFの運営にも関わるようになったんですね。
−出会いが出会いを生んで現在に至った、という感じですね。
こうなりたいと目指してやってきたわけではないので、ほぼ運ですね(笑)。“40歳までに、自分がこれで生きていきたいというものを見つけたい”と漠然と思っていたので、36歳までは悶々としていましたが、今やっている仕事は、ライフワークになりそうな気がしています。越えなくてはいけない壁は多いし悩みは尽きませんが、モチベーションが落ちるどころかやりたいことが増えている感じですからね。
−どこから見る富士山が好きですか。
伊豆の達磨山から見る富士山が好きです。達磨山から見る富士山は、西側の裾野が綺麗なAラインを描いていて、非常にスマートで女性的な美しさがある。近くで見る富士山も雄々しくていいなと思いますが、僕は伊豆の人間なので、見慣れている海越しの富士山の方が好きですね。達磨山は伊豆トレイルジャーニーのコースにもなっていて、完走ギリギリのペースで走っていると、達磨山から駿河湾に落ちていく夕日とその夕日でピンク色に染まった富士山と、その麓に広がる沼津の夜景が見られますよ。
−富士山の魅力は?
日本人にとってのアイデンティティを感じられる貴重な存在だ、ということじゃないでしょうか。日本の象徴として富士山を挙げた時に、異を唱える人はほとんどいませんからね。デザインは確かに特別ですが、それ以上に人々の思いが富士山の存在を大きくしている気がします。
1975年 静岡県生まれ 大学時代は陸上競技部に所属し、4×400メートルリレーのメンバーとしてインカレ等に出場。2000年から沼津観光協会に勤務し、東京で広告関係の仕事に従事した後、スポーツマネージメント会社へ入社し2006〜2007年の海洋冒険家白石康次郎氏の単独世界一周ヨットレース「ファイブ・オーシャンズ」をサポートする。2012年に会社を退社し、2013年、地元で伊豆トレイルジャーニーを総合プロデュース。以後、トレイルレースの運営に関わるようになる。「体を動かすことはなんでも好き」で、シーカヤックやマウンテンバイクも楽しむ。沢木耕太郎氏著の「深夜特急」に憧れて、社会人直前の春休みに横浜から上海を経て、一人中国をバックパックで1ヶ月間旅したことも。(株)ソトエ代表取締役プロデューサー、静岡県東部地域スポーツ産業振興協議会アウトドア部会長。
ウルトラトレイル・マウントフジ(UTMF)
HP https://www.ultratrailmtfuji.com