みんなで考えよう

富士山インタビュー

ロングトレイルのカルチャーを富士山周辺に定着させたい

2012年に始まったウルトラトレイル・マウントフジ(以下UTMF)は、46時間の制限時間内に距離約170キロメートル、累積標高差約8000メートルを走破するレースで、毎年国内外から2000人を超えるランナーが参加しています。
2018年大会からは、前回の2016年大会まで富士山一周だったコースを、静岡県の富士山こどもの国をスタートして西廻りに山梨県の大池公園に至るコースに変更。
その後、2019年から環境事業強化を目的にした寄付エントリー部門の創設も発表されました。
UTMF実行委員会の事務局長であり、その主催者であるNPO法人富士トレイルランナーズ倶楽部の事務局長でもある千葉達雄さんに、その意図とUTMFが今後目指すことを中心に伺いました。
写真:飯田昂寛/取材・文:木村由理江

富士山周辺の豊かな自然を楽しめる場所を増やしたい

−2018年大会からUTMFのコースを変えた理由は?

 一番の理由は、天候に左右されない、持続可能な大会にするためです。2016年大会は非常に天候が悪く、最終的にUTMFのコースを短縮、92キロメートルのSTYは中止するという道をとりました。日本での数少ない国際大会であるUTMFを目指して数年前から準備を重ねてきた参加選手も、1500人のボランティアも、みんな、涙を飲みました。それで2016年大会後に、雨が降ってもやれる大会にしよう、と話し合いを始めたわけです。一周にこだわりたい気持ちはありましたが、あらゆる状況を想定して何重にも迂回路を用意するのが難しい場所もあり、コースを変えることにしました。今回の変更でコースではなくなる自治体の方には、事情を話して納得していただきました。ある程度コースを確定することで安全面、環境面は確保して、参加選手により素晴らしい経験をして帰ってもらえるように大会の質をもっと上げていきたい、という思いもありました。

−また2019年大会から寄付エントリー部門を創設して環境事業の強化を図るそうですね。大会とは別の寄付やサポートを受けながら進める環境事業ということですが、具体的にはどんなことをやっていこうと?

 今考えているのは、コースに限らず、僕らが“トレイル”と呼んでいる山道=歩道の管理と整備活動の強化、そのための新たな仕組み作りです。歩道は本来、歩道管理者が責任を持って管理すべきとされています。国立公園内の歩道管理者は一義的にはほとんどが行政ですが、中には歩道管理者が不明確なところもたくさんあるんですよ。だからと言って我々が整備できるかというと、環境省に整備の許可申請をする資格がないので手出しができない。また管理者が明確な場合も、資金や高齢化の問題などがある。結局、歩道の整備は行き届いてないのが現状です。その山積する課題を乗り越え、我々のNPOがリーダーシップをとって、資金や労力を負担しながら管理や整備をしていける仕組みを作っていきたい、と考えています。UTMFや我々のNPOにはこれまでの経緯と実績がありますから、きっと実現できると思っています。

−歩道が整備されると、どんないいことがあるのでしょう。

 富士山周辺にはいい森や林がたくさんあって、その中を走ったり歩いたりできる環境を、自然に配慮した形で整えていこうというのが目的ですから、もっと富士山周辺の自然が楽しめるようになると思います。そうすれば年に1回の大会のためだけでなく、年間を通してアウトドアやトレイルランニングを愛好する人たちが富士山周辺に来るようなるでしょうし、トレイルランナーの存在が当たり前になることで、トレイルランニングやウルトラトレイルのカルチャーが富士山周辺に根付くんじゃないかと期待しています。それがまた、自然環境を守り、地元を愛することにつながっていきますからね。NPOなので僕はいずれ誰かにバトンを渡すわけですが、大会が成熟すれば商業化が進むのは必然でしょうけど、ウルトラトレイルというエンターテインメントをやっていることだけではなく、このNPOの核に、環境を守り、整備していく役目を担い、ウルトラトレイルのカルチャーを富士山周辺に根付かせるんだという哲学があることも、しっかり残していきたいですね。

ちゃんと準備を積み重ねれば、2、3年後に100マイルは完走できます

−千葉さんが考えるウルトラトレイルレースの魅力は? 特別な人にしかできない気がしますけど。

 そんなことはないですよ、100メートルを10秒切って走れ、という話ではないので。もちろん、お金とか時間とか家族とか犠牲にするものはたくさんあるし、努力も必要です。でもしっかり準備して一つ一つ積み重ねていけば、絶対に無理だとしか思えない100マイルを、2、3年後には完走できるんです。勉強でも運動でも頑張れば純粋に結果を出せた子どもの頃と違って、大人になるとどんなに努力しても如何ともしがたいことがたくさんありますよね。だからこそレースを通して人間の、そして自分自身の可能性を感じられるのは素晴らしいと思います。あと、自然を感じながら走っていると、“自分たちも生き物なんだ”という実感が得られる。それも貴重な体験だと思います。

−それは確かにおもしろそうですね。走るのは無理でも、ボランティアで運営の手伝いをしてみたくなります。レースを見て楽しむ人たちはいるんですか。

 フランス・イタリア・スイスを巡るUTMBという、世界のトップ選手が集まる100マイルレースがあるんですよ。ヨーロッパの最高峰であるモンブランを取り巻く山岳地帯を走るウルトラトレイルレースで、評価も人気も非常に高い。その大会に行くと毎年レースが進化していて驚かされます。今年から日本語の生中継も始まりましたが、明るいうちはトップ選手をずっとカメラでフォローしていたりしますからね。今までは不可能と考えられていた“見るコンテンツ”としてのウルトラトレイルが可能になってきつつあるのを感じます。イメージとしては箱根駅伝ですね。日本人は箱根駅伝が好きだから、実際にテレビのコンテンツになったら、結構楽しんでもらえるんじゃないかと思います。レースが行われるのは地方の山の中が多いので、交通網も宿泊のキャパシティも十分ではないので現地にたくさんの人に見に来てもらうのは難しいのが現状です。でもレースに参加した友達や知り合いや強い選手をGPSで追えたり、映像で見てもらえるような段階になってきているので、UTMFでも今後はその辺をしっかりやっていきたいと思っています。

伊豆の達磨山から見る富士山にはスマートで女性的な美しさがあります

−千葉さんが総合プロデュースを手がける、2013年に始まった“伊豆トレイルジャーニー”について教えてください。

 約70キロメートルを14時間で走破するという、ちょっと制限時間が厳しいレースですが、火山活動の影響を受けているので地形は様々ですし、馬酔木の森があったりブナの林があったり、生態系も多様性に富んでいるので、旅をしている感をたっぷり味わえるコースだと思います。将来的にはルートをさらに延ばして、泊まりながら伊豆半島を縦断するようなロングトレイルを作るのが夢です。富士山観光をした外国人の方々に伊豆半島で一週間楽しんでもらえるような長期滞在のコンテンツを提案するなど、持続可能な観光のモデルケースが作れたらいいな、とも思っています。

−どんな経緯で“伊豆トレイルジャーニー”をプロデュースすることになったのですか?

 僕は大学を卒業するまでずっと陸上をやっていたんですよ。バイトもまともにしたことがなかったので、最初の就職先ではミスが多くて本当に迷惑をかけました(苦笑)。その後、地元の沼津観光協会で働いていた時に“伊豆アドベンチャーレース”を運営している人の話を聞く機会があって、レースに参加したんですよ。とてもおもしろかったので翌年から毎年、ボランティアで運営を手伝っていたら、主催者の一人だった白石康次郎の単独世界一周ヨットレース「ファイブ・オーシャンズ」(白石さんは2位)のサポートをやらないか、と声をかけられましてね。その後、白石をサポートしていた時に知り合った海外在住のコーディネーターの方に、2009年のUTMBで日本人過去最高位の3位になってプロに転向したトレイルランナーの鏑木毅を紹介され、意気投合したんです。僕は沼津観光協会出身ですし、鏑木はもともと県庁職員ですから、どちらも“地域振興”に興味があったんですね。それで鏑木が「絶対に伊豆でもトレランをやるといい、俺も手伝うよ」と。たまたまホストシティである松崎町の当時の町長も積極的で、条件がこんなに揃うことはないなと思い、自分で会社を立ち上げて、第1回伊豆トレイルジャーニーを開催しました。簡単な道のりではありませんでしたけど、一度、伊豆を成功させたら他のレースから声がかかるようになり、2015年からUTMFの運営にも関わるようになったんですね。

−出会いが出会いを生んで現在に至った、という感じですね。

 こうなりたいと目指してやってきたわけではないので、ほぼ運ですね(笑)。“40歳までに、自分がこれで生きていきたいというものを見つけたい”と漠然と思っていたので、36歳までは悶々としていましたが、今やっている仕事は、ライフワークになりそうな気がしています。越えなくてはいけない壁は多いし悩みは尽きませんが、モチベーションが落ちるどころかやりたいことが増えている感じですからね。

−どこから見る富士山が好きですか。

 伊豆の達磨山から見る富士山が好きです。達磨山から見る富士山は、西側の裾野が綺麗なAラインを描いていて、非常にスマートで女性的な美しさがある。近くで見る富士山も雄々しくていいなと思いますが、僕は伊豆の人間なので、見慣れている海越しの富士山の方が好きですね。達磨山は伊豆トレイルジャーニーのコースにもなっていて、完走ギリギリのペースで走っていると、達磨山から駿河湾に落ちていく夕日とその夕日でピンク色に染まった富士山と、その麓に広がる沼津の夜景が見られますよ。

−富士山の魅力は?

 日本人にとってのアイデンティティを感じられる貴重な存在だ、ということじゃないでしょうか。日本の象徴として富士山を挙げた時に、異を唱える人はほとんどいませんからね。デザインは確かに特別ですが、それ以上に人々の思いが富士山の存在を大きくしている気がします。

千葉達雄
ちばたつお

1975年 静岡県生まれ 大学時代は陸上競技部に所属し、4×400メートルリレーのメンバーとしてインカレ等に出場。2000年から沼津観光協会に勤務し、東京で広告関係の仕事に従事した後、スポーツマネージメント会社へ入社し2006〜2007年の海洋冒険家白石康次郎氏の単独世界一周ヨットレース「ファイブ・オーシャンズ」をサポートする。2012年に会社を退社し、2013年、地元で伊豆トレイルジャーニーを総合プロデュース。以後、トレイルレースの運営に関わるようになる。「体を動かすことはなんでも好き」で、シーカヤックやマウンテンバイクも楽しむ。沢木耕太郎氏著の「深夜特急」に憧れて、社会人直前の春休みに横浜から上海を経て、一人中国をバックパックで1ヶ月間旅したことも。(株)ソトエ代表取締役プロデューサー、静岡県東部地域スポーツ産業振興協議会アウトドア部会長。

ウルトラトレイル・マウントフジ(UTMF)
HP https://www.ultratrailmtfuji.com

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家
小山真人静岡大学 教授 理学博士
勝俣克教富士屋ホテル 河口湖アネックス 富士ビューホテル支配人
漆畑信昭柿田川みどりのトラスト、柿田川自然保護の会各会長
日野原健司太田記念美術館 主席学芸員
渡井一信富士宮市郷土資料館館長
大高康正静岡県富士山世界遺産センター学芸課准教授
渡辺貴彦仮名書家
望月将悟静岡市消防局山岳救助隊員・トレイルランナー
成瀬亮富士山写真家
田部井進也一般社団法人田部井淳子基金代表理事、
クライミングジム&ヨガスタジオ「PLAY」経営
齋藤繁群馬大学大学院医学系研究科教授、医師、日本山岳会理事
吉本充宏山梨県富士山科学研究所 火山防災研究部 主任研究員
柿下木冠書家・公益財団法人独立書人団常務理事
菅田潤子富士山文化舎理事『富士山事記』企画編集担当
安藤智恵子国際地域開発コーディネーター
田中章義歌人
千葉達雄ウルトラトレイル・マウントフジ実行委員会事務局長、
NPO法人富士トレイルランナーズ倶楽部事務局長
松島仁静岡県富士山世界遺産センター 学芸課 教授(美術史)
大鴈丸一志・奈津子夫妻御師のいえ 大鴈丸 fugaku×hitsukiオーナー
有坂蓉子美術家・富士塚研究家
小川壮太プロトレイルランナー、甲州アルプスオートルートチャレンジ実行委員会実行委員長
飯田龍治アマチュアカメラマン
篠原武ふじさんミュージアム学芸員
吉田直嗣陶芸家
春山慶彦株式会社ヤマップ代表
中野光将清瀬市郷土博物館学芸員
久保田賢次山岳科学研究者
鈴木千紘・佐藤優之介看護師・2014年参加, 大学生・2015と2016年参加
松岡秀夫・美喜子さん夫妻「田んぼのなかのドミノハウス」住人
三浦亜希富士河口湖観光総合案内所勤務
石澤弘範富士山ガイド・海抜一万尺 東洋館スタッフ
大庭康嗣富士山裾野自転車倶楽部部長
杉本悠樹富士河口湖町教育委員会生涯学習課文化財係 主査・学芸員
松井由美子英語通訳案内士・国内旅程管理主任者
涌嶋優スカイランナー、富士空界-Fuji SKY-部長、日本スカイランニング協会 ユース委員会 委員長・静岡県マネージャー
岩崎仁合同会社ルーツ&フルーツ「富士山ネイチャーツアーズ」代表
門脇茉海公益財団法人日本交通公社研究員
渡邉明博低山フォトグラファー・山岳写真ASA会長
藤村翔富士市市民部文化振興課 富士市埋蔵文化財調査室 学芸員
勝俣竜哉御殿場市教育委員会社会教育課文化スタッフ統括
前田友和山梨自由研究家
杉山浩平東京大学大学院総合文化研究科 特任研究員 博士(歴史学)
天野和明山岳ガイド、富士山吉田口ガイド、甲州市観光大使、石井スポーツ登山学校校長
井上卓哉富士市市民部文化振興課文化財担当主幹
齋藤天道富士箱根伊豆国立公園管理事務所 富士五湖管理官事務所 国立公園管理官
齋藤暖生東京大学附属演習林 富士癒しの森研究所所長
池川利雄ノースフットトレックガイズ代表、富士山登山ガイド
松本圭二・高村利太朗山中湖おもてなしの会副会長, 山中湖おもてなしの会会員
関口陽子富士山フォトグラファー
猪熊隆之山岳気象予報士・中央大学山岳部監督
髙杉直嗣2021年御殿場口登山道維持工事現場代理人
羽田徳永富士山吉田口登山道馬返し大文司屋六代目
内藤武正富士宮市役所企画部富士山世界遺産課主幹兼企画係長
河野清夏フジヤマミュージアム学芸員
中村修七合目日の出館7代目・富士山吉田口旅館組合長・写真家
野沢藤司河口湖ステラシアター、河口湖円形ホール館長
三浦早苗ダイビング&トレッキングぴっころ代表
田部井政伸一般社団法人田部井淳子基金代表理事
橋都彰夫半蔵坊館長・わらじ館館長
上小澤翔吾富士登山競走実行委員会事務局
杉村知穂富士宮市教育委員会教育部文化課
河野格登山ガイド

supported by