−ガラス張りで、と建築家にリクエストされたんですか。
秀夫さん 私が最初から設計をお願いしようと決めていた手塚貴晴さんは、施主がどんな暮らしを望んでいるかをもとに設計を考える人なんですよ。何部屋ほしいとか、そんなことは聞きもしない(笑)。だから私は三つのことを伝えようと考えていました。まずは、毎日富士山を見ながら生活したい。二つ目が、明るくて風通しのいい家にしてほしい。三つ目が、孫がまた遊びに来たいと思う家にしてほしい、と。そしたらこんな家を考えてくれました(笑)。私は彼の作品を知っていましたからある程度予想していましたけど、妻は最初に模型を見せてもらった時にすごく驚いてましたね。
美喜子さん 開放感のある建物を作る方だとは全然知らなかったから。「中が見えるような模型なんですね。壁はできるんですよね」と聞いたら「いや」って。戸惑っていたら「カーテンを閉めればどこでも壁になる。気になるなら閉めればいいんですよ」と言われました。確かに、壁と違ってカーテンは圧迫感がないし、いつでも開けられる。8年経ってすっかり慣れました(笑)。
−いるだけで気持ちよくなる空間ですね。
秀夫さん そう思います。遊びに来た方も、のんびりできると言ってくれます。
美喜子さん リビングダイニングと寝室、バストイレに2畳程度の収納スペース、と大して広くはないんですが、建物の内と外が一体になっていて開放的ですし、太陽の位置や雲の動きで外の景色も変わる。それで飽きないみたいです。
−元々は別荘として建てられたそうですが、美喜子さんのお父さまの出身地の富士河口湖町を選んだのは?
美喜子さん 私の父は高等小学校を卒業した後、東京で書生をしながら歯科医になりましたけど、長男でしたから、従兄弟たちに助けられながら生家と田んぼはずっと維持していたんですよ。私も子どもの頃から毎年田植えや稲刈りの手伝いに来ていましたし、子どもが生まれてからはGWや夏休みごとに、ここから歩いて5分くらいのところにある築100年近い父の生家に家族みんなで遊びに来ていました。そんな中で、主人がここを気に入った、ということですね。
秀夫さん 中央自動車道の大月インターチェンジから河口湖の方に入ってくると突然富士山がドカンと見えるんですよ。これが本当にきれいでね。ああ、富士山、いいなあ、と。富士山の存在が、やはり大きかったですね。
美喜子さん そしたら何年か前に、父の生家と土地を相続した私の兄が主人に「松岡くん、もしこの辺に何か建てたいなら、田んぼを一枚やるからそこに好きなものを建てればいいよ」って。
−ドミノハウスが完成してほどなく、こちらに移住されたそうですね。
秀夫さん 完成したのが2010年11月で、移住したのは2011年4月でした。4、5年は東京で仕事を続けて別荘的に使うつもりでしたけど、二つの住居を管理するのはやはり大変なんですよ。それで勤務先に頼んでここから通える甲府に転勤させてもらいました。せっかくだから田んぼや畑をちゃんとやりたいと考えて、2014年、62歳で早期退職しました。
−美喜子さんはこちらへの移住についてはどう思われたんですか。
美喜子さん 馴染みのある場所でしたけど、別荘を建てると聞いた時には驚きました。しかも移住することになるとは・・。女友達は「歳をとって田舎に行くのはダメ!」という人が多かったですけど、私は移住してよかったと思っています。私の両親のお墓の面倒も見られるし、ここにいるとお金も使わないですしね(笑)。
−人がよく集まるお宅だとお聞きしました。
秀夫さん 気がついたら、そうなってましたね。
美喜子さん 壁がありませんから、誰かが道を歩いてくるとすぐに気がつく。それで挨拶をしたり「お茶でも飲んでいく?」と。声をかけやすい家なんですよ。
秀夫さん 向こうも寄っていきやすいんでしょうね。週に3日くらいは誰かがコーヒーを飲みに寄ってくれます。あと、リタイアしてから私が、いろんな人と繋がる努力をしたことも大きいでしょうね。会社人間でご近所との付き合いはほとんどしてきませんでしたけど、楽しんで老後を過ごすためには夫婦2人きりにならないこと、時には愚痴もこぼし合いながら楽しめる仲間がいることがすごく大事だろう、と思いましてね。今もSNSを通じていろんな方と接点を増やしています。
美喜子さん 今はもう開催されていませんが、以前、富士吉田で毎週金曜日の朝7時から8時まで開催されていた“富士山ごえん会”という異業種の方々の交流会にも、夫婦でよく顔を出していました。おかげで観光業の若い人たちや、フリーアナウンサー等、東京にいたら知り合えなかった業種の人たちとたくさん知り合うことができ、さらに繋がりが広まっています。
秀夫さん 建築当初から、国内外の大学で教えている手塚さんが教え子たちを大勢連れて来たりもしていましたね。一番多い時で62名かな。手塚さんの事務所の所員やインターンが30名以上参加する、毎夏恒例の五合目までのサイクリングの前夜祭も、ここができた翌年から我が家の1階のピロティでやってますよ。
美喜子さん そうやって一度来た人がまた来てくれたり、お友達を連れて来てくれたりする。それでどんどん人が集まるようになっていったんですね。
−最近はジャズのライブも開催されているとか。
秀夫さん アマチュアのビッグバンドに参加している私の弟の関係で知り合った若いジャズギタリストが駒ヶ根と東京を行き来しているというので「近所に来たら寄ってね」と言っていたら、正月早々「泊めてくれ」とやって来たんですよ。その時に彼がここでギターを演奏してくれたんですが、「松岡さん、ここでライブできますよ」と。「それはいいね」と話していたら、今度は日時を指定して「ギターとベースのデュオでライブをやらせてください」って。それが3年前の7月でしたね。
美喜子さん そのライブがなかなかよかったんですよ。ご近所さんもみんな来て、とても喜んでくれた。それがきっかけで回を重ねています。
秀夫さん 今年の秋には13回目をやりますよ。客席や打ち上げの準備、義父の生家に泊まったミュージシャンとスタッフの翌朝の食事の支度と結構大変ですけど私たちも楽しいです。
美喜子さん 定年になったサラリーマン夫婦には、これから毎日ずっと一緒で楽しく過ごせていけるのか? というちょっとした恐怖感があるんですよ。その点、同じ目的を持って互いに協力できるライブが年に何回かあるというのは、いいことだと思っています。
秀夫さん 結局我が家は、富士山とセットになっているから人が集まってくるんだと思いますね。我が家は特殊な建築だけど、建物だけではそうはいかない。それで私たちもいろんなことを仕掛ける、それをみんなが喜んでくれる。その繰り返しで賑やかな日々を過ごせている。東京に住んでいた時には全く想像もしてなかった生活です。
美喜子さん 東京から持ってきた仏壇も一番富士山がよく見えるところにおいて、みんなで富士山を楽しんでいます。本当に富士山さまさまです(笑)。
−毎日富士山を眺める生活はすでに8年を超えましたね。
美喜子さん 初めの頃は起きたらまず富士山を見ましたけど、この頃は当たり前になっちゃいましたね(笑)。
秀夫さん 以前から住んでいる方は「そんなに意識しませんよ」とよく言っているから、私たちもそんな域に到達してきたのかもしれないですね。よく静岡の人は静岡側から見る富士山がいいよと言いますけども、どう見ても、河口湖側の、とくに大石から見る富士山、これは最高だと思います(笑)。
美喜子さん そう。ズドンと見えるし、形もきれいだしね。
−季節とか時間帯とか、とくにお気に入りの富士山はありますか。
秀夫さん 四季折々全部いいですよ。雪をがっつりかぶった真冬の富士山もいいですし、森林限界がよく見える夏の富士山もいい。春の田んぼに逆さ富士が映るのもいいですしね。
美喜子さん 雪が載っているのは富士山らしくて本当にいいですね。移住して富士山を間近に見るようになって、夏の裾野の緑がとても豊かだと気づいたんですが、裾野が緑で森林限界を超えた上が赤々としている夏の富士山は本当に生きている感じがしていいですよ。あと夏の夜、ヘッドランプの灯りで登山道がジグザグに浮かび上がると、今日もたくさんの人が登ってるんだなと思ってつい見ちゃいます。山小屋の明かりを見ても、中の人は今、頑張ってるんだなと思ったりするし。本当に四季折々違うし、いろんなことを含んだ山だと思います。私たちにとっては見る山だから、五合目以上に行ったことはないですけどね(笑)。
−改めてここに移住してよかったと思うことは?
秀夫さん 自然と触れ合える機会がすごく増えたことです。土いじりをして作物を育てる楽しさとか難しさをこの歳になって初めて知ることができた。それは人生の中ですごく大事なことでしたね。
美喜子さん それが目的だったわけではなくて、もらった敷地の周りを草ぼうぼうにしておくわけにもいかず、必要に迫られてやり始めた田んぼや畑ではあったんですけど、意外と楽しくて・・。ただ野菜は一気にたくさんできちゃうので、自分たちで作った愛おしい野菜を無駄にしないためにあれこれ工夫をしなくちゃいけなくて大変です(苦笑)。私たちは野菜等を売らないことをコンセプトにしているので、ご近所に分けたり、お客さまがお見えになると、ご飯をご用意して野菜を消費していただいたり、野菜をお土産に持っていっていただいたり・・。ここではそれぞれにすることもあるし、いろんなことがここまでいい感じに流れてきていますから、ここに移住してきて私たちの老後もよかったんだろう、と私は思っています。
秀夫さん たまに東京に行きますけど、東京の雑踏から解放されて帰ってくると本当にホッとします。
美喜子さん 2人とももう東京の人じゃなくなってしまいました(笑)。
まつおかひでお 熊本県八代市生まれ
まつおか みきこ 東京都北区生まれ
秀夫さんが大学1年、美喜子さんが高校卒業後の春休みにアルバイト先で知り合い、1977年11月に結婚。2人の息子さんを授かり、現在、4人のお孫さんがいる。2011年4月、東京都三鷹市から富士河口湖町に移住。2014年に秀夫さんが早期退職後は、田んぼや畑で作物を作りながら晴耕雨読を地で行くような日々を送る。
*ライブの情報
ドミノハウスLIVE vol.13 箏とヴィオラの優しいハーモニー
2019年10月19日(土)15:00~17:00 要予約 1500円(お菓子付)
演奏者 箏:笹野大栄 ヴィオラ:菜菜子
(お問い合わせ:https://www.facebook.com/domino1511254)