−(公財)日本交通公社は、観光文化の振興を目的にした独自の研究や事業と、国や地方公共団体などから受託したさまざまな観光振興に関する調査研究業務を行っているそうですね。時々耳にする、行政機関が発表する“観光計画”といったものの策定のお手伝いもされているとか。お仕事が多岐にわたっている気がするのですが、具体的にどんなことをしているのか教えてください。
私はこれまで、例えば海外からの来訪者に観光に関するアンケートをして結果をまとめて分析したり、それぞれの地域の文化や歴史を掘り起こして、地域の観光にどう結びつけていくかを考え、最終的にそれを地域の方に引き継いだり、というようなことをしていますが、なかなかイメージしづらいとは思います。日本の観光文化を豊かにするためにどんな調査や研究が必要かというのは、決まった項目があるわけではなくて、自分たちで考え、見つけ出していくものでもあるので。
−2015年から2017年の3年間に携わっておられた、山梨県富士山世界文化遺産保存活用推進協議会から受託された「リバース!富士講プロジェクト」(以下、「リバース!」)ではどんなことを?
“信仰の対象富士山の巡礼路、構成資産の価値及び相互の関係性などの理解促進”、“構成資産をつなぐ巡礼路等を活用した新たな富士山観光の推進”を目的にしたプロジェクトでしたので、学芸員さんや関係市町村の観光担当課の方への富士山観光に関するヒアリングから始めて、それをもとに現地調査をしてモデルコースを考えたり、富士講の文化をより体感できるような行衣などのグッズを作ったり、富士山信仰の巡礼路やゆかりの地がわかる「富士参詣の道を往く」というガイドマップを作ったりしました。また富士信仰や富士講に関する最新の研究成果を学芸員さんから直に地域で活動するガイドさんたちに紹介してもらう研修会を開いたり、ファムトリップ(観光客を呼び込むために影響力のあるブロガーやメディアを招待する旅行)を行ったり、富士講の講員をモチーフに、資料に基づいて細部にまでこだわった“みろくくん”というマスコットキャラクターも作りましたね。このみろくくんはとてもかわいいだけでなく、富士講に関する情報がぎゅっと詰まっています。数え切れないくらい富士山の北麓地域に通いましたし、学芸員さんにはいろんなことを教わりました。大変なこともありましたけど、充実した3年間でした。
−外国人を対象にしたファムトリップもあったそうですが、どんな声が印象的でしたか。
馬返から五合目まで歩いた時に50代くらいの男性がおっしゃった、「以前、五合目から山頂まで登ったことがあるけれど、人が多すぎた。静かな森の中を歩くのはすごく神秘的で、富士山のよさを深く感じられる」という言葉ですね。古い巡礼路の魅力を再確認させられた気がしました。またムスリムの女性に「宗教が違うと神社で神さまの説明をされてもよくわからない。でも母ノ白滝(註:江戸時代にはこちらの表記でした)を見たりすると何か神聖なものを感じるから、そこで神さまの話をされたら素直に聞くことができる」と言われたことも印象的でした。外国人に限らず、文化にあまり関心のない若い人にも、自然からアプローチするのがいいのかもしれないな、と思いました。
−門脇さんは日本史を専攻されていたそうですから、仕事としてはもちろん、個人的にもおもしろかったのでは?
確かに富士講の世界の奥深さ、豊かさに驚かされました。現役の富士講社の方たちの内八海巡りの修行に同行させていただく機会があって、その時にどういう心持ちで修行をされているかを直接伺えたのはとても貴重でした。富士講の方は“富士山とちゃんと向き合う”ということをとても大切にされていますが、それは“自分自身としっかり向き合う”ことにもつながっている。そういう意味でも、富士講は決して過去のものではなく、現代の私たちにもとても意味のあるものだと思いました。今も昔も、登る人にとって富士山は特別な存在です。みなさん、富士山でなきゃダメ、なんですよね。たくさんの人に富士講について知ってほしいとは思いますが、決して歴史とか教義を深く理解してほしいわけではなくて、自分と同じような想いを昔の人も抱えていたことを知ってもらうだけでも十分だと思っています。それだけで富士登山がより一層豊かで楽しいものになるはずですし、それが文化を伝えることになると思うので。
−江戸時代の人がどんなふうに世間を見つめながら暮らしていたのかと、子どもの頃から興味があったそうですね。
気になる人、興味がある人がいると、“この人の目を借りて世界を見たらどんなだろう?”とつい思ってしまうんですね。その人の頭の中を覗きたいというか。結局それが、日本史の勉強につながり、旅行につながり、観光を通じて地域の人に地域文化のおもしろさを伝えていける仕事がしたいという想いにつながったのだと思います。
−旅もお好きなようですね。
回数は多くありませんが、「そんな無茶な行程で行くの?」みたいなことはよく言われます。時刻表を見るのが苦手で、行きたい方向と逆のバス停で待っていたりすることもあるので、旅が得意なわけではありませんが(苦笑)、そういったことも含めて旅は楽しいな、と思います。知らない土地に行って、そこで暮らす人たちの生活や文化と出会うことは、自分の生活や自分たちの文化を客観的に見るいい機会になるし、自分の世界も豊かになる。それが旅の、そして観光の醍醐味だと思います。ただそういう旅や観光が成立するには、旅行者も、旅行者を受け入れる地域の人も、旅行事業者の側も気をつけなければいけないことがあると思っていて。観光と自然保護とそこに住む人々の暮らしと文化とが、いい形で両立できるような観光のあり方をもっと模索しなくてはいけないな、と思います。観光=物見遊山=お金儲け、という誤解もあると思うので、それも解いていきたいですね。
−観光で人々が訪れるようになったことでその地域の文化が後世に伝わり、その地域全体が守られる、ということもあるわけですしね。
ええ。地域ごとの文化が失われてしまって、どこに行っても同じ日常が繰り返されているだけだったら、本当につまらないし、何を楽しみに生きていっていいのかわからなくなる気がします。
−こちらでは日本各地の文化を含め、観光として魅力的な自然、歴史、食などをリストアップしランク付けした「全国観光資源台帳」を作っていて、その一部をウェブで公開していますが、それに関わる新たなプロジェクトも、今、進んでいるそうですね。
ウェブの「全国観光資源台帳」でわかるのは、どの地域にどんなものがあるかだけで、どこが素晴らしくて、どんなところに着目するといいかという説明は添えられていないんですよ。それで今、リストアップしている観光資源の紹介記事やその観光資源に関するさまざまな情報を盛り込んだ専用のウェブサイトを4月に立ち上げるべく、鋭意作業中です。ウェブを見た人が旅に出かけたくなったり、その人に新たな旅の視点を提案できたり、新たな旅のスタイルに気づくきっかけになるようなものを目指しているので、ぜひ見ていただきたいですね。
−横浜のご出身ですが、小さい頃に富士山を目にすることはありましたか。
ありました。通っていた高校の廊下の突き当たりの窓が富士山の方向を向いていて、冬に富士山がきれいに見えるとクラスメイトと「今日は富士山がきれいだね」という会話が自然に生まれていました。身近な、とは言えませんが、横浜という土地に住んでいる人間にとっても存在感のある山です。「リバース!」に関わって知りましたが、横浜市にもかつては富士講の講社がたくさんあったようです。私の母が生まれた海のエリアにも講社があって、その講社のマネキ(講社の名前が書かれた旗で、富士登山の時に宿泊する御師の家に渡していた)を外川家住宅で見た時には、“あ、ここでもつながってる”とすごく嬉しかったです。
−「リバース!」の3年の間で印象に残っている富士山は?
最初に思い浮かぶのは、富士河口湖行きの高速バスの窓から見た、富士急ハイランドのジェットコースター越しの富士山です。もっと手前で見えるスポットがあるとは思うんですけど、寝ていることが多くて(苦笑)。ちょっと違和感を覚えるくらいに大きくて、毎回、自分の平衡感覚が狂わされるような気がしていました。富士河口湖に来たな、という実感も湧くんですけどね。「リバース!」終了後も富士山地域には通っていて、2018年夏の吉田の火祭りの時に見た、金鳥居越しの富士山も印象に残っています。グラグラ燃えている火の奥に、富士山がうすぼんやり、静かに見えていました。火が燃えているのは短い間ですけど、誰もがとても楽しそうで、この街はこれを昔からずっと続けてきたんだな、と思いましたね。
−今、門脇さんにとって富士山はどんな存在ですか。
横浜から富士山が見えると“すごいな”と思ってはいましたが「リバース!」に関わる前は“標高3776mで、日本で一番高い火山”で語ってしまえる、ひとつの大きい物体にすぎませんでした。でも今は説明に困りますね。静岡県側があり、山梨県側があり、巡礼路もあり、多様な植生もあり、さまざまな観光事業者の方たちを含めいろいろな人が関与していることもわかったので、もっと有機的にとらえています。静的なものと思っていましたが、今はもっと動きのあるものに思えますね。
−今後、富士山に関して何か研究する予定はありますか。
今、“信仰文化と観光の関わり”をテーマに自主研究を進めています。信仰文化は目に見えないので、どこまで踏み込んでいいのか、何を伝えるのがいいのか、どう伝えればいいのか、漠然としていることが多いので、そこをもっと考えていく必要があると思うんですよ。「リバース!」の3年間の学芸員さんたちとのやりとりを通して、“本当の精神性”を絶対に外さないで伝えることの大切さを身にしみて理解できたので、そこを核としながら、まずは富士山信仰に関することから始めたところです。それに関わるいろんな立場の方からヒアリングし、さらに信仰と深い関係を持ついろいろな地域の事例を集めて整理したいな、と思っています。
横浜出身 2013年3月にお茶の水女子大学大学院 人間文化創成科学研究科 比較社会文化学専攻 歴史文化学コース 博士前期課程を修了し、同年4月公益財団法人日本交通公社の研究員に。2017年から2019年にかけては、琉球大学非常勤講師も務める。現在、観光文化情報センター企画室 副主任研究員。人文科学修士。学芸員の資格も持つ。趣味は猫と遊ぶこと。
公益財団法人日本交通公社HP:
https://www.jtb.or.jp/
美しき日本 全国観光資源台帳HP(2020 年4月公開予定):
https://www.tabi.jtb.or.jp/