−1945年にお祖父さんが開業した精肉店の渡辺商店。その一部を渡辺ハム工房に改造したのは2004年だそうですね。
肉だけでなく、仕入れた肉で箱根の仙石の人に委託して作ってもらったロースハムとかベーコンとかウインナーとかも売っていたんですよ。でもその人もいい年齢になってきて、僕らに作り方を教えてくれるというので、店の一部を改造して自分たちで作ろう、と。じゃあ、誰がやるの? となったのが、ちょうど僕が大学を卒業するときで、獣医師の免許は衛生管理者の資格要件を満たしていたこともあって、僕がやることになったんです。と言ってもその人に教わったのは基本だけだったから、通ったのは3ヶ月くらい。同時進行でハム工房の工事を始めて、ハムを作りながらわからないことは教わりに行く、という感じでした。おいしいお肉で作っていますから、よりおいしく、素材の味を引き出すハムを作ろうと考えていました。
−生ハムを作ろうと思ったきっかけは、何だったんですか。
納得のいくハムが作れるようになった頃に、店に来た全然知らないお客さんに「生ハムありますか?」って訊かれたんですよ。それで「今はないです」って。
−“今は”?(笑)
「ない」と言うのが、なんか、嫌だったんです(笑)。御殿場やこの周辺にはハムやソーセージで有名なお店やメーカーがいくつもあって、仮に同じ商品をどんなにうちがおいしく作ったとしても、それほど売れるとは思えない。でも生ハムはどこも作ってないし、生ハムは“ハムの王様”と呼ばれていますから、それを押さえておけばいいかな、という感じでした。
−生ハム作りはほぼ独学、と聞きました。
まあ大体そうですね。生物学的知識があったので、いろいろ調べればできるんじゃないか、と思って試しに1本、作ってみたんですよ。硬かったり臭かったりしてとても売り物にはならなかったけれど、手応えは感じました。腐らなかったし味が良かったんですよ。それで、そのやり方に細かな調整を加えながら、作り続けています。
−その後は、5本、20本、120本と年々作る数を増やしているわけですね。
ある程度の数量を作らないと商売にならないのでね。一昨年は200本ちょっと、去年の冬に400本、今年の冬は500本ちょっと仕込みました。
−500本!
作ったものが全部売れる、というアテがあるわけじゃないし、ましてや完成するのは1年半後なので先は見えないんですけど、作らないと売れないのでね(苦笑)。1人で作るとなると500本くらいが限度かな。とはいえ、お肉の成形は精肉店の職人さんがやってくれるので、僕は塩をつけて、その後の管理をするだけですけど。ふじやまプロシュートはふじのすそのポーク(裾野生まれ御殿場育ちの銘柄豚)のもも肉を使ってますけど、委託製造という形で、他の種類の豚や猪や鹿、羊の生ハムも作っています。
−味は、いろんな生ハムを食べ比べたりしながら見極めていったんですか。
その逆です。この味しかできなかった。ふじやまプロシュートのパッケージにも書いてますけど、冬の富士おろしの冷たい風とか夏の駿河湾の湿度を含んだ風とか、ここ御殿場の自然が勝手に作っている感じですよ。塩分は控えてますけどね。
−ふじやまプロシュートに合うのは日本酒と聞きましたけど、本当ですか。
そうですね。日本酒ならなんでも、というわけではないですけど、地元静岡のお酒は、よく合うと思います。
−名前を“ふじやまプロシュート”にしたのは?
ここの土地、ここの気候でしか作れない味だ、ということをアピールしたかったんですよ。山梨側で作ったら、絶対違うはずなので。製造者名に地名でも入っていたら、もっとお土産に使いやすいのに・・とよく言われます。でも、そんなの知ったこっちゃない、というか(笑)。ふじの白雪サラミという白カビのサラミのネーミングは、便乗ですけどね(笑)。
−お土産として勝負したいわけではなく、おいしさで勝負したい、ということなんでしょうね。生ハム作りは他のハムとは違うおもしろさもありますか。
他のハムと違って、生ハムは完成までに1年半以上かかる。その分、旨味も、味の深みも全然違う。手作りですから、僕は料理人じゃないけど、1本1本料理を作る感覚で作っているかもしれないです。
−家業を継ごうと、子どもの頃から考えていたんですか。
僕だけじゃないと思いますが、家が商売をやっている人の何割かは、将来の夢がないと思う。小さいときから、お前はここの長男だ、と言われているので、やらざるを得ない、やらなきゃいけないものと思っているというか。当然やるものだ、という積極的な理由でもないし、嫌だって言っても他にやりたいことがもはやないし・・。
−最初から考えないようにしている、みたいなことなんですかね。
どうなんですかね。だからうちの子には何も言わないですよ。「好きなことやりな、ハムを作りたければ教えるけど」って。
−獣医さんになりたかった、というわけではないんですか。
将来、なりたいものがなかったけれど、ある程度学力があったので獣医学科に進んだ、というだけですね。
−すごいクール(笑)。でも動物は好きだったんですよね。
全く。飼ったこともないし、猫アレルギーだし(笑)。みんな、動物病院でペットを診たりするのが獣医の仕事と考えているかもしれないけど、あれは獣医の仕事の半分くらいですよ。畜産業で豚とか牛とか馬とかに関わっている獣医がほとんどです。
−衛生管理者としての資格があるから、ということで始めたハム作りのようですが、生ハムを作り始めて、ハム作りのおもしろさに改めて目覚めた、というようなことは?
やりたいとかやりたくないとかじゃなく、やらなきゃいけないと思ってやっていることなのでね。でも楽しいんでしょうね。そんなに仕事が大好きというわけじゃないけど、休みは月に1日か2日だけどそんなに不満はないし、やるからにはちゃんとやろうとしているというか・・。もう、サイクルです。息吸って飯食う、みたいな感じでハム作りをしています。
−やっててよかった、と思うのはどんなときですか。
イベントとかで出店していると、お代わりをしに来るお客さんがいるんですよ。とくに子どもがいるイベントでは、親子で一緒に生ハムを買って、「子どもが全部食べちゃったからまた」って。子どもは正直だから、まずかったら食べないじゃないですか。そういうときは、作っててよかったな、とやりがいを感じますね。
−富士山の恵みを受けてこの生ハムができているんだ、ということはどれくらい意識していますか。
そういうのをちゃんと意識するようになったのはここ数年ですね。せっかくおいしい生ハムを作っても、売れ行きがなかなか伸びなかった頃に、広告コンサルみたいな人に、もっと富士山の恵みを受けているということをアピールしたほうがいい、と言われて、ああ、そうなのか、と。ふじのすそのポークを使うこともこの環境も、僕にとっては当たり前のことだったけど、もっと意識して伝えなきゃいけないな、と思いました。確かに、御殿場で完結してるんですよね、豚が育つのも、作るのも、寝かせるのも全部御殿場。もっと強い商品になれる可能性があるかな、と思います。
−富士山にはどんな印象がありますか。
難しいですね。もう“ある”ものなのでね。僕にとっては酸素と一緒ですよ。
−空気をおいしいと思うことがあるように、富士山をきれいだと思うこともありますよね。
普段はそれほど意識しませんけど、早朝に起きて外に出て富士山を見たりしたときに思いますね。ここはちょうど箱根の山の陰になっていて、街より先に富士山に日が当たるんですよ。まだ暗い空に富士山だけがぼんやり明るく浮かび上がっているのはきれいですよ。須走とか富士や富士宮から富士山を眺めると、やっぱり御殿場からの富士山がきれいだな、と思ったりもします(笑)。
−登頂したことはあるんですか。
1回もないです。小学校のときの遠足で宝永山に行く予定でしたけど、雨で中止になった。僕は遠足が嫌いだったので、すぐに帰って来られてすごく嬉しかったですね(笑)。
−この先も登る気はないですか。
いや。息子を連れて1回、登りたいな、とは思ってます。年齢的に45くらいまでは登れるのかな、と思うので、あと、5、6年のうちに。
−富士山にまつわる一番の思い出というと?
僕、大学が青森県の十和田市にあったんですよ。弘前にある岩木山は津軽富士で、岩手県にある岩手山は南部富士と呼ばれてますけど、違う! って思いましたね。自分は本物を知ってるんだぞ、という感じの優越感があった。結局、大きさといい形といい、富士山は一番だ、と思ってるってことですよね。
−どんなところに魅力を感じますか。
生ハムを作り始めてから、富士山は連峰じゃなくて単独峰で一番でかい、というところがいいなあ、と思うようになりました。自分の商売の腕とかと一緒で、この地域で、他の人がやってないことで日本一になったら、それはもう世界一と同じっていうかね。そうなれたら存在的におもしろいかな、と仕事してて思います。
−一番好きな富士山を教えてください。
明け方か夜中の富士山、ですよね。夜中でもぼんやり見えるんですよ。スマホでは撮れないけど、シルエットが空の色と違うから、肉眼だと一発でわかる。それはすごく、いいなあって思いますね。
1979年 御殿場市生まれ 市内の高校を卒業後、青森県十和田市にある北里大学獣医学部に進学。卒業後は地元に戻り、実家の(株)渡辺商店が立ち上げた渡辺ハム工房でハム作りに勤しむ。2011年に生ハム作りを始め、ふじやまプロシュートとして販売。毎月29日夕方には、渡辺ハム工房前で“肉バル”を開催中。
http://nikuaji.com